はぎやまのりへいの日常

読書、映画、美術展、そしてキャリア教育。
好奇心と愛で書き綴ります。

Vol.219 てるてる坊主とプール

2012-08-15 07:19:38 | ライフ


 毎年実家に帰ると子どもたちとプールに行く。

 スイミングスクールにいかなかったので平均程度にしか泳げない長男は、夏休みの学校のプールへは嫌々に通っているが、僕と行くプールは楽しみにしてくれている。
 次男坊は去年の記憶とかあまりないから、プールって何だろうと思いながら、浮き輪をかぶるという非日常性に浮かれている。
 今年、実家に着いた次の日、天気予報が見事に外れての晴天の中、3人で予定通りにプールに行った。
 2時間、ほとんど水中から上がることなく、泳ぎっぱなしの遊びっぱなし。
 次男坊も最初はおっかなびっくりで、そろりと浮き輪にのっていたけれど、最後は自分の手足で方向をコントロールして進めるようになって大はしゃぎだった。
 母親の家に帰ると僕の弟と彼らの従妹が来ていた。そこで、明日もプールに行こうという話になった。
 翌朝起きてみたら、残念ながら雨。プールは無理か、と僕は思ったけれど、子どもたちはまったくあきらめていないし、悲しんでもいない。プールがはじまるのが10時からだから、まだ2時間いじょうある、絶対やむよ!って。
 
 ところが雨はなかなかやまない。9時近くになった頃、彼らは3人でてるてる坊主をつくった。

 なんと10時前には雨がやみ、晴れ間さえのぞくようになった。

 恐るべし子どもたちの願い。強く思えば願いは叶うってことを教えてもらっちゃったね。

Vol.218 スマホを捨てよ、町へ出よう

2012-08-15 07:17:18 | ライフ
 ビデオカメラを持って旅行に行ったことはあるだろうか?
 一眼レフのカメラを持って子どもの運動会を見に行った経験はあるだろうか?

 カメラを持ってしまうと、目的が撮影になってしまって、本当に美しい感動的な景色だったり、子どもの真剣な表情をファインダー越しにしか見られなかったりする。 記録に残すことがそれほど大事なのだろうか。
 大切な瞬間はきちんと自分の目で見て、メディアにではなく脳に焼き付けるべきではないか、なんて最近思う。

 スマホを持つようになって、どこでも連絡が取れるようになって、世界は極めて狭くなった。
 
 その季節ならではの、その場所ならではの体験ってあったはずなのに、スマホがある生活ではいつも同じ風景になってしまった気がする。

 スマホではなくて心で繋がる生活をめざしてもいいかな?

Vol.217 帰省して田舎で考えたこと

2012-08-15 07:12:51 | ライフ
 合理化や効率化を求めてコストの削減をすると一方で雇用機会が失われることになる。例えばガソリンスタンド。セルフのガソリンスタンドが世の中の主流になったことでどれだけの人の職が失われたのだろうかと思う。
 
 大型のショッピングモールがボコボコとどこにでもできる。それは僕らの田舎も例外ではない。魅力的で集客力があるので田舎に昔からある商店は大打撃を受ける。ただでさえジリ貧の利益でやってきているものだから、いよいよ経営は立ちいかなくなって店を閉めることになる。そうして商店街が姿を消していく。買い物には郊外の大型のショッピングモールに車で出かけて行く。ますますの車社会。車がなければ野菜も肉も買いに行けない。
 
 僕の母親は72歳。父親は車を運転したが、母親は運転はしない。父親が亡くなってからはどうしても車でいかなくてはならない用事がある時は、埼玉から僕の弟か僕が高速を飛ばしてくるか、親戚や知り合いに気を遣いながらお願いして車を出してもらう生活。それでも、せめてスーパーマーケットが徒歩で行ける距離にあればなんとかなると思っていたら。このたび、僕が生まれる前から近所にあった生協が閉店してしまった。それを機に僕の母親は田舎を捨てる決意をした。父や家族との思い出のつまった家を売却して、埼玉県の弟の家の近くにマンションを買った。
 生協、生活協同組合。生協の目的ってなんだろう?利益をあげることではないはずだ。店を閉めることで困る年寄りはどれくらいいるだろう。少なくとも僕の母親は田舎での生活をあきらめたのだ。やめることは簡単だが、面倒だからやめる、儲からないからやめる、で果たして良いのだろうか。まあ、もちろん、いろいろ考えて、ギリギリのところまで頑張った上での閉店の決断だったのだとは思うけれど、それでも困る人間がいることは事実なのだ。代替案が出されているわけでもないわけだし。僕の母親だけの話ではなくて社会問題でもあるらしい。

 就職難で安定を求めて公務員をめざす大学生は相変わらず多いけれど、安定を求めて公務員をめざすような世の中だから、社会は良くなるわけはないのだ。イノベーターは公務員にこそ必要なのではないだろうか?