・姫宮は、
脩子というお名になられ、
乳母も決まった
日々、すこやかでお元気である
姫宮の泣き声のうちに、
年が明けたのもめでたかった
配流先の筑紫や但馬からも、
お誕生を喜ぶ使者が来たが、
ある夜、
中宮の祖父君・高二位殿が、
ひそかに訪れて来られた
姫宮を拝見して、
「おお、なんと可愛ゆい」
と笑みまけていられたが、
二位殿の真意は、
「早く宮中へ参内なさいませ」
とすすめられることに、
あったようだ
「世間では、
主上が若宮をごらんになりたい、
と望まれ、それにつけても、
中宮もろとも入内されるであろう、
と噂しております
私も祈祷を欠かさず続けておりますが、
夢に、
『この次こそ、
男皇子がお生まれになる』
というおさとしを受けました
一日も早う参内されるのが、
よろしかろうと存ずる」
とすすめられる
「男皇子がお生まれになれば、
こちらの勝ちじゃ
一の宮はぜひ、
そなたがお挙げにならなければ、
ならぬ
一刻も早う主上のもとへ、
お戻りなさいませ
物事には機会というものがある
よろしいか、
世間がどう思おうと、
主上のご寵愛だけをたのみに、
主上におすがりしていなされ」
二位殿は中宮にささやかれる
妖しい祈祷の最中のように、
二位殿の目には、
人を暗示にかけるような、
強い光がみなぎりだす
「男皇子を」
「男皇子をこそ・・・」
「一日も早う」
「男皇子さえ、
お生まれになれば、
こちらの勝ちじゃ
そうなれば若宮の外戚たる者を、
筑紫や但馬にうち捨てて、
おくわけにもゆかぬ
やがて戻されよう
それには宮がぜひ男皇子を」
中宮は黙々としていられる
そのお耳に、
二位殿はくりかえしくりかえし、
吹きこまれる
しばらくして中宮は、
「女院(主上の母君)からも、
若宮をごらんになりたいと、
お便りがございましたけれど、
いざとなると、
万事につけて遠慮されまして
旅先のお兄さまや隆家の君も、
どうしていられるやら、
あれこれ考えて、
また気苦労を内裏で重ねるのも、
ためらわれますし・・・」
「というて、
姫宮をこのまま置かれては、
中途半端なご身分に、
なってしまいますぞ
女院や主上とご対面なされて、
内親王宣下を、
お受けにならなければ、
尊い身分が日陰者になって、
しまわれます」
中宮も姫宮のことになれば、
お心が弱られるらしかった
二位殿は重ねて、
一夜中、中宮に参内を、
すすめていられた
さすがに、
こういうときに、
父母や兄弟がいられたら、
と中宮は思われるのだろうか、
堪えかねて涙を落とされた
泣いたり笑ったりしつつ、
二位殿は夜明けに帰っていかれた
しかし中宮の、
参内のご決心をそそのかしたのは、
ほかならぬ主上からの、
忍びやかなお便りであったらしい
お使いが来て、
お文をごらんになると、
その気におなりになったようだ
伯父君たちもおすすめし、
参内の日が決まった
そのころ、
則光は左衛門尉、検非違使に、
なっている
三条の私の邸に、
一度来たけれど、
なぜかこの頃は口が重く、
しっくりしない
「中宮が参内されるって、
ほんとうかね」
「ええ、
姫宮の御五十日の儀を、
いい折にということらしいわ」
「昔から尼が、
内裏へ入ったためしはない
筋道がちがうと、
世間じゃうるさいことだ」
「尼には、
おなりにならなかった、
といっているのに!」
「そんな話、
誰が信ずるものか」
「でもほんとうなんだから、
仕方ないわ
あんたも疑うの、
あたしより世間の噂を信ずるの」
中宮の話をしていると、
私もいらいらして、
声音が変ってしまう
則光が口をつぐんでいるのに、
いい募ってしまう
「左大臣家(道長の君)でも、
彰子姫のご成長を、
待ちかねていられるようだけれど、
主上と中宮のお間柄を、
裂くことなんて、
誰にも出来やしないわ」
「・・・」
「やがてそのうち、
男皇子でもお生まれになったら、
もう誰にも気圧されたり、
なさらないわ」
「・・・」
則光は膝枕で横たわっていたが、
起き上がると、
「淋しいねえ・・・」
というではないか
「何が?」
この男にも、
淋しいなんて感覚があるのかしら、
と思ってしまった
その晩、
彼は泊まっていった
「二度と来ない、なんて言って」
私は笑うが、
則光は笑わない
何となく、上の空という感じで、
私は不満だった
私は則光が話に乗って来ないのが、
あきたりなかったが、
そのうち眠ってしまった
目が覚めると、
則光はもう帰っていた
「お供のお迎えを待たず、
帰ってしまわれました」
と小雪がいっていた
でも私は、
あまり気にとめなかった
何と言ったって、
則光はやはり私のもとへ、
帰ってくるのだもの
「二度と来ない」
とタンカを切りながら、
その舌の根も乾かぬうちに、
のっそりやって来る
則光がいつになく、
口少なだったのは、
照れ臭さをごまかすためなのか、
と私は考えていた
そのかみの格式には及ばないが、
中宮のご参内は、
それなりのいかめしさで、
飾ることが出来た
私どもの女房車も、
それにつづいて晴れがましく、
何カ月ぶりかで宮門をくぐる
ほぼ一年ぶりといっていい
女院も待ちかねていられた
姫宮をすぐお抱きになって、
「おお重いこと・・・
ふっくらと色白う肥えられて」
と頬ずりなさる
女院と中宮、
お話が尽きないところへ、
主上が弾んでお渡りになる
中宮は姫宮をお目にかけて、
暁にはご退出になる、
おつもりだったが、
「しばらく
せめて脩子を、
ゆっくりと抱きたい
四、五日はいるように」
と主上が切に仰せになって、
職の御曹司にお入りに、
なることになった
中宮と主上は、
じつに一年ぶりの逢瀬、
何をお話になったのだろうか、
私たちにはわからない、
世間の噂も人のそしりも、
道長の君の思惑も、
お若い主上にはお考えに、
なれなかった
(次回へ)