世界的にブームだったのだと思うが、僕も例にもれず、
ここ何年かは幸福ブームで、ずっと幸福について考えている。
映画「happy」を観て(大学でも上映会をした)、
ショーペンハウアーの「幸福について」を読んで、
「天才バカボンの幸福とは今日もおひさまが昇ること」を読んで、
そしてアランの「幸福論」を読んだ。
そしたら案の定だけど本が付箋だらけになった。
「幸福論」を読んで感じたこと。
すごく大雑把に言えば、幸福は自分次第ということ。
どんなひどいことがあっても幸福でいることはできるし、
どんなに人から幸せそうに見える人でも不幸な場合もある。
「幸福の秘訣のひとつは自分自身の不機嫌に無関心でいることだと思う。」
「自分の不機嫌に身をまかせる人は、たちまち不幸で意地悪くなる。」
そういえば、意地悪な人って不幸なんだと思う。
「必要なのは、信じ、期待し、微笑することだ。」
そして残念なことに不機嫌は伝染する。
同じようなことは関根勤も「バカポジティブ」に書いていた。
例えば朝起きて妻が不機嫌だと子どもも不機嫌になって、
自分も不機嫌な気持ちで家を出る。
そして職場で自分の不機嫌をまき散らす。
妻の不機嫌がいったい何人の人を不幸にするのだろう。
同じように上機嫌も伝染する。
妻が上機嫌だと、僕はすごく幸せで、
その幸せを職場中に笑顔でまき散らす。
そのおかげでどれだけの人を幸せにすることができるだろう。
アランは「上機嫌は贈ったり、もらったりすべきものだ」と言っている。
「上機嫌こそ世の人すべてを、
そして何よりまず贈り主を豊かにする真の礼儀であり、
交換によって増大する宝物である。」
まあ同じことを言葉を代えて言っているだけだけど、
「自分の不幸についてけっして他人に話してはいけない」
「自分について愚痴をこぼすことは他人を憂鬱をするだけ。」
愚痴を言い、悪口を言う時の顔は誰でもが醜い。
だから悪口ばかり言い続けている人は後天的にブサイクになる。
逆に上機嫌でいられる人は年齢を重ねる毎にどんどん美しくなる。
「幸福であることが他人に対しても義務であることは、
じゅうぶんに言われていない。
幸福である人以外には愛される人はいない。」
「幸福になろうと欲し、それに身を入れることが必要である。」
望めば必ず幸福になれるし、
なろうと思わなければ幸福にはなれないのだ。
そして今、僕はかなり幸せだ。
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