・なるほど、そんな仔細があって、
医師のわしを頼って来たのか、と合点がいった。
わしは自分でいうのも何じゃが、
弟子のそちどももよう知る通り、当代では一といわれる名医じゃ。
わしのうわさを聞いて頼ってきたとあれば、
これは力を尽くして療治せねばなるまい。
よくせきの重い病いであろうかと、わしは同情して、
一体、どういう病状でおわすのかな、
と問うと、女は答えず、恥ずかしげに袴の脇のあきから、
衣をひきあげてそっと見せる。
雪のような白い腿(もも)が少しばかり腫れておった。
その腫れようが、どうもただごととは思えなんだ。
これはいかん、
わしは袴の腰ひもを解かせ、前を診るに、
毛の中に隠れて見えぬわ。
さればわしは手でさぐってみると、
そのあたりに腫瘍(できもの)がある。
陰瘡とすれば大きい。
わしはためらわず毛をかきわけつくづく見るに、
これはたちの悪い「ようそ」であった。
「放っておかれては命にかかわる腫瘍じゃ。
死病というてもよい」
「えっ、それで、なおりましょうか」
女は涙ぐみつつ心配そうに聞く。
わしはふびんでならず、はげました。
「必ず、なおして進ぜましょうぞ。
長年、医師をつとめてきた腕前にかけても、おなおしせいでか。
できる限りの治療法を試みてみましょう」
~~~
・わしはその日から人も寄せず、
みずからたすきがけで、夜昼、女の治療に専念したわ。
七日ばかりすると、ようよう好転したでの、
わしは嬉しゅうて内心思う。
(いましばらくこのまま女をとどめておこう。
どこの誰と身元を聞いてから帰せばよい)
今は冷水をそそぐという治療法もやめて、
塗り薬をつけるだけとなった。
女は命をとりとめ、病状もおさまったと、
わしは喜ばしかった。
女はなおさらのようにみえた。
「こんな恥ずかしいところまでお目にかけて、
いまはあなたさまを親とも頼む心地でございます。
わたくしの帰りますときも、
どうかあなたさまのお車でお送りくださいませ。
そのときに、住居も名前も申しましょう。
また、こののちもあなたさまのもとへ参りとうございます。
親しくおつきあいして下さいませね」
その愛嬌ある流し目、
わしは思わず笑みまけて、
(ここ四、五日すれば病はすっかり癒えようて。
さすればこの女とむつまじい語らいもしよう。
この女、ほかに頼る者とてないようにいうから、
独り身かもしれぬ。
もしまた人の妻であってもかまうものか。
楽しみなものじゃ)
病い癒えた日には・・・とわしは心中にんまりした。
~~~
・その夕方じゃ。
いつものようにわしは夕食を手ずから持って、
女のもとへ行った。
女の姿も、女童の姿もないが、
衣がそのまま脱ぎ散らかしてあり、
櫛の筥が開いたままある。
袴も脱いで長々と置かれてある。
屏風の後ろで用足しでもしているのであろうと、
わしは戻ってきた。
日が暮れたので、わしは灯台を持って再び行ってみた。
明かりのもとでみれば、もとのまま、
衣は脱ぎ散らかしてあって、人はいず。
「これ、どこへ行かれた・・・」
叫べど叫べど、屏風の後ろにも部屋の隅にも人かげはなし。
女が寝間着に着ていた薄い綿入れだけは見えぬから、
あれだけを着て逃げたのであろうか。
「ええい、さがせ、さがせ!」
わしは門を閉ざして召使いに松明を持たせ、
くまなく家うちをさがさせたが、
何で今まで居ろう。
あの女め、なおったと知ると、
いちはやく逃げおった。
わしをだますため、衣も脱ぎ散らし、
櫛の筥もそのままにして、寝間着一つで逃げおった。
しめし合わせて、車も呼んでおったに違いない。
どこの誰とも知れず、ついに手がかりもないのじゃ。
逃したと思うと女の美しい顔が目に浮かび、
いっそう恋しさはつのる。
こんなことになるのなら、
ええい、なおるまで待たずに、
思い通りにしておくのであった。
治療ばかりに専念して指一本触れず、
なんという間ぬけたことを、
とわしは思うだに、悔しゅうてならぬ。
何と?
その女が賢い、とほめるのか、
ええい、わしの身にもなってくれや。
咽喉のかわいておる者の目の前に、
甘露の水を見せられてまた取り上げられたようじゃ。
悔しゅうてならぬわい・・・
~~~
・老典薬頭は足ずりし、べそをかいて涙をこぼす。
人々は笑いをこらえるのに死ぬ思いをしているようである。
風まじりの淡雪に、
どこからかいい匂いの流れてくるのは、
雪にまがう白梅が咲いているのだろうか。
巻二十四(八)
(了)