昨夜、渋谷で「バスキアのすべて」を観た。
久しぶりに来た渋谷は人が多くてびっくりだ。
10何年か前に恵比寿で「バスキア」というデビッドボウイがウォーホール役で出てる映画を観た。
そしてその年に新宿の百貨店で「バスキア展」も開催された。
その映画とバスキア展での印象から僕の中でのバスキア像は創られていたのだが、動くバスキアの映像を観てそのイメージとのギャップを感じた。
バスキアは僕が思ったよりずっとイケメンなのだ。
まつ毛がクリントした目は二重で色気があり、小さな歯がチャーミングな口元は少年っぽさを演出している。そして全体的に仔犬のような人なつっこさと壊れちゃいそうな危うさがある。
アンディ・ウォーホールはもちろんバスキアの才能を認めたのだろうけれど、バスキアの美少年振りに傾倒したのではなかっただろうか。
アートを創造するために、繊細で敏感なバスキアのアンテナは向いていたのだろうけど、そのアンテナは同時に誹謗・中傷、悪い評判といったノイズまで拾ってしまう。
そして、壊れ物注意のバスキアは簡単に壊れてしまった。