各地散策と歴史

写真付き

ハワイへの移民

2020-02-12 10:24:36 | 仁保島へ散策
数年前から"少子化"問題が叫ばれていたが、行政はデ-タ-把握・検証〖統計学〗で予測は可能ではなかったのか、後20年もすれば日本人の被雇用者の激減で経済活動の維持には他個所に委ねざるを得ない。維新150年で新国家・建国新体制・政治面等のイベントが各地で催されているが、幕末時にハヴアイ(ハワイ)から「カメハメハ四世」日本政府「幕府の使節・新見豊前守正興」に労働力不足解消の一策で移民受け入れ親書が託されている。明治元年(1868年)に初めて150名が渡航したが、その後佐賀の乱、秋月の乱、萩の乱、西南の役等の「士族」の反乱、中国・朝鮮・ロシア等などの国内外に係る課題があり移民実施は空白となった。明治14年(1881年)、ハワイ国王のカラカウアが移民要請の為に来日された事により移民政策が本格化した。
移民の多くは、広島県・山口県(大島郡に資料館がある)・熊本県・福岡県の出身者が目立つが、明治から大正までの移民政策は「官約移民」及び「民約移民」(移民会社が仲介)があった。私は移民に希望される方は田畑を持たない非自作農家、自作農家でも次男・三男と言った方が多いと思っていたが、実情は違っていた。良く考えると分かる事だが、移民者当人の家族・縁者は国内における納税義務があり、移民後の当該家の納税の可否も年代になって来る。行政(県)が許可を下し渡航する手筈となっている認可制である。これにより「渡航証明書」を発付される。お嫁さんを迎えるにも各証明書〖個人情報も細密である〗により、許可が発せられる。
 市内南区(旧安芸郡仁保島村)に私設博物館を設立し、館内には当時の移民に関わる各証明書、鞄(個数・重さが制限されている)、写真等が処狭しと展示されており、鑑賞者の興味を沸き立てる。
 広島駅から「仁保車庫」行のバスに乗り、バス停「上ほうそ木」で下車し山方へ向かうと目的の博物館に到達する。

道路から西方の山側へ向かう



自宅兼私設博物館



自宅の門を眺めると「人力者」、「駕籠」(乗り物・町駕籠・辻駕籠等が身分により違ってくる)が吊るしてあった。



門を潜ると茶室・私設博物館・白い蔵を目にする。



館内に入ると左側に当時の「ホノルル港」の写真が船舶窓風に収めてあり、楽しませてくれる。



館内には貴重な旅券(パスポ-ト)、渡航証明書等の公的文書を初め、トランク等が展示してあるが、写真撮影は個人情報もあり遠慮させて頂いた。当館には歴史学者、学術研究員・学芸員、大学の先生、大学生等の方がお見えになられるらしい。僅か150年前なので生々しくリアリティに富んだ資料が多くあり、近現代史に興味ある人は一度は行ってみる価値はある。私は、幕末時の旅券にとっても興味を惹かれた。【幕末当時は、かなり緩和されたとは言え、身分制度が確立しており縦書きで詳細に書かれている。現在の旅券と比較して見ると面白い。】そして、日米関係の雲行きが悪くなり、いよいよ太平洋戦争に突入して行くがその後の日系人の苦労は周知のとおりである。



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