理解のある人たちに囲まれて、クリエイティブな仕事を期待されて、
新車じゃないけど車を買い替えたり、
最近急に大きくなった気がする長男は「行きたくない」と言いながら
妻に連れられてミニバスの練習に行って、
幼稚園年少の次男は朝食を食べ終わって着替えるのを僕が手伝う。
「あれ、割と幸せだな」と思う。
映画は重く、暗かった。
終始風の音が聞こえ、それも嵐のような風、
朝が来て、井戸に水を汲みにいき、芋を煮て無言で食う、それの繰り返し。
登場人物たちはほとんどしゃべらない。
貧しさにいらだち、父と娘は154分の間一度も笑わない。
馬は自分の境遇を拒否し、前に進むことを拒み、食べることをも拒む。
人よりも先に馬の方が、生を諦める。
いつもの繰り返しの人生。
やがて来ることがあたりまえだと思っていた朝が来ない。
娘は芋を食うことを放棄する。
字幕だけが映し出されるエンディングの真っ暗なスクリーンには何の映像もないが、観客それぞれの脳に映し出された映像がそこに投影されるという寸法なのかも知れない。
大学の時、深夜にテレビで放映されたアンドレイ・タルコフスキーの「ノスタルジア」を録画した。何度も観ようと思って挑戦したが、途中でどうしても寝てしまい、結局どんな映画なのか理解できなかった。
70人程で満杯になる渋谷の小さな映画館は休日で満席。
美しくて退屈な映画を、凄まじい風の音に心を揺さぶられながら鑑賞している人たち。
映像なのか、思い出なのか、自分の想像なのか、あるいは夢なのか、境界を曖昧なままに2時間半スクリーンを見つめ続け、映画が終了して明るくなった時は、正常な時間を取り戻したようでほっとした。
さて、幸せな人生に戻るとしよう。
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