○享保年開 洛俳諧の噂『翁草』(三)享保十四年
○享保十四年春、淡々昌印家路を、弟子竿代に誤る、これより橋本を改で、松本竿秋と號す、淡々は退隠してその賀筵を、洛東圓山王阿彌
【割註】その頃淡々弟子に風客三人有、竿秋、杜暁、線来也、杜暁は布袋屋市郎右衛門と云商家なり、家衰て俳諧の會屋並び執筆杯を産とする、淡々疎に竟に雅を出で医者と成る、線来は峨山の騒人、入江若水が子供宗四郎と號し鼓を撃、また竹本頼母が弟子にて、浄瑠璃浄瑠堪能なり、俳才衆に勝て才子也、金吹屋と云家を継ぎしが、放蕩してその家を出て、淡と親しき事線に如く者はなし、然るに線遮て圓山正阿彌を譲り受け、爰に住す、故に淡が統を竿代引し也」に於て之を開く、門生且つ他派の俳士群て出席し、各賀章を送る、正阿彌亭を広く取しつらひて、衆これに着座す、淡々、竿秋左の一二座に在り、右の席は、五橋、魯風、一枝、難里、襯露、杜口、半季、我笑、井龍、雅風、釣雪、共光、孤松、澗水、吟松、線来(中略)末に至て、楓川(揚屋橘屋吉右衛門)尹張(都路豊後)鬼車(芝居役者深井半四郎)等、凡六七十人圓席す、執筆柳岡(姓渡邊書家)賀章を読上げ、一巡を懐紙に寫し、式の通に聯ねゆく處に、やゝ初折過ぎる頃、林夕子より使者として世継太仲
【割註】後號井翁儒士也、淡に等しく林夕子に近陪して家士と成り書画を善し、究て能辨にて流水の迅が如し、人之に相對して語を交へんとするに、その透開なし、唯此士の獨語を聞而已なり、才子にて門弟に説く事、俗通早し、たとへば彛(い)の字の畫を問に、よこめん二十と對ふ、その他是に準へ知るべし」王阿頌彌来る、淡席の中央に出向き、太仰仲則酒肴を並べ積せて、目録に引合せ口上を述べる、今日の宴を賀せられ、此酒肴を以て、衆を饗せよとの趣なり、淡、敬謝す、両人の応対尤も見事なりけらし、昔日は知らず、近世俳席の壮観なり、その後、僧一枝(建仁寺禅居庵の現住)淡と大奎が絶因を患へ推で双方に説きて和平ならしむ、この時、几山、指山、羅人(春澄自是前にと雙)も、共に淡に和すといへども、打解る程の事は無りし、また享保十五年の頃、淡、重病に犯されて正に死なんとす、越州悃に病を訪ひ、医師田丸養貞、百々俊悦等に命じて療せしめ、暫らくにして快復す、病中吟、且つ文章有り(「此賀集」)その後再び東行を志して武陽に趣き、【割註】江都にてのあらまし且つ帰京後京の水を浪花の寓へ取寄せし事杯前に記す故に爰に略す」
その後浪速にては淡々の名を投じ、半時庵をもって通號とする、
嗅洞、富天、湖照、田鶴樹、秀鏡等を先きとし、三郷の間に、その徒広く蔓り、また新たに點格を立て再び宗匠と成る、後年是を嗣弟富天に譲り、老翁は人の招に寄て、泉州堺へ移り、彼地にて宝暦の未に、春秋八十八歳にて歿する、彼生涯の事を筆記せば、尽きることなからまし、吁一世の豪、芭蕉翁以来この翁の外に誰か有らんや、
享保年間、洛の俳諧の事、右に記する處は多く淡子が事蹟にかゝはるに似たれども、他派にはさして評記する程の事もなし、余もその頃信安、仙鶴、大奎、巴人等の會へ、常に出座せしまゝ其徒々々にもうらなく、語りしも多かりしか其、他派には爰に記す程の異なる事を不聞く、余苟も一旦淡々を師として、技藝ながらも其の師たる人の不正の事迄を、斯くあらわに書つらねる事、死罪たるべけれど、物の序次を分けて筆記するに掩ふ事有ては、事を述べがたし、是故に我を忘れて、
師を謗る(そしる)が如き筆法多し、天ゆるさしめ/\たまへ、
抑洛の俳諧を中興せしも、淡々、また邪にせしも淡々なり、それまでは祖翁の教えに隨ひ付け方を専に嗜しに、淡は一句一評などとて、唯一句のたくみを専らにして、強でつけ方に拘らず、その句の作り方は、喩ば馬にのる、竹輿にのる、船にのるといふべきを、馬、竹興、蛤を略して、騎(馬)駕(竹與)乗(船)と文字にて分ち、一句を聞かするの類、總ての作意斯の如し、これを鍛錬の人は、入ほがながらも一句の筋も言様に作り課すれ、未練の人は心の如くに廻り兼ねる故に、大やう聞えず、功者は是を素句と號しは、素人の句と云心なるべし、左様の句も相応に點有れば、初心の輩よき事にして、一句の詮はよそになして、唯言葉の巧なる事を寄せ合わせて、初めより句筋の立ぬ趣向を案ずる、また淡が自分の句にも聞えぬ句、あげて計がたし、能く調ふ時は、流石淡が奇材を顕す、出京損ないは淡とても素句なり、孰れに入りほがの病はぬけず、斯る風俗故にその技々々より追々邪出て、次第に法も乱れ、表の句は仕にくしとて、執筆抔にあつらへ、捨おも器などに理用うすく心落着不申候へども、古人の定め置候法を、一分としで改がたきも有之候、畢竟は古實を失ひ申さず取用ひ候は真実の處、天下國家におよぶ事に候、宗匠の身分にては、此等の戒め、折々心を用られ尤の事哉に候也、
此文はまことを染る
神無月十三目
半時庵主
淡も此示しには返す言葉も無りしとぞ、實にも流が風情は、朱儒をなじりしに荻生徂徠に似たり、称すべくまた惜むべし、
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