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朝ドラ「純情きらり」あの時代の記憶

2006年09月15日 | 日記・エッセイ・コラム
久し振りに殆んど欠かさず見ていた朝のテレビドラマの「純情きらり」は,いよいよ終回に近づいてきたようだ。終戦の時、国民学校一年生だった爺は、あのドラマの背景が爺の記憶の誕生と重なっているのが、あのドラマに嵌った理由かも知れない。

戦争が始まり戦果が上がっていた頃、親爺と大きなラジオにしがみ付いて戦況を聞いていたし、親爺が何故か憲兵に連れて行かれ、間もなく43歳の親爺までが出征し、駅に送っていったのを記憶している。あの紙のランドセルを送ってくれたガラス屋のおっちゃんと一緒だった。
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長女の姉が人吉の女学校から熊本の女学校に移り、お袋と寮に行った記憶もある。お城の近くの学校だった。その姉も桜子と同じ様に小学校の代用教員をしていた。

親爺も夏の終わり頃帰って来た。本土守備隊で熊本にいたらしい。軍服にリックを背負って親爺はものも言わずに玄関に座り込んでいた。気が付いたお袋は抱えるようにして家に上げ、二人は何故か泣いていた。親爺の泣いている姿はこの時しか記憶に無い。お袋は40歳で今の娘より若かった時代だ。無事帰った事か、戦争に負けたことが悲しかったのか判らなかった。

そして風呂場に行った親爺を見に行ったら、お袋が着物の裾をからげて、親爺の背中を流していた。子供ながらに悪いものを見たような気がしたが、然し久し振りの親爺の姿を目にして嬉しかった。

親爺が憲兵に連れて行かれたのは親父が若い頃慕っていた○○正剛とか言う政治家が東条英機に反発し、割腹自殺を図ったことに関係があった事を知った。親爺は何も言わなかったが長兄からそんな事を聞いたことがある。彼と同じ仲間の当時の文部大臣が私の裸姿を見て良い子になれと抱いてくれた事を良く話していたから本当の話かも知れない。

戦争が終わった2学期は疎開先の本校に通った。昨年、亡くなった従兄弟が大将になって本校まで連れて行ってくれたが、従兄弟の長兄はフイリッピンで戦死した。無事復員した近くの鍛冶屋の小父さんと一緒で、その戦死の様子を話してくれたことがある。身近な戦死者はその従兄弟頭だけだった。

その内、我家には中国や朝鮮から引き上げてきた縁者が身を寄せ戦後の急激な変化に慌てた時代が続いていたような気がする。物が無い時代だ。特に食べるものが無かった時代だ。

朝ドラ『純情きらり』ももうすぐハッピーエンドで幕を閉じるのだろうが、このドラマは自分の埋もれていた記憶の始まりを蘇らしてくれた。ドラマの筋書きと自分のあの頃の記憶を合わせ鏡のように見ていたのだろう。お陰で、朝ドラを楽しみに見せた貰った。このドラマは、あの新婚時代の「おはなさん」と定年1年生の時の「すずらん」以来の3本目になりそうだ。

◎ 爺が入学した国民学校 西小学校

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