Fukiya, Takahashi City, Okayama Pref.
さてさて、念願であった高梁市の吹屋にやって来たワタクシですが、時刻はお昼になっていましたので、
まずは腹ごしらえをしてから、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている吹屋の町をゆっくり散策しようと思いました。
「吹屋食堂」というお店があったので、ここで昼食を食べることにしました。素朴な雰囲気のお店です。
ワタクシは「田舎そば」をいただきました。洗練された蕎麦に比べて麺が太く、そして短いんですね。
腹ごしらえも済ませ、ワタクシ達は吹屋の町並みをゆっくりと歩くことにしました。
ため息が出そうなほど素晴らしい町並みですが、この見事な町並みはたまたま出来上がったわけじゃないんですよ。
赤銅色の石州瓦とベンガラ色の外観で統一された、見事な町並みが整然と続く吹屋の町並み。
この町並みこそ、江戸末期から明治にかけ、吹屋の商人達が後世に残した最大の文化遺産なんです。
豪商が財にあかせて建てた豪邸は、全国各地に見ることができます。しかし、吹屋では個々の屋敷が豪華さを競うのではなく
ベンガラ商家が話し合い、一から町を作ったんです。
ベンガラ色にこだわるため、赤銅色である「石州瓦」(島根県石見地区で作られる粘土瓦)を屋根に敷き詰め、
壁には防虫・防腐効果もあるベンガラの漆喰壁を採用。実際に、島根県から瓦職人や宮大工を呼び寄せ、
確かな職人の腕によって独特の赤い街並みが形成されていったんですよ。
全体が統一されたコンセプトの下に建てられたという、当時としては驚くべき先進的な考え方ですよねぇ。
今の言葉で言えば、見事な「都市計画」と言えばいいのでしょうか。
その後、吹屋は昭和初期まで銅山とベンガラで栄えていましたが、第二次世界大戦後、安価な化学工業製のベンガラが出回るようになり、
1972年には銅山も閉山。次々にベンガラ商は廃業し、町の衰退とともに、建物も老朽化していきました。
しかしその後、街並みを保存して観光地にすることが町の再生につながると、地元の有志が動きました。
1977年、吹屋は国の伝統的建造物群保存地区に指定され、現在も保存会が中心になって建物補修を重ね、当時の姿を守っています。
そのおかげでこの見事な景観をワタクシ達は見ることが出来るのです。先人達に感謝したいです。
使用したカメラ:3、4、5、8枚目はFUJIFILM X-T30、他はFUJIFILM X-Pro2
統一感のある町並みは美しいです。それは、ヨーロッパを訪ねた時に痛感します。
せめて日本の町から、電柱と電線、そしてケバケバしく無粋な看板を取り除いたら町並みがかなり美しく感じられる気がします。
でも、それって難しいことなんでしょうねぇ。
ブログランキングに登録しています。こちらをクリックしたいただくと嬉しい限りです。
写真日記ランキング
面倒ですが紋をクリックした後は、ブログランキングのページが開くまでお待ちくださいね
さてさて、念願であった高梁市の吹屋にやって来たワタクシですが、時刻はお昼になっていましたので、
まずは腹ごしらえをしてから、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている吹屋の町をゆっくり散策しようと思いました。
「吹屋食堂」というお店があったので、ここで昼食を食べることにしました。素朴な雰囲気のお店です。
ワタクシは「田舎そば」をいただきました。洗練された蕎麦に比べて麺が太く、そして短いんですね。
腹ごしらえも済ませ、ワタクシ達は吹屋の町並みをゆっくりと歩くことにしました。
ため息が出そうなほど素晴らしい町並みですが、この見事な町並みはたまたま出来上がったわけじゃないんですよ。
赤銅色の石州瓦とベンガラ色の外観で統一された、見事な町並みが整然と続く吹屋の町並み。
この町並みこそ、江戸末期から明治にかけ、吹屋の商人達が後世に残した最大の文化遺産なんです。
豪商が財にあかせて建てた豪邸は、全国各地に見ることができます。しかし、吹屋では個々の屋敷が豪華さを競うのではなく
ベンガラ商家が話し合い、一から町を作ったんです。
ベンガラ色にこだわるため、赤銅色である「石州瓦」(島根県石見地区で作られる粘土瓦)を屋根に敷き詰め、
壁には防虫・防腐効果もあるベンガラの漆喰壁を採用。実際に、島根県から瓦職人や宮大工を呼び寄せ、
確かな職人の腕によって独特の赤い街並みが形成されていったんですよ。
全体が統一されたコンセプトの下に建てられたという、当時としては驚くべき先進的な考え方ですよねぇ。
今の言葉で言えば、見事な「都市計画」と言えばいいのでしょうか。
その後、吹屋は昭和初期まで銅山とベンガラで栄えていましたが、第二次世界大戦後、安価な化学工業製のベンガラが出回るようになり、
1972年には銅山も閉山。次々にベンガラ商は廃業し、町の衰退とともに、建物も老朽化していきました。
しかしその後、街並みを保存して観光地にすることが町の再生につながると、地元の有志が動きました。
1977年、吹屋は国の伝統的建造物群保存地区に指定され、現在も保存会が中心になって建物補修を重ね、当時の姿を守っています。
そのおかげでこの見事な景観をワタクシ達は見ることが出来るのです。先人達に感謝したいです。
使用したカメラ:3、4、5、8枚目はFUJIFILM X-T30、他はFUJIFILM X-Pro2
統一感のある町並みは美しいです。それは、ヨーロッパを訪ねた時に痛感します。
せめて日本の町から、電柱と電線、そしてケバケバしく無粋な看板を取り除いたら町並みがかなり美しく感じられる気がします。
でも、それって難しいことなんでしょうねぇ。
ブログランキングに登録しています。こちらをクリックしたいただくと嬉しい限りです。
写真日記ランキング
面倒ですが紋をクリックした後は、ブログランキングのページが開くまでお待ちくださいね
ここまで考えられて守られて維持できる
って素晴らしいですね
有志が集まっても浅はかでは成り立ちませんが、こちらの方々はえらい
京都もいいところは一部です
上がおかしいから守られず情けない
ぽち!!
おはようございます
素晴らしい街並みですね
ベンガラの漆喰壁といい石州瓦といい落ち着いた色合いですね
維持できてるのはすごいことです
保阪さん、今は通販王らしいです
ぽち
これ見るだけでどの地方かってのがわかりますね
手作り感のある田舎蕎麦美味しそうです
麺が太くて短いのが画像からもわかります。
本当に美しい街並みですね。
しばらくこの街にいたら、映画の世界に迷い込んだような感覚に陥りそう。
応援☆
赤胴色の壁と石州瓦で統一した街並み。
それが江戸時代に実現していた。
すごいことですね!
電線と宣伝の看板、これが無くなれば、どれほど
景観が変わって落ち着きのあるものになることか!
考えさせられました。
統一された美しい街並みは、当時の
商人たちが話し合って、決めたこと
なんですね~。
街を愛する気持ちが、伝わります。
後世の方たちも、それを美しく保存。
街おこしの成功例ですね。
凸
優しい色合いの街並み
いつまでも残しておきたいですね。
確かに狭い道に電柱や看板はもうそれだけでアウトですよね
住人たちの熱意でこのような美しい街並が維持されたんですね
皆で街並みを大切にしようとする考え方が、この時代にあったなんて!
驚きです。
ベンガラの壁は、すごく珍しいですね。