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八月三日 北枝 俳諧大意

2024年07月29日 06時04分11秒 | 俳諧 山口素堂 松尾芭蕉

八月三日 北枝 俳諧大意

 

 芭蕉が加賀の山中温泉滞在中、金澤より同行して日夕親灸したる北枝が、俳諧の大意を賀して聞きえたるところを、覚え書しておいたものである。「翁」は芭蕉,「私」は北枕。

 

 蕉門正風の俳道に志あらん人は、世上の得失是非に惑はず、烏鷺馬鹿の言語に泥むべからす、天地を右にして萬物山川、草木、人倫の本情精を忘れず、落花、散薬の姿にあそぶべし。其のすがたにあそぶ時は、道古今に通じ、不易の理を失はずして流行の変にわたる。然る時は、こゝろざし寛大にして物にさはらず、今日の変化化を自在にし、世上に和し、人情達すべしと、翁申したまひき。

 

一 

正風俳諧の心は萬物の道、よろずの業に通じて、一端にとどまるべからす。世に俳諧の文字を説いて、誹は非の晋にて俳の字然るべしといえる人もあり、或は史記の滑稽をひきて穿鑿の沙汰に及ぶものもあり。しかれども吾門には俳諧に古人なしと看破する眼より、言語にあそぶといへる道理に任せて、誹、俳の二字とも用ひて捨てず、他門に対して論ずることなかれと、翁申給ひき。

 

俳諧大意 道理と理屈との二種ある事

 

  一 

俳諧の道理に遊ぶ人は俳諧を転ず。はいかいの理屈に迷う人は転ぜられる。

世に上手・下手の諭のみして、俳諧といふ道の所以をしらず。

芭蕉翁は正風虚実に志ふかき人を、我が門の高弟なりと誉給いき。

  一 

虚実に文章あり、世智辨あり、仁義禮智あり、虚に實あるを文章と云い、禮智という。

虚に虚あるものは稀にして、正風伝授の人とするとて芭蕉翁笑い給いたる。

   私曰く、虚に虚なるものとは、儒に荘氏、釋に達磨なるべし。

  一 

いにしへより詩と云い、歌と云い、道の外に求るにあらず。

然るに、世のつね俳諧の文字に迷いて、和歌に対したる名の道理を辨へず、

頓作、當話の俚俗に落ちて、狂言綺語とのみ覚えたる人もあるべし。

これあさましきことなり。

  一 

俳諧は道草の花とみて、智を捨て愚にあそぶべしとぞ。

俳諧のすがたは俗談、平話ながら、俗にして俗にあらず、

平話にして平話にあらず、その境を知るし。この境は初心に及ばすとぞ。

 

  一 

世人俳諧に苦しみて俳諧のたのしみを知らず、

附句の案じやう趣向をさだむるに心得あり。                     

(山中問答)

 

薮 朱拙

 

  陋 巷

いざよひやそぞろに藪のうらむもて   (はせをだらい)

 

荒 畠 水田正秀

 

猪に吹きかへさるゝともしかな

しがらきや茶山しに行く夫婦づれ

日の岡やこがれて暑き牛の舌

澁糟や烏も食はず荒畠

月待や海を尻目に夕すゞみ

 

【註】 正秀は水田氏、通称利右衛門、近江膳所の藩士、曲翠が叔父にあたる。

    享保八年八月三日歿。此の句は季節が違うが、命日なのでここに録する。


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