先日 シルバー.カレッジの 屋外勉強会で にかほ市のTDK見学と
象潟町の「白瀬南極探検隊記念館」で 白瀬矗(のぶ)の偉大な探検の一部を
見てきました。
矗と言う漢字は、PCで出てこなくて IMEパッドに書きこんで。
読み方は「チク」ひとつだけ。どうして「のぶ」と 読ませたものか?
第一次は26人の隊員で 1911年(明治44年)氷塊に前進を阻まれ
シドニーに引き返し 南極の夏をまつ。11月19日シドニー出港。
12月・アムンセン隊(ノルウエ―)が前人未到の南極点を踏破
1月17日・スコット隊(英国)も 南極点踏破も、帰路全員死亡。
省略しながら書きます。
1912年(明治45年)1月20日白瀬隊長ら5名の突進隊は 28頭、
2台の犬ぞりで向かうも、激しい寒気とブリザードの中 犬ぞりが離れ離れに。
走行距離282キロの地点で力尽きました。 1月28日氷原突破を中止
南緯80度05分西経156度37分。一同は整列して日章旗を立て
「山和雪原(やまらとゆきはら」と 命名し、日本領土とすることを宣言。
👆 上の赤い矢印が 大和雪原です
実際の木造船を模って、部分的に展示してます。👆
こんな木造船で 南極へ 信じられないです(人形がちょっと不気味でした💦
👇犬ぞりだったのでしょう よくこんな装備で・・・
👇 南極の石
いままた 徒歩により 秋田出身の冒険家が、大和雪原から~南極点を
目指しています。
詳しくは、紙面で。 11月20日付け 秋田さきがけ新聞より
事故・ケガの無いように 成功をお祈りするばかりです。
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