YASUKOの人生珍道中

2006年秋、新しく始まるYASUKOの人生はブリスベン!この先どうなることやら…珍道中

今日の

2011-08-20 20:39:49 | Weblog
『バス』


写真がボケてて読めないんだけど…

このポスター 『このバスは500台の新車のうちの235台目です。』って書いてあった。

なんか、日本には無さそうなポスターだよね 

今日は

2011-08-20 20:02:57 | Weblog
『母の命日』

母は、1926年(大正15年=昭和元年)に生まれ、1988年(昭和63年)に62歳で亡くなりました。
本当に 『昭和』の年代だけを生きた人です。

強くて、優しくて、そしてとってもお洒落な可愛い人でした。

私がその歳になるまでに、後5年。
62歳になった私が、62歳の時の母を越えていられるか?
気持ち的には越えていたいけど、頑張るけど…多分…無理だと思う…

2年間、癌と戦って…本当に戦って…最後は静かに眠りにつきました。

私の嫁ぎ先の庭に離れを建てて、そこで闘病生活を送っていました。
その時の思い出。

12月ひと月間、毎日 『放射線治療』に車で40分の道のりを通っていたのですが、放射線をあてた後は気分が悪くなって、途中で車を止めてはもどしていました。
なのに、帰ったらすぐに仕事に出かけなくてはいけない私を気遣って、少しでも休ませようと
「やすこちゃん、モーニングして行こうよ!あそこの喫茶店、オープンだったよ!」って言うんです。
で、喫茶店に入って、いつもホットミルクでモーニングを頼むのだけど…
食べるのは私で、母はミルクを一口飲むだけ。
でも、次の日も、また次の日も…

母が癌だとわかってから、痴呆が出始めた父は、母の病院とは逆方向に車でやはり40分くらいの病院に入院していました。
ある日、母の気分がいいから、その父を見舞おうと言うことになり、
「お母さん、支度できた?」と、離れを覗くと…
放射線、抗がん剤治療でふらふらしているのに、なんと、お着物を着ているのです!!
驚いている私に
「このお着物、作ってからまだお父さんに見せてないの。お父さん、私がお着物着るの好きだったから…」
って。
こんなに母を 可愛い! って思ったことはありません 

一緒に生きられたのは34年だったけど…
母は、素敵でした。

お母さん  ありがとう