YASUKOの人生珍道中

2006年秋、新しく始まるYASUKOの人生はブリスベン!この先どうなることやら…珍道中

岩崎 夏海

2011-08-26 19:26:36 | Weblog
『 もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの “マネジメント”を読んだら 』

私の得意ではない分野、『マネジメント』

どうも、筋道を立てて考えるのは…


でも、この本は面白かった!
4日で読めたよ!


印象に残った言葉。

『しかし “たられば” を言っても仕方がない。』←これだけじゃ分かりにくいんだけど、
「あの時にああだったら。」とか 「あの時にああしてれば。」 って言うこと。
後悔する事。

『私は教える事によって、逆にみんなに教えられてたのね。』


『間違いや失敗をしない者を信用してはならないと言うことである。~ ~ ~ 人は、優れているほど多くの間違いをおかす。すぐれているほど、新しい事を試みる。』


これを読んだら、やっぱ ドラッカーの『マネジメント』を読んでみようかな~? って思う。

…でも…
考えるよりも先に動いてしまう私には…どうしても理論的に考えることは…

うん、こういう事は ニム氏に任せておこう 


千羽鶴

2011-08-26 19:04:18 | Weblog
2週間くらい前に  1000羽 

やった~~!!
子供たちも手伝ってくれて、結構早くできた!! 

って思ってたら…
それからが…なかなか… 

でもね。

じゃ~ん 

昨夜、やっと完成 

さだえ!
さっき、送ってきたからね。
きっと、来週中には届くよ!!

だから、 頑張れ~ 

心臓破りの階段

2011-08-25 21:05:02 | Weblog
『天国に続く階段』

お店に行くのに、必ず、この階段を登ります。
勿論、帰るときには降ります。

段数は52か54段 だったと思う。

今朝この階段を登っている時にふと気が付いた。
なんかね、今まで同じペースで歩いていた人達に、抜かれるの! この階段で!

(私って、同年代の人達と比べたら、めっちゃ足腰強い!!って思ってるんだけど…この階段だって、そんなにペース落ちてないと思うんだよね~。何でかな~? )
って、思って足元を見ながら登ってみた。

そうしたら、分かったよ!
私をグングン抜いて行った人達は、み~んな階段の一段とばしをしていた 

分かったのはいいけど…
こりゃ、私には 無理だ~~!!  

Nao のスピーチ

2011-08-24 16:51:57 | Weblog
2,3週間前だったかな~?

Naoが、子供たちが通う学校からの依頼で、日本人留学生(中学生)の生徒たちの前で、スピーチをしました。
去年に引き続き、2度目です。

彼女が書いた原稿を、私がチェック(へへ~、偉そうでしょ?だって、日本語は、Naoよりも私の方が経験豊富だもの  )したんだけどね。

流石、わが娘。
良い事書いてるの!

で、全文を載せようとしたら、彼女に
「ママ、恥ずかしいじゃない!やめてよ~!」
って言われてしまったので…

いい所だけ抜粋して書きますね。

『 始めまして、Naoです。 ~ ~ ~ ~ ~

現在水泳のコーチをしていますが、20年前は皆さんと同じ、留学生でした。 ~ ~ ~ ~ ~

アメリカとカナダの高校へ行ってみて、よその国から来ている生徒たちは皆自分の国を誇りに思い、知識も豊富だという事を知りました。そして、自分の国を好きでなかったこと、そして自分の国についての知識の少なさを恥ずかしく思いました。海外でさまざまな文化に触れて生活する事で、日本の良さがどんどん見えてきて、日本という国を好きになりました。そして、自由というのは勝手にやりたいことをするのではなく、必ず自分のしたことへの責任がついてくること、そして、英語を話すのは英語圏では子供でも出来る当然の事で、別にかっこいい事ではないという事に気がつきました。英語を話すことではなく、英語で話す内容が大切だったのです。

  ~ ~ ~ ~ ~ ~

先週末の大会で、私の選手たちは随分頑張り、自己新記録を出しました。頑張って良い結果を出したという自信のあふれる笑顔は何ものにもかえられません。自分に何が出来るのか、自分の使命を見つけるまでに時間がかかりましたが、水泳のコーチは私にとって、最高の仕事だと感じています。
自分が頑張った分だけ幸せになれるんだと、私は思います。皆さんもいつか自分の才能を生かした最高の仕事を見つけ、人との関係を大切に、素敵な人生を築いてください。 』


私も、こっちに来てから、これと同じことを感じた。
それは、いかに自分が日本について知らなかったか ってこと。

そして、逆に、よその国の人達は、たとえ若い学生でも、自分の国の事をちゃんと説明でき、理解し、誇りを持っています。
この自分の国に関しての意識レベルの 差 

こればっかりは、いい歳して…本当に恥ずかしいと思います。 



写真は、冬の終わりの 『ハイビスカス(だと思う。)』

(久しぶりに) ニム氏からのメール

2011-08-23 20:25:00 | Weblog


『 昨日、3回目の抗がん剤投与。

お陰で今日から便秘が始まります。

薬は頂くのですが、なかなか思い通りにはいきません。

吐き気も少々ありご飯食べても美味しくない。

約10日間の苦行です。

朗報もあります。

癌細胞が縮小しています、転移した部分は顕著に小さくなり

原発の癌細胞はまだ頑張ってる。

3月のCT画像と8月のCT画像との比較では4分の1くらいになってる。

野草酵素・水素水・抗がん剤が上手く作用したようです。

元々がいい加減な人なのでへらへらと笑ってたのも良かったのではと

思います。

他の臓器への転移も無く取りあえずは順調な回復です。

肺癌第Ⅳ期からの生還も夢ではなさそうです。 

みんなに感謝です。 』



『元々がいい加減な人なのでへらへらと笑ってた』 っていうのはちょっと違うと思うけど…

心と、身体との物凄い葛藤をしていた(今もしている)と思うんだけどね。


ま、何はともあれ 

 グッドニュース 



昨日の反省

2011-08-23 19:29:25 | Weblog

今日、お寿司を巻ながら、昨日の反省をした。
いつもなら、私、ほとんど反省ってしないんだけどね。
だって、昨日のことを考えてるよりも、明日の事を考えた方が楽しいし、昨日しちゃった失敗は、今度しなければいいんだもん 

でもね、今朝はちょっと引っかかってた。
それは、昨日虹を見つけて 「虹が綺麗なんですけど…」って言ったJ君に返した言葉。
確か「わあ、ほんとだ~。凄いね! Wだよ~! いいことあるよ!」 って言ったと思うんだけど…
私にとっては、なにせ、3回目の虹だったから…
言葉にちょっと気持ちが入ってなかったんじゃないかな~? って思うの。

子供(J君は、もう子供じゃないかもしれないんだけど…) が感動を表現した時には、一緒にいる大人は同じくらいか、それ以上にその感動を表現したほうがいいと思うのね。

だって 「綺麗!」 とか 「嬉しい!」 とか 「悔しい!」 とかを表現する事って、素敵なことでしょ?

特に日本人にとって、自分の気持ちを表現するって、なかなかできない事だと思うんだけど。

だから、J君はとっても控えめな表現だったけど “虹が綺麗!” って感じて、それを言葉にした。
それって、すっごく素敵な心だと思う。

なのに…私は…
普通の反応しかしなかった…

う~ん、まだまだ、修行が足らんねえ~


上の写真は昨日の夕焼け。


そして、その夕焼け色が映ったみたいなお花が、足元に咲いてた 


 

春一番が吹いて、虹が出たよ!

2011-08-22 19:35:49 | Weblog
風が吹いている写真を写すのは…難しい事が、今日分かった。
だって、写真にすると、動かないんだもの…
本当は、旗が、すっごく ハタハタしてたんだよ。


今日は、一日中強い風が吹いていました。
こっちは「8月10日で冬が終わる」って、どこかのおじいちゃんが言ってたから、
冬が終わって
『春一番だ~~!!』 って、今年も私が勝手に決めた 


車で学校に向かう途中、右手に虹が見えた!
虹大好き!な私は、すぐに車を止めて写真を写したいんだけど…
後にいっぱい車がついてて、なかなか止まれない 

クラクションを鳴らされながら、ゆるゆる走って…
やっと、道幅のあるところで車を隅に寄せて止めたら…
もう、虹はほとんど…消えてた 

でも、良~く見ると。
その気になって見ると。
木と木の間に左下から右上に…虹が…見えるんだけどな~?…
うん、これは、きっと、心の綺麗な人にしか見えないっ! 


(あ~あ、消えちゃった…
って思いながら、少し走ると、
また見えた!

でね、子供たちを迎えに行って、家に帰って、
J君もテイフから帰って来て、みんなでお外で遊んでいたのね。
そしたら雨がパラパラ降って来たって、J君が教えてくれて、お洗濯物を入れに出たら…

「あ…の~…虹が、きれいなんです けど…」ってJ君。

「えっ?」 って空を見ると、今度はWで虹が出てた。

今日は3回も虹を見ちゃった 

めっちゃラッキー気分 


クール ランニング

2011-08-21 19:15:22 | Weblog
子供たちが借りてきて来ていたDVDを、又借りして…
昨夜、PCを使って、見ました。

雪を知らない国、ジャマイカの個性的な若者たちが、カルガリーオリンピックのボブスレー競技に挑む!

とっても楽しく、後味のいい、夢のある映画でした。

これは、実話を元にして、フィクションを加えたお話なんだって。

でね、1933年に出来てるんだけどね。
Greg いわく 「この映画ができた時には、J君は1歳の赤ちゃんだったんだね。」

そっか~、そんなに古い映画なんだ~。
私、知らなかった 

心、疲れたときに お勧め 

今日は

2011-08-20 20:02:57 | Weblog
『母の命日』

母は、1926年(大正15年=昭和元年)に生まれ、1988年(昭和63年)に62歳で亡くなりました。
本当に 『昭和』の年代だけを生きた人です。

強くて、優しくて、そしてとってもお洒落な可愛い人でした。

私がその歳になるまでに、後5年。
62歳になった私が、62歳の時の母を越えていられるか?
気持ち的には越えていたいけど、頑張るけど…多分…無理だと思う…

2年間、癌と戦って…本当に戦って…最後は静かに眠りにつきました。

私の嫁ぎ先の庭に離れを建てて、そこで闘病生活を送っていました。
その時の思い出。

12月ひと月間、毎日 『放射線治療』に車で40分の道のりを通っていたのですが、放射線をあてた後は気分が悪くなって、途中で車を止めてはもどしていました。
なのに、帰ったらすぐに仕事に出かけなくてはいけない私を気遣って、少しでも休ませようと
「やすこちゃん、モーニングして行こうよ!あそこの喫茶店、オープンだったよ!」って言うんです。
で、喫茶店に入って、いつもホットミルクでモーニングを頼むのだけど…
食べるのは私で、母はミルクを一口飲むだけ。
でも、次の日も、また次の日も…

母が癌だとわかってから、痴呆が出始めた父は、母の病院とは逆方向に車でやはり40分くらいの病院に入院していました。
ある日、母の気分がいいから、その父を見舞おうと言うことになり、
「お母さん、支度できた?」と、離れを覗くと…
放射線、抗がん剤治療でふらふらしているのに、なんと、お着物を着ているのです!!
驚いている私に
「このお着物、作ってからまだお父さんに見せてないの。お父さん、私がお着物着るの好きだったから…」
って。
こんなに母を 可愛い! って思ったことはありません 

一緒に生きられたのは34年だったけど…
母は、素敵でした。

お母さん  ありがとう