私は小学校に上がる前に九九を覚えており、スラスラ言える利発な子供だった。
両親は、ひょっとしたら頭のいい子を産み落としたと疑ったかもしれない。
算数など苦にも思ったことが無かった。
ある日、その思い込みは、いとも簡単に崩壊した。
中学に入り、数学の時間に
X=Yと教師が黒板に書いて斜めの線を一本引っ張った。XはYである。
これは何?XはXで、YはYではないか?
私は、これを受け入れる事が出来なかった。
X=Yを受け入れられなくなると2足す3も受け入れられなくなった。
りんごが2個あります。お兄さんがミカンを3個くれました。
全部で幾つでしょう?そこにあるのは赤いリンゴとミカンの香りがするミカンなのに、それを一緒クタにして5個などと言ってはいけないのではないか?
それから私は馬鹿というものになった。
理解することを拒否して、放物線をながめ、シグマとか無限大のマークをながめながら、数字が少しでもちらつく世界に近寄らぬように生きていこうと思った。
何の不便もなかった。
スーパーでも銀行でも利発なガキの頃に身につけた計算能力で十分なのだ。
メロンが6個あります。弟に3個あげました。いくつになったでしょう???
答えは5個。誰がメロンを3個もあげるもんか~!!
X=Y・・・・冗談じゃない!!私は貴方である・・と言う事は無いのだ。
どこかの土人は数は20個までしかないらしい。
両手両足で指の数しか数えられないらしい。それ以上は沢山と言うらしい。
私も、そんな土人と共に生きていたいと思う。
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