よくマズロー欲求5段階説が引き合いに出されるが、人間には承認の欲求、認められたいという強い思いがある。
親や家族や学校の先生や、友達の親や、近所や親戚のおっちゃん、おばちゃんに。子どもの頃なら褒められる機会は案外たくさんあるのだが、大人になるにつれてだんだんとなくなってくる。
褒めてくれる嫁さんをもらえばまだ救われるけれど、結婚して時間が経つとなかなか嫁さんだって褒めてくれなくなる。
褒められるとは肯定される、承認されるということ。それは自分の存在意義の確認であり、居場所の確保なんだと思う。
当然、社会で褒められる事は少なく、僕などは今の会社に15年以上いるけれど褒められた記憶なんかない。
肯定されなくて、自分の居場所を見つけられなければ居心地が悪い。
なぜ、褒められないか。なぜ肯定されないのか。
一つは能力が本当にないのかも知れないけれど、興味・感心の違いや価値観の違いの方が大きいと思う。
それから、自分のことに精一杯で人のことを考える余裕がない、思いやる気持ちがないということもある。
フェイスブックではニュースフィードを通して友人・知人の行動を理解し、話を傾聴することが出来る。
そうすると、長年見知っていた人でも、リアルな世界で気がつかなかった人となりを知る事さえできる。
ひっくり返せば自分の人となりを友人・知人に伝える事もできるということ。
人となりを知って、趣味や価値観、考え方を理解すると、イベントに誘ったり、イベントを開催したりする事ができる。
例えば、弟が「豚の丸焼き大会」を開催したいと提案してきている。100人集めたいと云う。それを実現することは簡単ではない。
例えば、「ペチャクチャナイト」というイベントに行きたいと思っている。夜のイベントなので子どもを連れて行けないし、プレゼンテーションやアートに興味を持っていて、なおかつ時間に余裕がある人をそうそう思い浮かべられない。
例えば、自主的に勉強会を企画する。優等生に見られたり、暇人と思われたりして、馬鹿にされて終わりだったりする。
フェイスブックを利用する事によって、こうしたことの実現の可能性が圧倒的に高まった気がする。
よほど信念が強い場合は別だけれど、人が行動する時には誰かに賛成・賛同してもらって「背中を押してもらう」ことが必要だったりする。
「いいね!」ボタンがその役割を果たす。
仕事の質は「人」で決まる。その仕事に相応しいパートナーと組めば、よりクオリティの高い仕事ができる。
外注に発注するのではなくて共に働く、コ・ワークだ。
そうしたパートナーを探し、探されるにもフェイスブックは一役買うのではないだろうかと僕は思う。
だからフェイスブックは、ビジネスで始まったものではないかも知れないけれど、ビジネス向きだと僕は思っている。
「最安」でも「最高」でもなくて「最愛」を目指すマーケティングがこれからもっと多くなると思う。
そうした時に、企業の人となりを伝えられて共感を生み出すメディアはすごく重要なのではないだろうか。
だから、もっとフェイスブックの利活用について考えていく必要を感じる。
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