このミシン、こっちに来た年か翌年にガレージセールで買って以来、お掃除をしていないことに、今日、突然気づいて、

お掃除セットを取り出して、

どうやってやるのかと、説明書を出して来たら、、、
あちゃ~! 全部英語
仕方がないので写真を見て、、、後は想像力


いきなり、この真ん中のネジが見つからなくて、、、
だってさ~、隠してあるんだもん!

中を開いてブラシをかけて、ミシン用のオイルがなかったので CRC をさした。
次は

釜の中。

糸くずと埃が、いっぱい詰まってた
きれいにブラシをかけて、ここにもCRCを
そして何度か空回したら、
今までミシンの音だと思っていた 「音」 がしなくなった
ミシンって、こんなに静かだったんだ~! と、一人で感動しちゃいました
これで明日からの縫物が、一段と楽しくなりそう

お掃除セットを取り出して、

どうやってやるのかと、説明書を出して来たら、、、
あちゃ~! 全部英語

仕方がないので写真を見て、、、後は想像力



いきなり、この真ん中のネジが見つからなくて、、、

だってさ~、隠してあるんだもん!


中を開いてブラシをかけて、ミシン用のオイルがなかったので CRC をさした。
次は

釜の中。

糸くずと埃が、いっぱい詰まってた

きれいにブラシをかけて、ここにもCRCを

そして何度か空回したら、
今までミシンの音だと思っていた 「音」 がしなくなった

ミシンって、こんなに静かだったんだ~! と、一人で感動しちゃいました

これで明日からの縫物が、一段と楽しくなりそう


オーストラリアでできたお友達が来月、私よりも早い時期に日本に行きます。
彼のお姉さんがガンで余命宣告を受けたとか、、、
まだ動けるうちに家族で旅行を! なんだそうです。
私は、癌にはちょっとうるさい。
母をがんで亡くした時には、癌について深く考えたことがなかった。
ってことは 癌=死 だと思っていた。お医者さんに任せるしかないと思ってた。
その母は手術を受けた後で 「あと半年」 っていう余命宣告を受けました。
その当時は絶対に告知はしなかったので、受けたのは私ですが、、、
当然、何事もなかったように家庭生活を維持してはいましたが、頭の中は真っ白! でした。
でもあまりにも忙しくて、真っ白のままいるわけにもいかず、
「とにかく今できることをできる限りする!」ことに徹しました。
手術後に1か月の放射線治療、そしてひと月(?)に一度の抗がん剤治療。
当然、もれなく、とんでもない量の副作用付き!!
でも母は頑張って頑張って、
余命宣告を受けてから2年半生きました。
その時にはそういうものだと思っていたし、毎日を悔いのないように無我夢中で生きてきたので、
今になっても後悔はありません。
が、
にむ氏が5年前に肺癌のステージⅣの診断を受けてから今まで、
彼ががんに関して学んだことを少しずつ分けてもらって、自分なりの考えが持てるようになりました。
一口に癌といってもアイフォンみたいにみ~んな同じ形、同じ機能!!
じゃないのよね、一人ひとり性格が違うように、がんもそれぞれ違ってる。
形も内容も進み方も、みんな人(癌)それぞれ。
なのになんで「標準治療」 なんだろう?
みんな違うんだから、一人一人の癌の様子を観察して、その人に合った 「オーダーメイド治療」であるべきじゃないの?
癌を持ってても元気な人はいっぱいいる。
でもその人たちも 「標準治療」を受けると、もれなく付いてくる副作用によって 「病人」 になってしまって、
お医者様の予想通りに死に進む。
だからお医者様はゲームみたいに 「余命宣告」 をしてるように思える。
そして患者さんを含めて家族が恐怖に振り回される。
神様じゃないんだから、いえ、神様だって人の命の長さなんて計れないと思う。
お医者様に、医師免許を持ってるからって、「余命宣告」なんて簡単にしちゃいけないんじゃないかな~?
運悪く癌を持ってしまった人は 「死」への時間を数えるよりも 「共に生きる」 ことを考えないといけないと思う。
そして自分の癌なんだから、他人であるお医者様のいいなりになる必要もないと思う。
患者さん自身がよく学び、よく考え、それで標準治療を選ぶのであればそれでいいし、ほかの治療を望むのであれば自分の身体と相談して自分の納得できる道を進むべきだと思う。
だって、お医者様だって、お友達だって、家族だって、進めた人が副作用を代わって受けてくれることはできないんだもの。
そして治療法は宗教と同じで、自分が信じるのはいいけれど、人には強要しちゃいけないと思う。
と、とんでもなく辛口になってしまいましたが、
知識のない私が偉そうなことを言っています。
読んで不愉快な思いをされる方がいたら、ごめんなさい。
私だって自分の考えが正しいのか間違ってるのかなんてわかりません。
でも、もし私が癌と一緒に生きることになったら、
なるべく標準治療は避けて短くてもいいから与えられた命の長さだけ、できるだけ心地よく生きられると、いいな! って思っています。
おまけ 
たしか前回、日本に行ったときに叔母から聞いたんだけどね。
私、抗がん剤治療で苦しんでる母に 「お母さん、もう、頑張らなくっていいよ!」って言ったんだって
言った私は覚えていないんだけど、、、
彼のお姉さんがガンで余命宣告を受けたとか、、、
まだ動けるうちに家族で旅行を! なんだそうです。
私は、癌にはちょっとうるさい。
母をがんで亡くした時には、癌について深く考えたことがなかった。
ってことは 癌=死 だと思っていた。お医者さんに任せるしかないと思ってた。
その母は手術を受けた後で 「あと半年」 っていう余命宣告を受けました。
その当時は絶対に告知はしなかったので、受けたのは私ですが、、、
当然、何事もなかったように家庭生活を維持してはいましたが、頭の中は真っ白! でした。
でもあまりにも忙しくて、真っ白のままいるわけにもいかず、
「とにかく今できることをできる限りする!」ことに徹しました。
手術後に1か月の放射線治療、そしてひと月(?)に一度の抗がん剤治療。
当然、もれなく、とんでもない量の副作用付き!!
でも母は頑張って頑張って、
余命宣告を受けてから2年半生きました。
その時にはそういうものだと思っていたし、毎日を悔いのないように無我夢中で生きてきたので、
今になっても後悔はありません。
が、
にむ氏が5年前に肺癌のステージⅣの診断を受けてから今まで、
彼ががんに関して学んだことを少しずつ分けてもらって、自分なりの考えが持てるようになりました。
一口に癌といってもアイフォンみたいにみ~んな同じ形、同じ機能!!
じゃないのよね、一人ひとり性格が違うように、がんもそれぞれ違ってる。
形も内容も進み方も、みんな人(癌)それぞれ。
なのになんで「標準治療」 なんだろう?
みんな違うんだから、一人一人の癌の様子を観察して、その人に合った 「オーダーメイド治療」であるべきじゃないの?
癌を持ってても元気な人はいっぱいいる。
でもその人たちも 「標準治療」を受けると、もれなく付いてくる副作用によって 「病人」 になってしまって、
お医者様の予想通りに死に進む。
だからお医者様はゲームみたいに 「余命宣告」 をしてるように思える。
そして患者さんを含めて家族が恐怖に振り回される。
神様じゃないんだから、いえ、神様だって人の命の長さなんて計れないと思う。
お医者様に、医師免許を持ってるからって、「余命宣告」なんて簡単にしちゃいけないんじゃないかな~?
運悪く癌を持ってしまった人は 「死」への時間を数えるよりも 「共に生きる」 ことを考えないといけないと思う。
そして自分の癌なんだから、他人であるお医者様のいいなりになる必要もないと思う。
患者さん自身がよく学び、よく考え、それで標準治療を選ぶのであればそれでいいし、ほかの治療を望むのであれば自分の身体と相談して自分の納得できる道を進むべきだと思う。
だって、お医者様だって、お友達だって、家族だって、進めた人が副作用を代わって受けてくれることはできないんだもの。
そして治療法は宗教と同じで、自分が信じるのはいいけれど、人には強要しちゃいけないと思う。
と、とんでもなく辛口になってしまいましたが、
知識のない私が偉そうなことを言っています。
読んで不愉快な思いをされる方がいたら、ごめんなさい。
私だって自分の考えが正しいのか間違ってるのかなんてわかりません。
でも、もし私が癌と一緒に生きることになったら、
なるべく標準治療は避けて短くてもいいから与えられた命の長さだけ、できるだけ心地よく生きられると、いいな! って思っています。


たしか前回、日本に行ったときに叔母から聞いたんだけどね。
私、抗がん剤治療で苦しんでる母に 「お母さん、もう、頑張らなくっていいよ!」って言ったんだって

言った私は覚えていないんだけど、、、

きな子に続いて「さくら」
また犬のお話です。
『人間は、起きている間に自分が見た記憶を、夜寝ている間に整理するらしい。
これは記憶すべき映像、これは削除していい映像、そんな風に。
その証拠が「夢」であって、驚嘆に睡眠不足の人が幻覚を見たりするのは、記憶の整理をつけないままに起きてしまうかららしい。』
これ、よくわかる。
何かを決めるとき、人生の分岐点みたいな時、私は考えるのが好きじゃないからすぐに寝ちゃう。
そうすると、、、朝起きた時に、すっきりと自分の選択、行動が決められている!!
これを私は「神のお告げ」と呼んでいる
『生まれてきてくれて、ありがとう!』
これは親がいつもいつも思ってること、だよね。
なかなか口には出さないけどね。
この人の表現はものすごく素敵。
『うちに来た頃のさくらは、いつも玄関で寝ていた。最初は「ぶなしめじ」の段ボールで眠って、
桜が大きくなるにつれてそれは、「にんじん」「はくさい」「エリエールティシュー」になった。
「アサヒウーロン茶」に入りきれなくなったとき、さくらははじめて外で眠った。』
素敵だったんンだけど、、、、
終わりがちょっと悲しい。
また犬のお話です。
『人間は、起きている間に自分が見た記憶を、夜寝ている間に整理するらしい。
これは記憶すべき映像、これは削除していい映像、そんな風に。
その証拠が「夢」であって、驚嘆に睡眠不足の人が幻覚を見たりするのは、記憶の整理をつけないままに起きてしまうかららしい。』

何かを決めるとき、人生の分岐点みたいな時、私は考えるのが好きじゃないからすぐに寝ちゃう。
そうすると、、、朝起きた時に、すっきりと自分の選択、行動が決められている!!
これを私は「神のお告げ」と呼んでいる

『生まれてきてくれて、ありがとう!』

なかなか口には出さないけどね。
この人の表現はものすごく素敵。
『うちに来た頃のさくらは、いつも玄関で寝ていた。最初は「ぶなしめじ」の段ボールで眠って、
桜が大きくなるにつれてそれは、「にんじん」「はくさい」「エリエールティシュー」になった。
「アサヒウーロン茶」に入りきれなくなったとき、さくらははじめて外で眠った。』
素敵だったんンだけど、、、、
終わりがちょっと悲しい。