補助輪付きで自転車の練習をしていておもしろくなったらしく、
図書館までそのまま自転車で行った。
その帰り道に小さな横断歩道の上で転倒して、
胸の辺りに痣をつくった。
暑いのと、
不親切な車ばかりでいつまで待っても道路が渡れないことと、
いくつかの小さな理由が重なってちょっとイライラしていた僕は、
転んだ息子を心配する代わりに、
「もう、なんでこんなところで転ぶんだよ!」
と怒鳴りつけてしまった。
胸の痣は消えたけれど心に痣が残ってしまって、
自転車が怖くてまたがることもできなくなってしまった。
それが昨年の夏。
ああ、やっちゃったな、と後悔しても遅く、
どれだけ励ましても、なだめすかしても、
自転車に近寄ることもできない状態がしばらく続いた。
年が明けて、幼稚園の年長さんになった。
自転車にまたがって、両足が地面につくようになった。
GWを前にして
「ボク、自転車の練習しようかな。」
と自分から言い出した。
まだまだ補助輪がとれるのは先のことだろうけれど、
彼にとってはすごい進歩。
何とかしなくちゃと必死に消そうと思っても消せない傷も、
いつか自然に消えていくんだなと思った。
頭の中に浜田省吾のPAINが流れていた。
二度と立てぬ痛手なのに
受け入れてく、不思議だ人は
ホントに不思議だ。
今、つらいと思っていることだって、
結局は受け入れて、笑い話にすることだってできる。
だから、様子を見て、
じっと待ってみることも大切なんだとつくづく思う。
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