はぎやまのりへいの日常

読書、映画、美術展、そしてキャリア教育。
好奇心と愛で書き綴ります。

Vol.317 光

2017-06-30 20:10:39 | 映画
観たい映画が3本あって、
それを手帳に書き出したら全部邦画だった。

上映終了しそうだったので思い立ったその日に観に行ったのが河瀬直美監督の「光」。

視力が失われていくカメラマンと視覚障害者のために映画の音声ガイド原稿をつくる仕事をしている女性との物語。

僕は裸眼では0.1の視力もなく、
超がつくど近眼に加え、最近は老眼もひどい。
近いと読めないので文字を離すと、今度は小さくて読めない。
暗いとなおさら読めない。
夜にダイヤル式の自転車の鍵を開けられなくて困ったこともある。
しかも、30代の前半には左目が網膜剥離で網膜が半分剥がれて手術をしたこともある。

そんな僕なのに、
目が見えなくなることは想像したことがない。
いや怖くて、想像しないようにしている。

白杖の人が街を歩いていて、
それも若い人だったりすると、
気の毒だなと思うけれど、
まさか自分が盲目になるなんて考えられないから、
自分ごとで考えたことはない。
自分ごとじゃないから、うわべで気の毒に感じるだけで、
危険な瞬間に即座に行動することができないし、
電車の座席を譲ることにも躊躇してしまう。
そんな自分を心から恥じる。

視力がなくなるってどんな感じなのだろう。
瞼を閉じても瞼を透かして明るさを感じることができるが、
その光さえ感じられなくなるシーンが映画中にあった。

目が見えなくなったら家の外に出るなんてとても怖くて無理だ。
信号を渡ったり、電車に乗ったりなんて恐ろしすぎる。

カメラマンとして成功しながら視力が失われることで全てが失われてしまう。
それをかろうじて繋ぎ止めている大切な古いカメラ。
その大切なカメラを捨ててしまう決心。
カメラを捨てることは視力が失われることを認める、受け入れるということで、
受け入れることによって、きっと先に進めるのだと思う。
でも、きっと認められないし、捨てられないな、自分なら。
先になんて進めなくても良い。
そこで終わりでいいやと思うかも知れない。

もしも視力がなくなったとしたら、
夢は見るのだろうか。
夢の中で視力が失われないのならば、
心の目でものごとを見ることができるのかも知れない。

心が行ったり来たり、
複雑な思いで映画を観ながら、
大切なものってなんだろうとか、
それが失われるのってどういうことなんだろうとか考えた。

目が見えなくなっても、子どもの顔や妻の顔をずっと覚えていられるのだろうか。

良い映画だった。

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