ぞうり沼
天王町の大沼は、どんな日照りでも 涸れることは無かった。
昔、脇本村(男鹿市脇本)の商人の 半十郎という者が、用事のために
久保田(秋田市)へ行った帰りに、この沼の辺りを通った。とつぜん、
ザザッ・ザザッというものすごい水音がした。驚いて沼の方を見ると
沼の真ん中から大きな竜が現れ、半十郎をギラギラ光る目で にらみつけていた。
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あまりの恐ろしさに、逃げようとしても半十郎の足は、おもうように動かない。
助けを呼ぼうとしても、言葉にならない叫び声をあげるだけである。
竜は、耳までさけた真っ赤な口を開け、半十郎をひとのみにしようと、迫ってくる。
そのとき、どこからともなくひとりの男が現れ、竜に立ち向かっていった。
そして、履いたぞうりをすばやく足から取ると、男は、火でも吐くかと思われる
大きな口に投げつけた。ぞうりは、大きく開けた竜の口の奥に、うまく当たった。
竜は、ぞうりを飲みこんで、あわてたように沼の水底に隠れてしまった。
半十郎は、腰を抜かして、ただ目の前の出来事を、黙って見ていたが
はっと我にかえって、あたりを見回すと、男の姿はもうどこにも無かった。
命の助かった半十郎は、涙を流して四方八方を拝んだ。
拝んでいるうちに、半十郎は日頃から 信心している牛頭天王(ごずてんのう)様が、
人の姿になってあらわれ、助けてくれたのだと思った。
そして、今度は牛頭天王を祭っている 東湖神社の方へ手を合わせて熱心に拝んだ。
ちょうど、そんな事があったころ、村の又兵衛の家へ ひとりの旅人が立ち寄った。
「旅の者だが、のどが乾いてたいへん難儀をしている。水を1杯飲ませてくれないだろうか」
見ると、その男はどんな働きをしてきたものか、ひどく汗を流していた。
「どうぞ、どうぞ なんぼでも飲んでくなんせ」
男はのどをならして飲み終えると、ていねいに礼を言って、又兵衛の家から立ち去った。
そして、村のはずれまで来ると、男の姿は、たちまち白いごへいに変わり、
東湖神社の方へ飛んでいった。
村人たちは、牛頭天王(ごずてんのう)様だと、不思議がって話していると
そこへ半十郎がやってきた。半十郎の話をきいて、人々は改めて不思議がったり
ありがたがったりした。それからは、天王祭りのたびに半十郎は、ぞうりを
東湖神社に奉納するようになり、その子孫もそれを続けた。
お祭りが終わると、そのぞうりを沼に捨てる。二度と竜が出てこないように
する為である。ぞうり沼の名は、そこからつけられた。
―南秋田郡天王町― 文・新田 恒美
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県内各地で語り継がれてきた伝説を集めた「秋田の伝説」
(1976年、県国語教育研究会編)の作品です。
当時の小中学校の 教諭が執筆したもので、登場する市町村名は
合併する前のままです。
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