嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

完璧なものは目指さない。

2009年12月24日 00時47分26秒 | 考え事
健全な人に憧れる。
ときおり、羨ましいとさえ感じる。

健康的な人、悩みの少なそうな人、周りに優しい人、
愛想のいい人、いつも笑ってる人、毎日が楽しそうな人、身体が丈夫そうな人…

自分はいつも自分自身が不健康であると感じながら生きてきたし、
会社で営業の人から
「健康が取り柄で病気しません!みたいな感じだったのに不思議だよね」
と言われた時は、即座にお世辞だと感じながら、
他人の感性の不思議さを思ったものだ。

こんにち、不景気や社会的な先行きの不透明さで
大人たちがあたふたしている間も、
自分は年齢に似合わず学生をして学んでいられる環境を、
恵まれていると感謝している事はたびたびあったが、
やはり人の悩みは尽きないものだ。

あまり言葉に出すと本当にそうなってしまいそうで怖いのだが、
時々学校を辞める事について想像する。
弱音を吐いている場合ではなくて、
むしろ頑張らなくちゃいけない正念場のような気もするのだが。

あと少しの間、いくつかの課題をこなして、
若い子たちを率いてゼミを成功させれば自分は卒業(修了)できる。
現実的な見通しを立てれば、今ここで何かを辞めるべきではない。
にも関わらず、時々自分の罪を思い出しては自己嫌悪に陥ったり、
自分の頭の悪さや無力さを嘆いて勉学から逃れようとする。
ありていに言えばそれだけ僕は暇なのだろう。
くだらない事に悩んでいられるほど、
僕は贅沢な環境で遊んでいるだけの人間なのだと思う。

だけど
それでも。

やっぱり僕には、許せない大人とか、
子供っぽい理想とか、
そういうものに目がいってしまうのだ。
完璧主義なんて生き方は、とうに捨て去ったはずなのだけれど。

わからない。
いつも進むべき道はわからない。
後悔と嘆きの中で、すぐに自分は立ち止まってしまう。
それでも、無作為に携帯電話のアドレス帳を回して、
自分の根拠を探すように、
自分の傍に居る、遠い人たちを考える。思い出す。そしてすぐに忘れる。

僕の存在は儚い。
あと少しの間しか、きっと生きられない。
そうそうのんびりも、していられないはずなのに…

嘆きの壁の手前で、嘆くかどうかさえ、迷っているのが僕の姿なのだ。
喧嘩している時でさえ、相手を殴るかどうか、迷っているのが僕なのだ。

きっといつか、僕にも自分が許せる日が来ると思う。
そのときまでは、ずっと悩む自分でいようと、
子供心に決めた握り拳の自分を観る

指紋をつけるように ぺーじをめくれ!

2009年12月09日 23時29分57秒 | 考え事
現実から逃げ出す為に、
あるいは、現実から目を背けるために、
もしくは、本当に、本物の、支配されない現実を視るために

僕は「テキストの向こう側になりたい」
そう思うことが多々ある、増えた、増えたと感ずるようになった。

そもそも僕がテキストの向こう側にしか居なかった頃は、
こちら側にある現実が全く見えていなかった代わりに、
見えない物だけはしっかりと視えていた、あるいは視えていると感じていた。
こちら側の言葉を使えば、そう思い込んでいた。

あちら側の心と、こちら側の身体を繋ぐ唯一の記号が、
言葉やテキストなんかの、記号の脈々とした流れの中の空白にあると思い込んだりなんか、
していたものだ。

だけどどうだろう。
今の僕は。

すごく中途半端で、テキストを読むことも、
想像を膨らませることも、
それどころか、読むという行為に似た行為はおろか、
向き合うことさえ、避けているんじゃないか?

1Q84を読みたい。
今日、そう感じた。
だが、だけど、そうなんだけど、
それはおそろしい錯覚に似た予感で、
村上春樹の悪意と、僕の悪意を、天秤にかけねばならない。

失敗すれば、向こう側に取り込まれ、
また、こちら側に帰って来れなくなる危険性があるからだ。
それほどまでに、テキストとは恐ろしいものなのだ。あるいは、僕にとって。
見た目だけで判断することは出来ない。
見た目がないから、一次元的な紐状のあやしげな羅列にしか過ぎないから、
返ってそれは、ますますそれはすごい勢いと強さと引力で、
僕をその「拘り」の(こだわり)の中に、あるいは(こだわりの中に)封じ込めるのだ



本が高くて少しだけ安心した。
読まずに居られる、自分への言い訳を、とりあえず今は用意できたから。

本を読むのが、おそろしい。
僕は、テキストの向こう側にいる【僕】がおそろしい。

そして、おそるおそる、現実のページをめくる。

部屋に明かりを灯す人が居なくなった。

2009年10月25日 18時31分38秒 | 考え事
隙間無く敷き詰められた雲と空の模様のゆく先に、
果てを見つけるかどうかは、
自分にとってとても重要な分かれ道だ。
果てのない澄み切った空と、
果てのあるドームの状の空は、
同じ空でありながらも、全く見え方が異なる僕自身の心の移ろ気を表している。

うっすらとしめった水色の芳醇な刺激臭も、
毒のある排気ガスで曇った空気の重みにしか感じられない日は、
空気の振動は心の痛みに繋がっていく。

冷たいありきたりの短い会話を交わして、
僕とクラスメートは何気なく別れた。
それほど親しくなかったことが、
今の僕を支えているとも言える。
もし、もっと心の奥の方に踏み込むような関係だったなら、
とっくに僕の地面は歪んでしまっていたかもしれない。

クラスにいつも明るさを灯す自分勝手な若者が一人消えて、
少しだけ流行色のインフルエンザの空気が側をかすめていく。
あの病気になりそうな空気のにおいが、
辺りいっぱいを包んでいるのが最近の僕の教室だ。

怖いのは日々怠惰な方へ流されてしまいそうな僕の弱さの方ではない。
むしろ、怠惰な生活を送っていた頃は、真剣に何かと向き合い、何かと戦っていたとさえ感じる。

弱さを自覚したくらいでは、弱さは決して消えない。
無責任さも、決意のない濁った方向性も、
すべて僕の日常と共にある当たり前のものでしかないはずなのに。

不思議な思いの中で歩を進めている。
いつか、どこかで、君と道が交差することを、僕は願っている。
病んでいることでしか、光らない眩しい太陽のように。

気持ちの重さ

2009年10月04日 14時39分29秒 | 考え事
過去の重力が強すぎる。

二人のズレを繋ぐ為の手

2009年10月01日 01時16分14秒 | 考え事
自分の弱さと醜さを知っているが故に
僕はいつも自信が無い。

それゆえに、僕は
君に対しても、あの子に対しても、
ただ、責めたり謝ったりする事しかできなかった。
あの子は僕を好きだと言ってくれたけど、
それが嘘であることは暗黙の了解だった。

僕は自分を白日の下に晒すため、
弱さを暴いてあの子を君にしようとした。
でもそれはできなかった。
お互いが嘘を確認して、お互いに少しの痛みを感じた。
唯一、救いとなるのは、
お互いに嘘吐きだったから、お互いを汚し合わずに済んだことだったと思う。
ただ、手を握っただけで、それ以上の事は何もしなかった。

結局、馬鹿であることを確認し合っただけなのだ。
傷つくのが怖いくせに求め合う。
体を重ねるほど、愚かしくも無いし、嘘が上手でもない、
子供たちの握手に過ぎなかったのだ。

明日、君に会ったら、
僕は無視するだろうか、
無視、できるだろうか。

たぶん、君が無視するだろうと思う。
僕はきっと暗く重い面持ちで、
ずっと何かを引きずって歩くのだ。

誰にも話せないことを、誰かに話したくなるのが弱さ。

2009年08月09日 23時19分53秒 | 考え事
過去を思い出す事に、息苦しさを感じている。
自分で自分にかけた呪いに苦しめられているだけなので自業自得なのだけれど
何かのきっかけで少しでも過去のことを思い出すと、
途端にブレーキがかかって、なかなか先に進めない。
過去にずっと拘りとプライドを持ち続けていた頃は、
過去への拘りが、妄想的な思い込みが、自分を投影して、
遙か彼方の未来に、なにがしかの明かりを灯していたようにさえ感じる。
それが失われてしまったということは、つまり、
自分の過去が恐ろしいが故に、未来に触れるのが恐ろしいという
現在の臆病さに収束されていく。

未来の予定を、現実の中で約束で埋めていく
スケジュールを埋めまくって、自分を忙しくさせることで、
僕の今はようやく存続している。

もし、誰とも約束せず、誰からも期待されず、
孤独な自己否定だけがこだますようになれば、
自分は簡単に押し潰されてしまうだろう。

新しい場所で、新しい環境で内面の秘密を語らないで居ること
本音を誰にも打ち明けないで生活できること
親友を作らない代わりに、誰とでも友達で居ること
そうしたことが、現在の曖昧な自分を、柔軟な形で支えている。

おそらくは、本当の事を誰かに話したいし、
弱さを吐露したいんだと思う。
だけど、それはきっとさらなる弱さにしか繋がらない。
きっと、自分の形がぐにゃぐにゃになって、何かに甘えてしまうだけだ。
だから今は、秘密を何も語らない。
話せるのは、ただ漠然と悩んでいる、抽象的で曖昧な日々の出来事だけ。
表面だけを掬うような、簡単に標準語に出来るような、薄っぺらい内面の日本語だけ。

甘い過去に幻想を抱きそうになるたびに、
冷静さに火を点けて、自分の形に、呪いの火が灯される。
輪郭がぐにゃぐにゃになっていって、
自分の軸がねじれそうになる。

真っ直ぐであることは困難だ。
約束を守ることも、
期待に応え続けることも。

今は君と何も話さない。
少しだけ、君のことを思い出して、悔しさをバネにする。
気が狂いそうになっても、きっと冷静な僕で居られる。
君と、話をしない限りは。

記憶と物語の架け橋をして。

2009年07月22日 22時48分52秒 | 考え事
記憶の底から掬い取った、涙を拭うような物語は、
ほんの少し数分前までは、断片的な焦りでしかなかった。
記憶に縛られて出られぬ牢獄であることをやめ、
かと言って魂の溶け合うような現在進行形も見いだすことができず、
ただ、人の側にあることで、そこが現在も現実であると思い続けた。

要するに人が恋しかったのだ。
たとえどんなかすかな感情であれ、
自分とすれ違うちょっとした曇りの表情であれ、
寂しさはいつも垣間見るちょっとした焦りの中に、
たくさんの情動と想いを読み取る事ができるエネルギーだから。

消えてしまうからこそ、現在で居られる物語もある。
決して保存しないことでかかれ続けるメモ帳の文章の殴り書きのように、
そこはいつでも消えてしまうぎりぎりのトラップのような、
かすみゆくあやういふわふわした機械の記憶だからこそ、
その続きを紡いでゆけることだってあるのだ。

珍しい文章を読んだときにねつ造と同じ輪郭で呼び起こされる記憶や物語もあるけれど、
どちらかと言えば、僕は人と出会った数秒間、
特に全く知らない人と出会った数秒間のほうにこそ、濃い強い記憶を、
互いに植えつけあうものだと思う。
それが一瞬の意志の疎通であったのなら、
なおさらそれは強力に、人を縛り付ける呪文の役割を果たすと思うのだ。

そうしたものを、曖昧な現実の臭いが、
打ち消してかき消してくれるのなら、
もはやもうなにもいうまい。
僕が私という道具を通して語りかけなくとも、
全ての声は君に届くし、
現実の要素がすべて物語をバラバラにして説明してしまうからだ。

だが、もし そこで。
現実の力が及ばないような、心のずっと遠くの方で、
君に呼びかけ続ける声があるのなら、
それは死者ののろいと同じような「呪詛の力」で
君の心を遠くへ束縛する。
それは恋と同じような錯覚を生むけれど、
それは決して恋ではない。
それは、届かない自分自身の姿から発せられる、
悲痛な叫びそのものだからだ。

ぼくはそうしたこの世にありもしない不確かだと言われるものに対して、
熱烈な訴えを起こす幽霊と思い込みの対話のようなものに対して、
あるいは精神の障害が引き起こす空耳とか幻聴とか呼ばれる現象に対して、
明確な意志を持って、
【自分自身の姿】だとして鏡から教訓を得てきた。
それは悟りと呼ばれる悟性の断片でもあったし、
友達が一人も居ない孤独な子供の遊び方そのものでもあった。

けれど残念ながら僕にはいくばくかの長い月日と、
友達呼べそうな程度には親しい人たちが居たから、
いつも僕はその狭間でだけ、
誰にも伝える事のできない狭間でだけ、
自分の居場所があるような気がした。

「人と人の間に立ってこそ、人間だと言える道徳や真理のように。」

目障りなものに対してはいつも攻撃的だったように思う。
同族嫌悪なのか、対称的なモノへの恐れだったのか、
あるいは認めたくない自分の欠点を包含する何者かとの対峙とみなしていたのか、
今となっては定かではない。
ただ、その強い攻撃性は、いつでも自分自身の心を傷つけた。
おそらく、同じように、僕と話した人は皆傷ついただろう
だけど、そんなことかまいやしなかった。
僕にはもっと大切なものがあったし、
そういうものの中にある本当の真実を見つけ出し、
その声を聴くことができたなら
本当に大事なことを、誰からも教わらずに悟ることができたのなら。

いつでもそんなささいな罪は、簡単に洗い流されるものだと思っていたからだ。
それは天才という言い訳に縋る凡人の姿のようにもみえるし、
皆既日食を恐れる祈りのようでもあった。
異人はいつでも僕の中にいたし、
いつも遠くから呼びかける怖い声は、
誰もいないときにこそ、真実そのものであったからだ。

大事なことはいつも僕の中にしか無い
大事なことは、いつも人とは共有できない
大事なことは、君を捜している時以外は、いつも僕が孤独であるということ。
同じように鏡合わせに僕を映し出す、類い希な君に会いたかった。
君の想像力や思い込みの中にしか居ない、
ニセモノの僕と僕自身を重ね合わせたかった。
そういう接触の中で偶然生まれるものにしか、
【冷たい理想】を見つけることができなかったから。

もし、人を見る目がきちんと備わっているのなら、
きっと僕が想像するまともな普通の人々たちは。

盲目であることを、おそろしいと感じるだろう。

だけど、僕は盲目そのものを恐れない。
自分が盲目であると気付くことを恐れているだけだ。

「君の中にある強い光が僕を射貫いて、
 僕は自分が子供であることを知る
 大人になることがおそろしい、
 生きることが恐ろしいと感じ始めたとき、
 人はようやく大人になる準備をはじめる。
 出会いの中からしか、始まりの時計が動き出さないように、
 アポトーシスのような存在に気付いたときにこそ、
 ようやく、生き生きとした死を見つけることができるから。」

客観と出会うことが出来なければ、
僕は自分が主観であることにすら、気付くことは無かっただろう。
だから僕は君との出会いを大切にするし、
それをトラウマとして大事に抱え込む
それが成長を阻害する毒や薬のように機能しても、
どんなに強い副作用があっても、
同期する心でしか動かない心臓の痛みがあるから
その痛みの中で、僕は君という現実感を感ずる。
狡い言い方をすれば僕は君のせいにして生きるし、
なにもかもを君のせいにして死んでいく。
メッセージが届かないことにはとうに気付いているし
だけどまだ、僕は書くことをやめないでいるから
もう、これは君にとって僕が呪いであるということにしかならない。

卑屈な矮小さを恥と思うような感覚もとうに薄れてしまったし、
ただもう、ニセモノの君に会いたくて仕方がない。
本物の君の姿なんてもうどうだっていいし、
どうせ側にいたってそんなもの見えやしない。

盲目の僕には。

僕には、この世界に君という絶望感しか映っていない。

ふと気付いてみれば、今日の手紙は誰宛でもない
君どころか、僕にさえ届くことが無い手紙。

そういえば、本を読むことを僕が恐れるようになったのは、
本の作り出す見当違いの現実感に、君が汚されていくのを恐れるようになったせいだろうか。

冷たい時が欠けていく
僕の心を蝕んで、
残りの鼓動を奪ってゆく

明日が僕に、忍び寄っているような感じがする。
この恐怖から逃れたくて、僕は死を選んだのだろうか?

ひねくれたこどもの日

2009年07月14日 22時50分11秒 | 考え事
雨の音に耳を澄ましても、雨の音を聞くことはできない.
太陽の音を、まだ遠くにしか、聞くことができないように。

水をずっと遠くから運ぶ太陽の熱は、もっとずっと遠くから伝わるのに、
水はずっと傍をぐるぐると回ってる。
その音は、まるで遠くであることを苦しみもがいてる僕の世界の鏡のようだったらいいのに。
苦しみを比喩で例えるだけの、哀しみのピエロだったらいいのに。

でもきっと違う。

ただ、僕は遠くにあるものに憧れたいだけなのだ。
まるで何かを考えているように、
考えていない時間を過ごしたいだけなのだ。

起きると曜日がわからないことがある
もっとひどいときは、起きるとどこなのかわからないことがある
更にまれに起こるどうしようもないことは、
起きたときに自分が誰なのかわからなくて思い出すのに時間を使ってしまう。

おそろしいほど希望がない。

その代わりになるのかどうかしらないが、
特別な絶望ももちろん無い。

人が生きることは不思議だ。

僕が生きている事と、同じくらい不思議だ。

特別な絶望を、欲しがる子供だけのこどもの日。

冷たい時の中に居る

2009年07月14日 22時39分32秒 | 詩に近いもの
痛みも悲しみも、苦しみも絶望も無い、ただ、冷たいだけの時の中に居る
酒をかっくらって叫びたいと思うこともある
タバコを吸って毒の煙で肺を満たしたいと思うときもある
だが、僕はそうしない。
これまでも、そんなことはしなかった。
これからも、そのようなことはしないだろう。
そんなことで誤魔化したり、騙そうとしたりしても、
自分を欺くことなど出来ないと知ってしまっているからだ。

それでもただ、あぶくのように浮かんでは消える想いがこすれていく中で
何か大事なものが、とても大事なものがすり減っていくような予感はある。

僕が手に入れたもの、僕が失ったもの、
僕が望んだもの、僕が望まなかったもの、
僕が拒否したもの、僕が受け入れたもの、
そういうものが、僕の傍には、まるっきり足りないのだ。

おそらく何も望んでいない
もう何も必死に欲しがったりしない
期待もしないし、
絶望もしない。

それでもただ、時は雪のように冷たく磨り減っていく
思い出は決して磨り減ったりはしないと信じ込んでいる神様が。」
多くの民衆のぼうっとしたうねりに飲み込まれて殺されていくように。


断末魔の雄叫びをあげることもなく、
ただひたすら雑踏の音にかき消されながら
「人」という呪いに踏みつぶされていくように。

僕はここに居ない。
だから君もここには居ない。

間違った流れでは無い。
単にここには何もないだけなのだ。

そんなことにさえ、言葉はたくさんのへりくつを。

ただ、音だけが、人の闇を満たすように降っていけばいいのに。
与えられたノイズだけが、意志をかき消してしまえばいいのに。
降り積もる想いは、決して消えはしない

それでも僕は、忘れる道を選んだ。
ただ、大人の仮面をかぶるために。

サリンジャー生きてたんだな。

2009年06月02日 20時55分28秒 | 読書
一滴の雫が、ときに世界を滅ぼす事もある。
聖者の涙。悪魔の汗。遠い国からやってくる、絶望の雨。

僕はそういう生き物を知っているし、僕自身、そういう生き物かもしれないと思うことはある
子供たちを滅ぼしてしまいたいほど、絶望にうちひしがれることもあるし、
大人たちを皆殺しにしたいと思うこともある。 僕自身の汚さの内に込めて。

景色に映り込まない遠さに憧れるのは、
太陽の光とともにある、まぶしさに美しさを感じるのと似ている。
誰も届かない、何者も汚すことのできない、圧倒的な敗北の光.
たとえグレーなのか白なのか判別できなくとも、
そこから色を読み取ることができなくとも、真っ直ぐに目を開けて立ち止まっていたいと願う恐怖。
存在の喜びが、痛みに変わる感覚。

JDサリンジャーは、そういう曖昧な何かを、アメリカの文化を土壌にしながら、
まるで日本的な美学を知って生まれた作家のように、
自身の呪いをテキストに埋め込み、敗者への手紙とすることのできる
貴重な作家であったと思う。
それ故に、犯罪者から尊敬される作家でもあったと思う。

僕はサリンジャーの本を一冊読み終えるのさえ、四年もの歳月を要した。
日々が忙しかったと言えばそれで終わるような話だが、
内容が濃すぎて倦怠感を覚える本だったからだ。
それ故に一日数ページしか読むことはできなかったし、
たくさん読めば、しばらくの間陰鬱さが抜けきらない日々を送ることになる、
毒のある薬であった。
だが、決して読むのをもうやめようなどとは、全く思わなかった。

僕はライ麦を読んでも泣かなかった。
胸を掻き毟られるような気持ちにもならなかったし、
感動が喜びの色に染まることもなかった。
ただ間違いなく、これはヒット作であるだろうとは思った。
読者の道を、少しだけずらしてしまうような力を持っていたとしても。


作者については、なんとなく思いを馳せるだけで、
詳しく調べることはなかった。
せいぜい検索エンジンやWikipediaの情報を調べる程度に終始していた。

どこかでちらっと読んだテキストや、噂話のたぐいから、
彼はもうとっくに田舎の農場かどこかで死んだのだと思っていた。
もっとも、このニュースとて、彼が本物かどうかなんて、僕にはわからないのだが。

でもきっと、現実は冷たいから、淡々と事実を語る冷たい機械だから、
きっとこれは本物のニュースなんだろう。
そんな感じがした。

 「僕はニュースを閉じた。」

君の姿を忘れようとしている

2009年04月12日 04時21分49秒 | 
いつも何かを忘れようとしている
忘れているわけじゃない、【痛みに震えて動かないでいること】はもうやめたから。
そうした観念に縛られて、「なにもしないでいること」はもうやめたから。
けれど、忘れることを、やめることはできない。
人は忘れることによって、痛みから逃避するのだとしたら、
間違いなく僕は、逃げている方の部類に入るだろう。
だけどもし、君が戦うことを選ぶなら、僕もきっとそれを応援しながら、
戦う方に少しずつ向いていくんだろう。

だけど僕は忘れている
いつも何かを、大事なことを、本当につらいことを、考えることを、
そしてまた、君と戦うことを忘れている。

こころで向き合うことができなくなったんじゃないかと
気になったり不安になったりする
僕は僕自身と真剣に向き合うことができているだろうか?
おそらく、できていないから、君を忘れる道を選ぼうとする。
それでもまだ、なにかが、僕の糸を引く。
僕を立ち止まらせようとする。

切り捨てる道を選ぼうとする。
それでもまだ、選ぼうとするだけでは、『切り捨てる』ことはできない
同じように、忘れようとすることでしか、
忘れているフリをすることはできない。
結局それは、自分を欺いていることにしかならないからだ。

なにかが僕に語りかける
 「私と心で向き合って!」

痛い言葉だ。
突き刺さる言葉だ。
ずっと僕の中で、忘れられない言葉だ。
この言葉を忘れない限り、きっと君を忘れる事ができない。
そしてまた、僕が心を置き去りにして何もかもを忘れない限り、
あらん限りの力で人であることを忘れない限り、
君のことを忘れることはできないんじゃないかと、嘆きそうになる。
それを振り切って、
ただ、現実の日常の中に埋没していく...

君が心をくれたことには感謝している
そしてそれが痛みを伴うものであることにも感謝している
だけど僕は、矛盾し続けながら、その痛みから逃げている。

もう一度、君と向き合う日がくるとしたら、
そのとき僕は、どんな大人になっているだろう。
そしてまた、どんなこどもでいるだろう。

忘れるだろうか?
ぼくはきみをわすれるだろうか?

憶えているだろうか?
きみはぼくを、大人になった僕を、覚えているだろうか?
僕には見えない。
大人になった君の姿が見えない。
それはとても怖いもので、とても幸せそうな顔をしていそうな破滅だから。
鈍い痛みを思い出しながら僕は去る。

僕は幸せな場所には痛く(居たく)ない。
ただ、幸せでありたいだけなのだ。
僕は人を幸せにしたいんじゃない
僕は自分が幸せになりたいだけの子供なのだ。

もう一度、エゴを呼び戻す。
君と戦った日々を、
君に負け続けている現実を、
滅びの白い世界を。

もし、君の中にかすかな痛みを感じる何かがあるとしたら。
それが、きっと今の僕の姿だ。

僕はその中間を生きている。

2009年04月01日 20時52分14秒 | 考え事
妄想が妄想であると気づくためには、妄想を一度真剣に浴び抜けた後、
そこに何も無いほどのがらんどうと絶望を備えていねばならない。
いわばそれが真剣に現実と等価値のものかどうか、
生と死のアンバランスさを揺り動かして真剣に世界と僕との天秤を揺らすものかどうか、
確実に死で蝕まれていく生と、
確実に妄想で染まっていく現実とのゆらめきの中で、
僕が意識する世界が、ほんとうにちっぽけでゴミ同然のものかどうか、
確かめる必要があったと思うのだ。

確かめる必要が、あった。

嘘を嘘とするために必要なのは真実が何か知っていなくてはならない。
比較対象となるほどの、切実で、大切な何かがそこに前提とされねばならない。
同じように、客観性で満たされるためには、
君たちが、僕と同じ身体で出来ているのか、
僕と世界と君たちが、同じ欠片から組成されるものかどうか、
なにがしかの繋がりにおいて、確かめなくちゃならないんじゃないのか?

その繋がりを確かめるために、
僕は君たちに、必死で手紙を書いた。
君たちの中から、君が選び出されたことは知ってる。
何人かの君が、僕の中からあぶり出されて、君と呼ばれる何かに触れそうになったり、
重なりそうになったりした。
何人かは真剣に僕の言葉を読んだし、
僕もまた、その何かに対して、もっと奥に見える何かに対して、
必死に向き合おうとしてきた。

そういうものは、期限とともに無慈悲に壊れていって、
やがてここには廃墟が残った。

しばらく僕は、君について考えることをやめた。
ここについて考えることも、ここに何かを書こうとすることもやめた。
嘘が嘘であるためには、ここがしっかりとした「廃墟」である必要があったからだ。

今一度、また過去と同じように続きを書くつもりは無いだろうと思う。
僕はもう冷静に、君と僕との間にハッキリとした境界線を敷けるほどの、
くっきりとした輪郭を手に入れてしまったから。
ぼやけてかすんでいた日常に輪郭が戻り、
僕が君と僕のどちら側なのか混乱することさえ、
なくなってしまったから。

こちら側に僕が残ったことは、
そちら側に手紙を書くことをやめる理由にはならない。
しかし、届かないという自覚、伝わらないという自覚、
より一層隔てられた現実、蒙昧とした知的な好奇心の薄れ、
多種多様な僕との出会いという行為の諦め
そうした変遷と死が繋がってしまったということでもある。

死について真剣に悩むことができるのは、生きている者だけだ。
死を体感し続ける生があったとしても、死に到達してしまったものはもうここには居ない。

それが、決別と呼ばれるものなんだろう
あるいはまた、決別と呼ばれるべきなんだろう。

振り返り、かすんでいく君を何度も確かめる。
何度も思いだし、何度も痛みを感じる
内側からの痛みと、外側からの痛みを比較する。
僕はまだ、内側からの痛みの方が痛い。
ある程度まだ、僕は子供でいるということか、
あるいは、もしくは、子供でいたいという甘えなのか。

もし、このまま記憶を許すことができるほど君を思い出して、
どれだけ思い出しても君に痛みを感じないほどに記憶が鮮明に壊れてしまったのなら。
その恐怖こそが、現実に【現実】が【僕】に勝ったことの証。
君が失われたことの証、僕が居なくなってしまったことの証明。

まだ大丈夫。
今は、思い出すだけで君の存在が痛い。
振り返ることをやめるときは、君をまっすぐにみているときか、
それとも、君をまっすぐ見つめることはとうに諦めてしまったときなのか、
今はまだわからない。
今はなんとなく君が生きているような気がしているけれど、
同じようになんとなく僕が日常を平和と感じているだけの
続きの延長線に、君が重なったり離れたりする可能性を感じているだけか。

等価な存在に憬れた。
君を現実と遠く離れた場所にだけ見つけ出して、
勝手に神格化して泣き叫んだ。
現実の中に、日常の中に君を見いだすことはなかったが、
現実であるがゆえに出会うことは出来た。
一緒に遊ぶことも、歌うことも空気をふるわせることもできた。
今はもうできない。
あるいは、もうしないと、したら苦しいと考えたり予想したりする僕が居る。
痛みに触れることに真剣であった僕が居ない。
たとえ君を壊してでも真剣に触れたいと願う僕がいない。

でも、なんとなく祈り続ける僕がいる。
それは甘えだろうか、記憶の余韻か。
それとも、それこそが僕の妄想か。

そういえば、君を諦めることを囁いた人は、
不思議と僕の周りから消えていった。
僕が突き放したのか、僕が彼らを現実に突き落としたのか、
それとも、彼らの心が耐えられなかったのか?
そのことに絶望はない。
真剣に彼らを呼び戻そうと願う僕も居ない
そしてまた、彼らと等価値の何かもまた、僕は側に見つけることができない。

ふと、思い出した。
僕が欲しがっていたのは、君のような熱いエゴ、
業の塊、いわば君の真剣な生き汚さのようなものじゃなかったか?
そして今の僕に足りないのも、
そういったハングリーさに繋がる何かじゃないか?
あるいは、生きることに埋没していられるアホさ加減とか、
幸せそうに何も考えないでいられる笑い顔とか、そういったものか?

客観と客体の違いもまだわからないや。
秘密と共有の線引きくらいは、できているような気がしても、
同じようにまた、暗黙知を押しつけるような秘密は、
嫌気がさすような大人の生き汚さか?

僕が立っている位置もまた、大人のそれか?
誇り高く死ぬことができなかったものはみな、等しく大人なのか?
振り返って子供の頃の昔話ばかりするのが大人か?
わかってないことをわかったフリするのが大人か?

僕はなんだろう
僕は今、真剣になにをやってるんだろう。
句読点を打つことにさえためらい、
自分の呼吸と違う文章を嫌い、
異なる言語や文化に憬れながら理解できず、
触れることを諦めている僕はいったいなんだろう。

嘘を真剣に検討した。
ここで暴かれる真剣に八つ裂きされる君の正体や、
僕の言葉からぎりぎりの嘘を読み取ろうとする君の馬鹿さ加減や、
僕という暴力の正体や、
まっしろに描かれるものへたどり着けないいらだちや、
他意識と俺と中間の僕と、隔たりから切り離した君や、
くっついたりはなれたりするあやしげな可能性についても考えた。
いまもまだ考えている。
結論は触れられないという自覚以外にまだ何もない。
それは世界から僕を切り離すという行為の、
一時的な切断面から見た視座の、
空虚な思い込みに過ぎないとしても、
僕はとりあえずそれを客観と呼ぶ。
(僕はそれをとりあえず客観とよぶ)

甘い日常に憬れたりはもうしない
けれど激しく絶望的な空白の虜になったりもしない。
僕はその中間を生きている。
僕はたぶん、君たちが思い出してくれる間だけ、ここに生きていられる。

触れられる行為の中でだけ生きている
死に到達できずに日常に縛られた間だけ生きている
ぶざまに大人と子供に囲まれたあいだだけ生きている
君に殺されることを諦めている間だけ生きている
僕が自暴自棄に逃げ出さない間だけ許されている
ぐるぐる巻き戻って同じ過ちを繰り返すあいだだけ生きている
天国も地獄も存在しない煉獄の区間だけ生きている
ふたりでもひとりでもない孤独をあじわう間だけ生きている
すばらしいこともうれしいこともたのしいことも気づかないでいられる時は生きている
幸せと独りの関連性に気づかない僕は生きていられる

おそらくは、きみがこれを読んでいる間だけ、その儚さとともに。
多くの犠牲になった時間の上に。

かみ砕かれていく約束の前で。

2009年02月21日 22時20分03秒 | 
作られ続けていく約束の中で
僕は君の心を破り捨てようと努力する
そんなものを努力と呼んでいいのかもわからないが
ほかに僕が今できそうなことが見つからない

苦しいと思うことは何度もある
誰にも出会えないし、
何も掴むことはできないから。

それでも、僕がここに居る限りは、
きっと未来で、新しい約束を作り出すんだろう。

約束。
破り捨てられた僕の気持ち。

約束、
打ち捨てられた僕の廃墟。

約束.
死んだ人に向けて送られる、生者からのラブレター。


君はいつも死んだままでここに居る。
決して僕と、話すことはないままに。

宛先を見失った手紙の中で

2009年01月31日 19時27分31秒 | 詩に近いもの
宛先を失なった手紙の中で、僕はもう一度涙の音の中で君の音を探す。
音の中に埋もれてしか、君の声が届かないように、
僕はずっと日常の中で君のことを忘れている
忘れているからこそ
僕は恥ずかしげもなく現実に浸っていられる
君を思い出すと僕はつらくなる

約束を破って生きている申し訳なさが少しちらついて、
弱い心は僕の背中を押そうとする。

正直言えば
今でも僕はわからない
君に会えた事は、僕を強くしたのか、それとも弱くしたのか。
ひとつ思い出すのは 君が弱くなるたび 僕は君を助けずにはいられなかったこと、
普段は強そうな君が、ときどき僕に弱さを見せて近付いてきてくれたこと。
その弱さに、僕は皮肉混じりの弱さでしか応えられなかったこと、
生物として、雄としてこれからを生きる自信がまるでなかったこと。

今の僕を思い返す。
冷静な目で、自分を見ようとする。

会いたい人が過去の君しか思いつかない自分にがっくりする。
僕は愚かな男だ。そして恥ずかしい男だ。
君を救えなかった弱さが、今も呪いとして燻っていることを思うと、
立ち止まる自分の姿ばかりが目に浮かんで、
僕は半ばやけっぱちの逃避行のように、
自分という駒を未来に捨て去りたくなる。

未来に逃げ込みたいんだと思う

明るくもない未来の幅を、精一杯広く照らして
誰にでも優しい自分を演じる。

声をかけてくれる人にだけ甘えようとする。
そして傷つけるほどの勇気も持てず、人の側を少し離れる。

ずっと同じことを繰り返しそうな自分にぞっと怯える。
多分、僕は誰のこともどうでもいいんだと思う。
だけど、もしかして、君だけは僕が自分よりも大切に出来るんじゃないかと疑って、疑って、疑ったんだ。

ただ、僕は君の存在を疑ったんだ。
















話をしよう。

ずっと未来の昔話をしよう。

一緒に行きもしない旅行の話をしよう。

生まれるはずのない子どもの話をしよう。

叶いそうもない夢の話をしよう。

出るはずのない、僕たちの遠い真っ黒な葬式の話をしよう。

切り裂かれた、暖かい家族の話をしよう。

僕が失なった目の話をしよう。

それがずっと、頭痛の夢になるように!

罰を受けるように明日を待つ幸せの中で。

2008年11月15日 21時33分36秒 | 
もし、苦しむ事で、人が何かの罪をあがなえるのだとしたら
僕は何をあがなうのだろう。
僕はここで、どんな贖罪とともにあるのだろう。

多くの人を傷つけてきた事は知っているけれど
それが直接僕を苦しめ、死に至らせるとは思えない
だけど、ただ漠然とそこにあり続けることを、
許せてしまうほど、僕は広い心を持ってはいない。

罪深い人間であることは知っている
人が生まれながらに持っている、野心的で、業の深いありようを、
好きになることも、嫌いになることもできないでいる
できないでいることが、やっと僕を僕として認めていられる。

もし、僕が自分の全ての欠点を許してしまい、
何もかもを認める事ができるなら、
むしろ僕はそれを堕落と感じるだろう。

だけどもし、このままずっと僕が僕のままで居る事を許されないのなら
ならばどうして、僕は他者をゆるせることに繋がるというのか、
あるいはまた、僕は他者を、許した事など、一度でもあったのだろうか?

めざとく面白いものを見つけて走る。
興味深い今だけを見つめていたいから、
僕は他人の意見なんかよりも、僕の感情を大事にしたいと思う。

未来というあやしげな他者がすり寄ってきても、
まだ何も知りたくないし、溶け合いたいとも思えない。
むしろただ、嫌悪感と共に、離れたいという気持ちの方が、今はずっと大きいだろう。

それでも僕は、明日を求めずには居られないのか。
明日を待つことでしか、僕は今を過ごす事に耐えられないのか。

昨日をずっと大事にしてきた。
昨日、ずっと遠い昔にした約束だけを、ずっと大事に抱える事が、
誠実さに繋がると信じていた。

約束は破られた。
他者の弱さと、わからない僕の心と、あまりにも巨大な現実に勝てないでいる、
ただそこにあるだけの呆然とした僕の無能さと、
白日の下に晒された、僕の卑怯さとともに。

嘘を愛する事はできない。
認める事も、許すことも、あがなうこともままならない。
それでも僕は現実の中で、中に浮いたままぽつんと今を見ている。
あり得ないような夢の続きも、現実の判断もおぼつかないまま、
灯籠のような現実と、過ぎ去るだけの夢を見ている。

「ずっと僕は 【 目 覚 め な い。】」

その深刻さだけが、僕を死んだような生の中で焦らせてゆく。
ジッと鈍い息を吐きながら、誰にも見つからないようにやり過ごす。
現実に見つからないように、ひたすら夢の中に隠れ続ける。
その暗闇に潜むありようこそが、

きっと僕の罪なのだと思う。