よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

高札場-三重県亀山市:関宿

2024年11月13日 | 大阪(大阪市内)
Old Seki Post Town, Kameyama City, Mie Pref.

さてさて、ワタクシは関宿の町並みを、さらに西へ西へと歩いて行きました


街道脇に「高札場」がありました。高札とは、幕府が定めた法度や掟書などを板に記したもので、高札を掲げた場所が「高札場」です。
人々に周知徹底することが目的ですから、宿場の入口や中心部など、往来が多く目立つ場所に設けられました


もともと江戸時代にあった高札場は、明治10年に取り壊されたしまいました。
現在の高札場は平成16年3月、関宿が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されて20周年の記念として復元されたものです


『東海道宿村大概帳』によると、関宿高札場には八枚の高札が掲げられていたそうです。
その内容は、生活にかかわる様々な規範、キリシタン禁令や徒党・強訴などの禁止といった幕府の禁令、
隣接宿場までの人馬駄賃の規定だったということです


高札で一番有名なのは、徳川家光が出した「慶安の御触書」ではないでしょうか。
農民の生活を統制するために書かれたものですが、これがまぁ面倒くさい内容なんですよ


主な内容は、「幕府の出す法令を守り、役人に従うこと」、「朝から晩まで、常に気を抜かないで仕事に励むこと」、
「麦・粟・稗(ひえ)などの雑穀を食べて、米を食いつぶさないようにすること」、「衣服は、麻と木綿に限ること」などです


ご存知のように幕府や藩は、農民が生活のゆとりを残せないほど、厳しく年貢を取り立てました。
「百姓は、生かさぬように、殺さぬように」あるいは「百姓と胡麻(ごま)の油は、絞れば絞るほど出るものなり」という言葉が、
それを物語っていますな。ワタクシの先祖は間違いなく農民ですので、苦しい生活だったことでしょう


「志ら玉」と書かれていますが、志ら玉とは北海道産小豆で作ったこし餡を上新粉の生地で包んだ素朴な生菓子で、
関宿の名物なんですよ。ただ、ワタクシは甘いものに興味が無いので食べたことはありません


ここは「會津屋」というお店なのですが、もともとは東海道関宿を代表する旅籠のひとつだったんです。
現在は「おこわ」と「蕎麦」で人気のお店です。ワタクシ、以前に一度このお店で昼食をいただきました
https://blog.goo.ne.jp/harigatake1961/e/6691cc956adaf1458d6d74f04f6c0800

使用したカメラ:FUJIFILM X-T30


私は中学校や高校の歴史の授業で、「江戸時代は士農工商という身分制度があった」と習いましたが、今は違うんですよ。
実際は、武士、百姓、町人の3つに分類されていて、百姓や町人でも功績が認められれば武士になることも可能だったそうなんです。
今の教科書からは「士農工商」という言葉が消えたと聞いて、私はびっくり仰天したものでした。



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