難解な文章を読んでいる時、絶望的な解釈に打ちのめされる
そもそも僕が、あるいは僕らが、文章という気味の悪い一本筋の奇妙な記号の羅列と出会うとき、
それは前から読まなくちゃいけない、という思い込みほど邪魔なものはない。
かつて記号という化け物が、アナグラムと共に分散して世に君臨したとき、
一つだけの解釈を持って言葉と出会おうとしたものは、
おそらくそれを読み解く事ができなかっただろう。
だけど僕がねじまげて読んでいくアーキテクトの壁は、
文章を読むに当たって、知らず知らずのうちに、正解を知ろうという想いに駆られながら、
その切実な鬼気迫る表情に従って、
隷獣のように、
僕は、ただ言葉を繰り返し読むだけである。
どんな遺書も、作者の思いを気取られる心配が要らない。
作者はすでに失われているからだ。
だったらその遺書を読む読者は、結局そこには自分を読み取ることしかできないのだとしたら。
もし、ある種の技術的文書が、
全く正解を持たないまま、ただ語り継がれる伝承の桃太郎のように、
単なるあやふやな雷土(いかづち)のようなあやかしの語り部の囁きだとしたら、
まったくもって、技術は技術としてこの世界に楼閣を築くことはできないし、
砂上の楼閣は、ただしっかりと世界に闇の根を張って、
難解さで固く結ばれた紐も、知恵の輪のように解かれていく、
奇跡の振動の前に、全く持って、無力にちぎれていく。
だから僕は、遺書が決して君に読み取られる事が無いように、
いつもいつも、違う時代から君に向けて。
ただ、光陰の矢のように駆け抜ける衝撃の中で
痛みだけが伝わり、意味は決して伝わらないように。
ただ、存在だけが明確化して、決して正しさは伝わらないように、
僕だけの正しさを、ここに記す。
どれだけ書いても、遺書が遺書としての性質を持つためには、
作者は、最初から失われていなくてはならない。
同じように、この遺書を読むにあたっては、
読者からは、意志がすでに失われていなくてはならない。
だからきっと君たちには、
『僕以外』の意味を持つ君たちには、決して僕の姿は映り込まない。
それが悲しい。それが嬉しい。
それがただ、僕をここに立ち止まらせる。
最後の日、いつも僕は最初から最後を決めている最後の日、
その妄想のように僕に語り継がれ、僕によって取り出され、
今日、現実になっていく最後の日、
僕たちは決して出会うことが無い。
ただ、この場所の扉を開いて、あの場所におちていく。
満たされない想いを抱えながら、この世を恨んで死んでいくような自殺にはもう飽きた、
何度僕の細胞が死んでも、また新しい老化と共に、僕の死は繰り返されていく。
なら僕は、君と出会うような、僕をバラバラに破壊するような、
僕自身の首を絞めるような、そんな自殺にはもう出会いたくない。
僕はもっと、満たされた僕たちの許しの中で、
僕を許すようにゆっくりと死んでいきたい。
意味が無いと知りながらも、明日へ希望を託すような愚かさに包まれて、
僕だけは、明日を希望しないように、絶望を手がかりにするように、
戒めるように、死と生を張り合わせて狭間でありつづけてきた。
なにもないと知りながらも、誰もいないと知りながらも、
ただ、誰かに自分を見せたくて、みんなに僕を証明したくて、
どんな正しさも屈服するような弱さを見せてやりたくて、
僕はこの場に居続けた。
与えられた生なんか必要ない。
恵まれない者たちに向けられる同情のような愛も必要ない。
偶然も必然もぐちゃぐちゃに壊されていくような、
そんな溶け合った羊水のような世界を泳いでいたいから、
僕は、そして君のような僕たちは、永遠に、逃げ込もうとした。
でも、もう許さない。
永遠であることは、許されない。
破壊されるべきだ。
君が、僕を殺すべきだ。
今日、ここで。
なぜなら、いま、
僕は君と、出会えなかった。
激しい痛みも、泣くような悲鳴も、狂おしい感動も、
全く何も感じなかった。
だから、
ここで遺書を捨てていけ。
意味は失われた。
信用も、信頼も、想いも、気持ちも、心も、志も、およそ大切とおもわれそうな情のなにもかもは、
嘘と結婚して虜になったよ。
全部フィクションになったんだ。
あれほど真剣に書いてきたものに、もう何の価値も感じないから、
もうここへは来れない。
さようなら、死にそうな僕。
さようなら、死にかけた僕。
さようなら、そして死んでしまった僕。
もう終わりにしよう、こんなくだらない、偽物の文化の遺産は。
想像もしていなかった。
僕がなにも、発見できないまま、僕を見失うなんて。
現実だと思いたくなかった、
僕がいなくても、平気でまわっていく日常だけがそこにあるって。
壊したくなかった。
僕を守り続けた、空っぽの、心ない空洞の残響音を。
気持ちのこもってしまわない言葉で宣言します。
僕は書くことをやめます。
考える事も、悩むことも、BLOGを記すことも、誰かに気持ちを伝えようと、
必死であがくことももうやめます。
新しい自殺を探す事ももうしなくていい
意味も価値も失われたままでいい。
最後の日は、どしゃぶりの雨のままでいい。
泣きたい気持ちでうずくまってもいい。
ママの母乳にぶらさった幼児が二度と目を開けない屍であってもいい。
大事なことは、外に一切期待しないことだ。
耳を塞いだまま、誰の声も届かない僕の姿を想像して笑った。
ずっと何も変わらない。
最初から一人だった。
最後まで一人であるべきだ。
こんな簡単なことにさえ、僕は気づこうともしなかったのか。
理由は無くなったけれど、僕は君の言葉を聞いたよ。
記憶の中で、古い僕の言葉を聞いたよ。
「自分は見つかりませんでした!」
みんなの前で、大きな声ではきはきとしゃべった。
胸を張って自信ありげに声高らかに。
ほがらかに、ときどきほくそえんで。
くすりとも笑わなかった。
思えば当たり前のことなのか。
不思議な花を見ている気持ちにありふれる。
いまここで、僕がからっぽであることがうれしい。
ヨダレを垂らして廃人のようなフリをしていられる平和ぼけの頭もたのしい。
少しだけ、キリっと口を結んで
僕は言った。「以上です。」
そもそも僕が、あるいは僕らが、文章という気味の悪い一本筋の奇妙な記号の羅列と出会うとき、
それは前から読まなくちゃいけない、という思い込みほど邪魔なものはない。
かつて記号という化け物が、アナグラムと共に分散して世に君臨したとき、
一つだけの解釈を持って言葉と出会おうとしたものは、
おそらくそれを読み解く事ができなかっただろう。
だけど僕がねじまげて読んでいくアーキテクトの壁は、
文章を読むに当たって、知らず知らずのうちに、正解を知ろうという想いに駆られながら、
その切実な鬼気迫る表情に従って、
隷獣のように、
僕は、ただ言葉を繰り返し読むだけである。
どんな遺書も、作者の思いを気取られる心配が要らない。
作者はすでに失われているからだ。
だったらその遺書を読む読者は、結局そこには自分を読み取ることしかできないのだとしたら。
もし、ある種の技術的文書が、
全く正解を持たないまま、ただ語り継がれる伝承の桃太郎のように、
単なるあやふやな雷土(いかづち)のようなあやかしの語り部の囁きだとしたら、
まったくもって、技術は技術としてこの世界に楼閣を築くことはできないし、
砂上の楼閣は、ただしっかりと世界に闇の根を張って、
難解さで固く結ばれた紐も、知恵の輪のように解かれていく、
奇跡の振動の前に、全く持って、無力にちぎれていく。
だから僕は、遺書が決して君に読み取られる事が無いように、
いつもいつも、違う時代から君に向けて。
ただ、光陰の矢のように駆け抜ける衝撃の中で
痛みだけが伝わり、意味は決して伝わらないように。
ただ、存在だけが明確化して、決して正しさは伝わらないように、
僕だけの正しさを、ここに記す。
どれだけ書いても、遺書が遺書としての性質を持つためには、
作者は、最初から失われていなくてはならない。
同じように、この遺書を読むにあたっては、
読者からは、意志がすでに失われていなくてはならない。
だからきっと君たちには、
『僕以外』の意味を持つ君たちには、決して僕の姿は映り込まない。
それが悲しい。それが嬉しい。
それがただ、僕をここに立ち止まらせる。
最後の日、いつも僕は最初から最後を決めている最後の日、
その妄想のように僕に語り継がれ、僕によって取り出され、
今日、現実になっていく最後の日、
僕たちは決して出会うことが無い。
ただ、この場所の扉を開いて、あの場所におちていく。
満たされない想いを抱えながら、この世を恨んで死んでいくような自殺にはもう飽きた、
何度僕の細胞が死んでも、また新しい老化と共に、僕の死は繰り返されていく。
なら僕は、君と出会うような、僕をバラバラに破壊するような、
僕自身の首を絞めるような、そんな自殺にはもう出会いたくない。
僕はもっと、満たされた僕たちの許しの中で、
僕を許すようにゆっくりと死んでいきたい。
意味が無いと知りながらも、明日へ希望を託すような愚かさに包まれて、
僕だけは、明日を希望しないように、絶望を手がかりにするように、
戒めるように、死と生を張り合わせて狭間でありつづけてきた。
なにもないと知りながらも、誰もいないと知りながらも、
ただ、誰かに自分を見せたくて、みんなに僕を証明したくて、
どんな正しさも屈服するような弱さを見せてやりたくて、
僕はこの場に居続けた。
与えられた生なんか必要ない。
恵まれない者たちに向けられる同情のような愛も必要ない。
偶然も必然もぐちゃぐちゃに壊されていくような、
そんな溶け合った羊水のような世界を泳いでいたいから、
僕は、そして君のような僕たちは、永遠に、逃げ込もうとした。
でも、もう許さない。
永遠であることは、許されない。
破壊されるべきだ。
君が、僕を殺すべきだ。
今日、ここで。
なぜなら、いま、
僕は君と、出会えなかった。
激しい痛みも、泣くような悲鳴も、狂おしい感動も、
全く何も感じなかった。
だから、
ここで遺書を捨てていけ。
意味は失われた。
信用も、信頼も、想いも、気持ちも、心も、志も、およそ大切とおもわれそうな情のなにもかもは、
嘘と結婚して虜になったよ。
全部フィクションになったんだ。
あれほど真剣に書いてきたものに、もう何の価値も感じないから、
もうここへは来れない。
さようなら、死にそうな僕。
さようなら、死にかけた僕。
さようなら、そして死んでしまった僕。
もう終わりにしよう、こんなくだらない、偽物の文化の遺産は。
想像もしていなかった。
僕がなにも、発見できないまま、僕を見失うなんて。
現実だと思いたくなかった、
僕がいなくても、平気でまわっていく日常だけがそこにあるって。
壊したくなかった。
僕を守り続けた、空っぽの、心ない空洞の残響音を。
気持ちのこもってしまわない言葉で宣言します。
僕は書くことをやめます。
考える事も、悩むことも、BLOGを記すことも、誰かに気持ちを伝えようと、
必死であがくことももうやめます。
新しい自殺を探す事ももうしなくていい
意味も価値も失われたままでいい。
最後の日は、どしゃぶりの雨のままでいい。
泣きたい気持ちでうずくまってもいい。
ママの母乳にぶらさった幼児が二度と目を開けない屍であってもいい。
大事なことは、外に一切期待しないことだ。
耳を塞いだまま、誰の声も届かない僕の姿を想像して笑った。
ずっと何も変わらない。
最初から一人だった。
最後まで一人であるべきだ。
こんな簡単なことにさえ、僕は気づこうともしなかったのか。
理由は無くなったけれど、僕は君の言葉を聞いたよ。
記憶の中で、古い僕の言葉を聞いたよ。
「自分は見つかりませんでした!」
みんなの前で、大きな声ではきはきとしゃべった。
胸を張って自信ありげに声高らかに。
ほがらかに、ときどきほくそえんで。
くすりとも笑わなかった。
思えば当たり前のことなのか。
不思議な花を見ている気持ちにありふれる。
いまここで、僕がからっぽであることがうれしい。
ヨダレを垂らして廃人のようなフリをしていられる平和ぼけの頭もたのしい。
少しだけ、キリっと口を結んで
僕は言った。「以上です。」