むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

10、山抜けて山河あり ⑦

2022年12月26日 09時44分31秒 | 「浜辺先生町を行く」  田辺聖子作










・黄葉に彩られた山が、
ある所からズボッとえぐられ、
土をむき出しにし、
それはでこぼこの原野となり、
うず高い丘になって、
あたり一面何もなかった。

道は大きく迂回してまた村に入る。

とそこからまた、何ごともなく、
村の家と農協、青い山々が続く。

つまり村の中央部、
目抜きの部分が六百メートルにわたって、
こんもりした砂漠になっているのだ。

ぺしゃんこの塀の一部、
車の尻などが、ちょっと見えたりしている。

秋月さんたちは、
「何ごともない」村の端のほう、
田んぼの一部にプレハブを何十軒と建ててある、
そのうちにいる。

板を渡して田んぼの中を歩くようになっている。

電話をしておいたので、
秋月さんと奥さん、
それに中学生のさつきちゃんが道までやってきて、
私たちが車のトランクから取り出した荷物を運んだ。

夫は「友人はベタベタするもんやない」というが、

「この荷物もそうかいな。
これもか。また沢山やなあ」

といいながら運ぶ秋月さんたちを見ていると、
ほんとうに親戚の見舞いにきた気になる。

プレハブは中へ入ると小さいが、
ガラス戸越しに秋の日がいっぱいあたって明るく、
難民テントという感じはない。

電気ごたつがまん中にあり、
タンスも水屋も仏壇も、
小型ながらちゃんと備わっていた。

局長もやって来た。

みんないい血色をしていて、
以前に見たのと同じように元気だった。

お見舞いを出すと、
男たちは実弾を押し頂き、
うしろの引き出しへしまい、
奥さんは、セーターや洋服の山が嬉しそうだった。

そのうち、センセもやって来た。

「よくまあ、みんな一人残らず、
逃げ切って、さすが、はしっこい秋月さんの指揮や、
思うたわ」

「あれで、声が嗄れてしもうた。
まるで鶏や牛を追うように、追い立てたんや。
みな、山を見とらへんから、
まさかここまで崩れるとは思わんからなあ」

秋月さんは、生き埋めの現場の救助に行っていた。

子供二人はすでに助けられ、
あとは足を建物に挟まれた主婦を救おうとしていた。

その間も、土がパラパラ落ちてくる。
現場の話はなまなましいわけである。

第一回の山崩れで家が埋まったあとも、
ひっきりなしに、小さい崩れがあって、
救助している消防団はその度に肝を冷やし、

「ワッ!」と逃げ散っている。

主婦は血に染まって呻いているのに、
なかなか救出できない。

「ワシ、見てて歯がゆうてなあ。
手が使えんさかい」

と秋月さんはいう。
去年の冬に拇指を落としたばかりである。

「いや、小指も突き指したばかりで」

「何で突き指した」

「バレーボールやって」

「そんなもん、することあらへんがな」

「いや、とにかく、右手が全然使えんのやが、
腹立っての。弟のトクゾー使うて、
その奥さん掘りだしにかかっとったんや」

とうとう秋月さん兄弟だけになってしまった。
消防団はドサドサと土が落ちる度に逃げてしまう。

秋月さんは奥さんの耳に口を寄せ、

「最後になったらの、
わるいけど足ちぎってでも助けてあげるでの。
ちょっと間辛抱しときなよ」

と力づけ、トクゾーさんを叱咤激励した。

トクゾーさんは山崩れも怖いし、
奥さんも気の毒なし、
もう無我夢中で掘りだし、
やっとのことで兄弟で奥さんを車の所へ、
連れ出すことが出来た。

秋月さんがふと山を見上げると、
緑の山頂に、ツツーと赤い線が走り、
それは土のむきだしの線で、
見る間に太くなっていったそうである。

「山が抜けるぞ~~っ!」

秋月さんは咽喉いっぱいに裂けそうな大声を出した。

区長の山本さんもその時、一緒に叫んだ。

「逃げろ~っ!すぐ逃げろ~っ!」

むき出しの土の線は、やがて太くなり、
大木がかしぎはじめた。

秋月さんが血相変えて村へ走ったとき、
村の人々は何も知らず、のんびりしていた。

家々の屋根や看板に遮られ、
あるいは部屋の中にいて、
異変を知らない人が多かった。

秋月さんのスタンドでは、
女の子が客の車に給油していた。

「バカッ!やめろ、逃げろ!」

秋月さんは叫んだ。

消防団が西深橋を渡って対岸に逃げる。

ゴ~ッという山鳴りが聞こえるのに、
農協では若い職員が頬杖ついて往来を眺めている。

村の有線の緊急放送が叫んだ。

「緊急避難、緊急避難、山が抜けるぞっ!」

郵便局では、
現金書留を持ってきた人があり、
局長の奥さんは応対していた。

「逃げなっ!おくさん」

「でも、郵便局、どうしましょ、閉めましょか」

「そんなどころやない、はよ逃げなよ!
山が抜けようぞ!」

とわめく声に、
女たちはいそいで家へとってかえし、
子供たちを連れ出した。

「橋を渡れ!」

区長が叫んでいる。

秋月さんは北へ誘導した。

三方へ逃げたから、
二百人が助かったのだ。

婆さんは耳を引っ立てられて逃げていく。
子供は脇に抱えられ、
となりの爺さんであろうが赤ん坊であろうが、
みな手に手をとって逃げた。

「貴重品が」という女たちに、秋月さんは、
「取りに行く間なんかあるか」と叱りつけ、
ランドセルという子供に、
「早う早う、逃げんか!」と追い立てた。

住民が逃げて三分後、
ゴ~ッと唸りをあげて山がすべり出し、
あちこちに赤い破れ目を見せながら、
家を吞みはじめた。

濛々とあがる土けむり、
傾いた家に、バリンバリンとガラスが割れる音がする。

小学校の校舎に土が「ドシ~ン」という感じで、
当ったそうである。

校舎はしばらく持ちこたえていたが、
やがて次々押し寄せる土砂に、
たまりかねて、ゆっくり傾ぎ、
ぐにゃりと曲がりはじめた。

べつのところで家が吞まれ、
メキメキと悲鳴を立てて消えてゆく。

「そらあ、早かった」

と局長がいった。

プレハブの仮設住宅の窓ガラスから入る日ざしは、
ポカポカとじつに暖かい。

私は、
みんながいったん辛いところをくぐり抜けて、
また、もち前の明るい気分を取り戻してるのにホッとして、
はしゃいだ気分になった。

業腹であるが、
夫のいうように、しばらく時をおいて見舞いした方が、
やはりよかったのかもしれない。






          


(次回へ)

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