はぎやまのりへいの日常

読書、映画、美術展、そしてキャリア教育。
好奇心と愛で書き綴ります。

Vol.15 赤塚不二夫展&忌野清志郎個展

2009-09-10 23:43:57 | 芸術
尊敬している人を3人あげよ、と云われれば一人は水木しげる翁だろう。
僕が水木フリークになったのは「ゲゲゲの鬼太郎」ではなく、小学館の「妖怪なんでも入門」だ。当時の本はボロボロになるまで読んで、とっくに捨ててしまっているが、2004年に「水木しげる◎妖怪大百科」という名前で復刻された本を持っている。長男の愛読書である。

そして、赤塚不二夫。
「天才バカボン」をテレビではじめて見た時以来、はまってしまった。
その前に「ひみつのアッコちゃん」や「もーれつア太郎」も放映していたが、赤塚不二夫の作品としてはじめて意識したのは天才バカボンだった。

小学生の時の夢は漫画家になることだった。結局、最後までマンガを描きあげたことは一回もないのだが、少年ジャンプで主催していた漫画賞、「赤塚賞」の獲得の夢を抱き続けてきた。小学生当時の赤塚賞の大賞賞金は50万円で、その金額も小学生にとっては魅力だった。「妖怪なんでも入門」に続き赤塚不二夫の「まんが入門」も僕の愛読書の一つだった。もちろんボロボロになるまで読んで、今はもう持っていない。この本は復刻されないのだろうか?

銀座松屋で開催している赤塚不二夫展に行ってきた。正直云うとあまり期待はしていなかったのだが、漫画の原画や昔の写真などで構成されていて、思った以上に見応えがあった。カタログとバカ田大學のノートを購入した。

赤塚不二夫の漫画はデフォルメされていて一見簡単に見えるけれど、原画を見たらその完成度には頭が下がる。アシスタントのクォリティも当然高かったのには違いないが、とにかく赤塚不二夫は天才である。
赤塚不二夫の誕生日は9月14日。僕の誕生日と同じだ。僕もまた天才である。

そしてもう一人は忌野清志郎。RCサクセションとの出会いは僕の音楽感を変えた。
ビートルズでもストーンズでもなく、僕のロックの始まりはRCサクセションだった。

「ROCKIN'ON JAPAN特別号 忌野清志郎1951-2009」を読んだ。
仲井戸麗市 チャボのインタビューを読み胸が熱くなった。男の友情は素晴らしい。
そう云えば、ROCKIN'ONの編集をやりたくて、大学時代就活の時分手紙を書いたことがある。
「今募集していないし、大変な仕事だよ」と渋谷陽一氏から返事をもらった。
アルバイトでもいいからとしつこくお願いすれば良かったかなあ。

NHKのラジオに清志郎とチャボが出演した時のことを思い出した。今から30年近く前、「BLUE」というアルバムを出した直後のことだと思う。パーソナリティは坂本龍一だったような気もするが忘れてしまった。山下達朗だったかな。清志郎とチャボ、シャイな二人はリスナーのことなどおそらく考えずに、オンエア中ずっと照れてはしゃいでいた。その時にお互いのことを「山田」「加藤」と言っていたものだから、僕はずっと清志郎の苗字が「山田」なんだと思っていた。本当は「栗原 清志」なんだ。亡くなった今まで知らなかった。

「個展 忌野清志郎の世界」に行ってきた。清志郎は本当に絵がうまい。やはり、絵は印刷ではなくて生でみるに限る。
あのド派手で、僕らの憧れだったステージ衣装が展示されていたのは感激である。
そして、数多く展示された昔の清志郎の写真や、映像を見て、カッコ良かったなあとあらためて思う。

大切な人が逝くたびに、青春が遠のいていく。