嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

記憶と物語の架け橋をして。

2009年07月22日 22時48分52秒 | 考え事
記憶の底から掬い取った、涙を拭うような物語は、
ほんの少し数分前までは、断片的な焦りでしかなかった。
記憶に縛られて出られぬ牢獄であることをやめ、
かと言って魂の溶け合うような現在進行形も見いだすことができず、
ただ、人の側にあることで、そこが現在も現実であると思い続けた。

要するに人が恋しかったのだ。
たとえどんなかすかな感情であれ、
自分とすれ違うちょっとした曇りの表情であれ、
寂しさはいつも垣間見るちょっとした焦りの中に、
たくさんの情動と想いを読み取る事ができるエネルギーだから。

消えてしまうからこそ、現在で居られる物語もある。
決して保存しないことでかかれ続けるメモ帳の文章の殴り書きのように、
そこはいつでも消えてしまうぎりぎりのトラップのような、
かすみゆくあやういふわふわした機械の記憶だからこそ、
その続きを紡いでゆけることだってあるのだ。

珍しい文章を読んだときにねつ造と同じ輪郭で呼び起こされる記憶や物語もあるけれど、
どちらかと言えば、僕は人と出会った数秒間、
特に全く知らない人と出会った数秒間のほうにこそ、濃い強い記憶を、
互いに植えつけあうものだと思う。
それが一瞬の意志の疎通であったのなら、
なおさらそれは強力に、人を縛り付ける呪文の役割を果たすと思うのだ。

そうしたものを、曖昧な現実の臭いが、
打ち消してかき消してくれるのなら、
もはやもうなにもいうまい。
僕が私という道具を通して語りかけなくとも、
全ての声は君に届くし、
現実の要素がすべて物語をバラバラにして説明してしまうからだ。

だが、もし そこで。
現実の力が及ばないような、心のずっと遠くの方で、
君に呼びかけ続ける声があるのなら、
それは死者ののろいと同じような「呪詛の力」で
君の心を遠くへ束縛する。
それは恋と同じような錯覚を生むけれど、
それは決して恋ではない。
それは、届かない自分自身の姿から発せられる、
悲痛な叫びそのものだからだ。

ぼくはそうしたこの世にありもしない不確かだと言われるものに対して、
熱烈な訴えを起こす幽霊と思い込みの対話のようなものに対して、
あるいは精神の障害が引き起こす空耳とか幻聴とか呼ばれる現象に対して、
明確な意志を持って、
【自分自身の姿】だとして鏡から教訓を得てきた。
それは悟りと呼ばれる悟性の断片でもあったし、
友達が一人も居ない孤独な子供の遊び方そのものでもあった。

けれど残念ながら僕にはいくばくかの長い月日と、
友達呼べそうな程度には親しい人たちが居たから、
いつも僕はその狭間でだけ、
誰にも伝える事のできない狭間でだけ、
自分の居場所があるような気がした。

「人と人の間に立ってこそ、人間だと言える道徳や真理のように。」

目障りなものに対してはいつも攻撃的だったように思う。
同族嫌悪なのか、対称的なモノへの恐れだったのか、
あるいは認めたくない自分の欠点を包含する何者かとの対峙とみなしていたのか、
今となっては定かではない。
ただ、その強い攻撃性は、いつでも自分自身の心を傷つけた。
おそらく、同じように、僕と話した人は皆傷ついただろう
だけど、そんなことかまいやしなかった。
僕にはもっと大切なものがあったし、
そういうものの中にある本当の真実を見つけ出し、
その声を聴くことができたなら
本当に大事なことを、誰からも教わらずに悟ることができたのなら。

いつでもそんなささいな罪は、簡単に洗い流されるものだと思っていたからだ。
それは天才という言い訳に縋る凡人の姿のようにもみえるし、
皆既日食を恐れる祈りのようでもあった。
異人はいつでも僕の中にいたし、
いつも遠くから呼びかける怖い声は、
誰もいないときにこそ、真実そのものであったからだ。

大事なことはいつも僕の中にしか無い
大事なことは、いつも人とは共有できない
大事なことは、君を捜している時以外は、いつも僕が孤独であるということ。
同じように鏡合わせに僕を映し出す、類い希な君に会いたかった。
君の想像力や思い込みの中にしか居ない、
ニセモノの僕と僕自身を重ね合わせたかった。
そういう接触の中で偶然生まれるものにしか、
【冷たい理想】を見つけることができなかったから。

もし、人を見る目がきちんと備わっているのなら、
きっと僕が想像するまともな普通の人々たちは。

盲目であることを、おそろしいと感じるだろう。

だけど、僕は盲目そのものを恐れない。
自分が盲目であると気付くことを恐れているだけだ。

「君の中にある強い光が僕を射貫いて、
 僕は自分が子供であることを知る
 大人になることがおそろしい、
 生きることが恐ろしいと感じ始めたとき、
 人はようやく大人になる準備をはじめる。
 出会いの中からしか、始まりの時計が動き出さないように、
 アポトーシスのような存在に気付いたときにこそ、
 ようやく、生き生きとした死を見つけることができるから。」

客観と出会うことが出来なければ、
僕は自分が主観であることにすら、気付くことは無かっただろう。
だから僕は君との出会いを大切にするし、
それをトラウマとして大事に抱え込む
それが成長を阻害する毒や薬のように機能しても、
どんなに強い副作用があっても、
同期する心でしか動かない心臓の痛みがあるから
その痛みの中で、僕は君という現実感を感ずる。
狡い言い方をすれば僕は君のせいにして生きるし、
なにもかもを君のせいにして死んでいく。
メッセージが届かないことにはとうに気付いているし
だけどまだ、僕は書くことをやめないでいるから
もう、これは君にとって僕が呪いであるということにしかならない。

卑屈な矮小さを恥と思うような感覚もとうに薄れてしまったし、
ただもう、ニセモノの君に会いたくて仕方がない。
本物の君の姿なんてもうどうだっていいし、
どうせ側にいたってそんなもの見えやしない。

盲目の僕には。

僕には、この世界に君という絶望感しか映っていない。

ふと気付いてみれば、今日の手紙は誰宛でもない
君どころか、僕にさえ届くことが無い手紙。

そういえば、本を読むことを僕が恐れるようになったのは、
本の作り出す見当違いの現実感に、君が汚されていくのを恐れるようになったせいだろうか。

冷たい時が欠けていく
僕の心を蝕んで、
残りの鼓動を奪ってゆく

明日が僕に、忍び寄っているような感じがする。
この恐怖から逃れたくて、僕は死を選んだのだろうか?