「お茶の郷」に行ったときですが、車椅子の方が一緒でした。施設は新しいので駐車場も広く、中もほとんど不便はありません。
ただ、庭園の砂利道が大変でした。車椅子を引いていたのは若い男性だったので、前輪を挙げて押していました。
私は「バリアフリーとかユニバーサルデザインとかいっても実際にどんなものか体験しないと本当にちゃんとしたものはできないね。」と言ったのですが、返ってきた言葉は意外なものでした。
「たしかに最近はバリアフリーでどこに行っても身障者も困らない。でも、逆にそれが当たり前になって今まではできていたことがどんどんできなくなっている。
例えば、以前だったらちょっとした段差があっても何とか自力で超えられたのに最近は文句が先に出てしまう。段差がないのが当たり前になってしまっているんですよ。少しぐらい不便なくらいな方が体にはいいのかも・・・。」
世の中は難しい・・・。
ただ、庭園の砂利道が大変でした。車椅子を引いていたのは若い男性だったので、前輪を挙げて押していました。
私は「バリアフリーとかユニバーサルデザインとかいっても実際にどんなものか体験しないと本当にちゃんとしたものはできないね。」と言ったのですが、返ってきた言葉は意外なものでした。
「たしかに最近はバリアフリーでどこに行っても身障者も困らない。でも、逆にそれが当たり前になって今まではできていたことがどんどんできなくなっている。
例えば、以前だったらちょっとした段差があっても何とか自力で超えられたのに最近は文句が先に出てしまう。段差がないのが当たり前になってしまっているんですよ。少しぐらい不便なくらいな方が体にはいいのかも・・・。」
世の中は難しい・・・。
自分自身の体を少し頑張らせる努力をする機会を失ってしまうのは痛いよね。
便利になっていくとそういう弊害が出てくるのね。
これまでもそうだったように、これからもそういう事が繰り返されていくのね。
なかなか出来ないけれど、原始的生活に戻した方がいいんじゃないかと、私自身最近思っていました。難しい問題だよね。
今日はお誕生日を祝っていただきありがとうでした。
コメントを公開するのは私の方からは無理でした。
ごめんね。そして本当に嬉しかったの。
ありがとう~♪
そこのところが難しいです。
手助けのつもりでも、自分でやることを
望まれたり、反対に手を貸して欲しかったり。
でも以外と人に依存する気持ちはないようで
皆さん何でも自分でやられていますね。
我が家はノンバリアフリー、将来に困るような事態にならなければよいけど!
世の中色々便利になってきています。
少し前までは何処に行っても段差は当たり前でした。
でも今はバリアフリーが当たり前。
特に新しい施設は設備が整っています。
結局無いものねだりなんですかね~
何でも同じですが、贅沢も同じで、お金がいくらでも使えるとそれに慣れ無くなった時ストップが出来なくなったり。
楽をすることは良いことですが、その裏返しがまた恐いんですよね。
良く昔の哲学者の言葉に、「平和と幸せは人間を駄目にする。」なんて言葉がありますが、そんな物かも知れませんね。
たしかに学校では車椅子の移動は大変!!
先日、小4の息子さんが交通事故で怪我をされ、松葉杖で学校にいっているという方の話しを伺いましたが、なんと、階段を這って移動しているんですって!!
学校はぜひバリアフリーにしてほしいですね。
原始に戻るのも時間の問題かも?
その中で寄りよいものが残っていけばいいよね。
私の知っている方に右腕を怪我でなくされた方がいらっしゃいますが、日常生活のすべてを私などよりよっぽど器用にこなしています。
友人などはその方が片腕だということに知り合って数ヶ月も気づかなかったほどです。
その方の場合はほとんど手助けは必要ありませんでした。障害があってもそういう方も多いのでしょうね。
それこそ家の中を這っています。
廊下を広くして手すりをいっぱいつけたいのですが、なかなかできません。
自分の家のバリアフリー化が一番遅れているかも。