Glover Park, Nagasaki City, Nagasaki Pref.
さてさて、グラバー園を見学してきたワタクシ達ですが、最後に旧グラバー邸にやって来ました。
グラバー邸は、現存する最古の洋風木造建築であると同時に、最初の和洋折衷建築といわれています。
窓越しに庭を隔てて港が一望できる、南山手の外国人居留地でもっとも立地の良い場所に位置しているんですね。
スコットランド人のトーマス・ブレーク・グラバーは21歳の時に貿易商見習いとして来日します。
お茶や生糸の輸出から始め、やがて討幕派を支援し勤皇の志士を匿い、武器弾薬、中古軍艦の輸入を手がけます。
グラバーは薩摩藩,長州藩との関係が特に深く,武器や船舶などを販売して会社を発展させました。
イギリス留学生派遣の仲介も行ない,1863年に長州藩の伊藤博文ら 5人,1865年には五代友厚,森有礼ら 15人の薩摩藩の
密航留学生の渡欧を支えています。ある意味では明治維新の影の立役者ですね。
グラバー商会は経営悪化のため1870年に破産。その後は三菱の顧問として高島炭鉱の経営に携わりました。
日本人を妻に迎え、「倉場」という日本姓を名のるなど、グラバーなかなか波瀾万丈な人生を送ったのですな。
この旧グラバー住宅は,1961年国の重要文化財に指定されました。
そして、2015年には「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産として世界遺産に登録されました。
ワタクシはこの旧グラバー邸のような洋風木造建築、和洋折衷建築というのが好きなんですよ。
木造であるが故に、なんともいえない「温かみ」「優しさ」を感じるんですよね。
グラバーは自宅から眺める長崎の町並み、とりわけ長崎港の風景が好きだったそうです。
グラバーが暮らしていた頃に比べると、長崎港は埋立てが進み、随分と風景も変わってしまいました。
しかし、当時には見られなかった「美しい夜景」が今では見ることが出来るようになりました。
ワタクシ、長崎は何度も訪れていますが、まだ山の上から夜景を見たことが無いんですよねぇ。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T30
歴史には「興味深い時代」というのが、誰にもあると思います。私の場合、日本史だと幕末から明治維新が一番興味をそそられます。
従来の価値観が音を立てて崩れて行き、劇的に変化する世の中って庶民の目にはどんなふうに見えていたんだろう。そんなことを思います。
歴史というのは学べば学ぶほど、知れば知るほど、また新しい疑問が湧いてくるものですね。
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グラバー邸は、現存する最古の洋風木造建築であると同時に、最初の和洋折衷建築といわれています。
窓越しに庭を隔てて港が一望できる、南山手の外国人居留地でもっとも立地の良い場所に位置しているんですね。
スコットランド人のトーマス・ブレーク・グラバーは21歳の時に貿易商見習いとして来日します。
お茶や生糸の輸出から始め、やがて討幕派を支援し勤皇の志士を匿い、武器弾薬、中古軍艦の輸入を手がけます。
グラバーは薩摩藩,長州藩との関係が特に深く,武器や船舶などを販売して会社を発展させました。
イギリス留学生派遣の仲介も行ない,1863年に長州藩の伊藤博文ら 5人,1865年には五代友厚,森有礼ら 15人の薩摩藩の
密航留学生の渡欧を支えています。ある意味では明治維新の影の立役者ですね。
グラバー商会は経営悪化のため1870年に破産。その後は三菱の顧問として高島炭鉱の経営に携わりました。
日本人を妻に迎え、「倉場」という日本姓を名のるなど、グラバーなかなか波瀾万丈な人生を送ったのですな。
この旧グラバー住宅は,1961年国の重要文化財に指定されました。
そして、2015年には「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産として世界遺産に登録されました。
ワタクシはこの旧グラバー邸のような洋風木造建築、和洋折衷建築というのが好きなんですよ。
木造であるが故に、なんともいえない「温かみ」「優しさ」を感じるんですよね。
グラバーは自宅から眺める長崎の町並み、とりわけ長崎港の風景が好きだったそうです。
グラバーが暮らしていた頃に比べると、長崎港は埋立てが進み、随分と風景も変わってしまいました。
しかし、当時には見られなかった「美しい夜景」が今では見ることが出来るようになりました。
ワタクシ、長崎は何度も訪れていますが、まだ山の上から夜景を見たことが無いんですよねぇ。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T30
歴史には「興味深い時代」というのが、誰にもあると思います。私の場合、日本史だと幕末から明治維新が一番興味をそそられます。
従来の価値観が音を立てて崩れて行き、劇的に変化する世の中って庶民の目にはどんなふうに見えていたんだろう。そんなことを思います。
歴史というのは学べば学ぶほど、知れば知るほど、また新しい疑問が湧いてくるものですね。
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30年前に長崎へ行った時は、グラバー邸付近や、
大浦天主堂下の商店街などは、修学旅行の生徒で
うじゃうじゃしていました。
時期にもよりますが、今はどうでしょうかね。
もっと知りたいところの一つ。
それがまたこのグラバーテーでしょうか。
おかげさまで見た事ない風景。
いや風情等々をつぶさに居ながらにして、
見せていただいてきょうも感謝でした・・。
つづきも楽しみでしょうから。
行ったのかな~。
後で、ググってみようっと。
グラバーさんは、波乱万丈の人生を
送られたのですね。
21歳で来日して、そこからは日本で。
陰の立役者ですかね。
凸
日本の文化外国の文化両方が入り混じった場所
建物も和洋折衷 ここでしか見られないものがいっぱいですね
和洋折衷の洋館ですね
昔の人は若い頃(20代)から
世界に目を向けていた?って
しっかりしてますね
グラバー邸、時間をかけて
じっくり観てみたいです
グラバーさん、スコットランドの方だったんですね。
開放的なお屋敷の佇まいからもう少し南の感じを受けておりました。
歴史の転換点になるような時期、庶民はどんな風に
受け止めていたか。
中堅以上はともかく、意外とわれ関せずじゃ
ないかな~とも思えます。
忘れるくらい前です(^^ゞ
夜景は 見たことないです