Shimabara Catholic Church, Shimbara City, Nagasaki Pref.
さてさて、四明荘で「次はどこに行こうか」と地図を眺めていると、歩いて10分ほどの場所にカトリック教会があることがわかりました。
島原市といえば江戸時代、キリスト教が厳しい弾圧を受けた時に、多くの殉教者を出した土地です。
そんな土地にあるカトリック教会はどのようなものなのだろう…ワタクシ達は興味を持って教会に向かいました。
この建物が島原カトリック教会ですが、正式な名前は「島原半島殉教者記念聖堂」と言うようです。
この聖堂は、1612年〜1658年の間に島原半島一帯で殉教した数万人にもおよぶキリスト教信者を記念し、
祈りの家として建てられたものだということが書かれていました。
島原・天草一揆後、キリシタンが根絶したとされる島原半島では、1902年からようやく再宣教が始まりました。
1932年に島原二の丸教会を建立し、1997年に現在のドームの教会が建てられたんだそうです。
長崎を旅するといつも「江戸時代におけるキリスト教への弾圧」ということを、深く考えさせられます。
このステンドグラスには厳しい弾圧の様子が描かれていました。右側は信者達を海で溺死させている様子でしょうね。
左側は雲仙の「雲仙地獄」と呼ばれる熱湯が吹き出る場所に、信者達を突き落とす様子ですね。
ワタクシ達はこの後、「キリシタン弾圧」について深く学びたいと考えていました。
教会を出て車を停めていた駐車場に向かうと、造り酒屋を中心に古い街並みが広がっていました。
古い日本家屋が続く町並み。そして左端にはカトリック教会の屋根が見えています。島原らしい光景ですよね。
ワタクシ達はその後、ちょっと足を伸ばして南島原市にある「有馬キリシタン遺産記念館」へと向かいました。
この記念館は島原・天草一揆で一揆軍が立て籠もった原城の跡地にほど近い場所にあるんです。
有馬キリシタン遺産記念館では、250年間のキリスト教の潜伏を支えた背景とキリスト教弾圧に至った経過、
そして島原・天草一揆の状況をわかりやすく展示してありました。
禁教時代のキリスト教弾圧に関しては、ある程度の知識を持っているつもりでしたが、新たに多くのことを学ぶことが出来ました。
旅の楽しさの一つは、新たな学びを得られることですね。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T30
今回、あらためて考えたことは「信仰を守る」ことと、「命の重さ」との比較です。
殉教者達の信仰心の深さというのは、私のような人間には想像もつきません。
ただ、宗教への信仰を守るために自らの命を犠牲にするというのは、宗教本来の教えから逸脱しているのではないかと思うんです。
もちろん、信仰する宗教が違うからといって差別、排除、弾圧することが一番の過ちなのですがね。
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島原市といえば江戸時代、キリスト教が厳しい弾圧を受けた時に、多くの殉教者を出した土地です。
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この建物が島原カトリック教会ですが、正式な名前は「島原半島殉教者記念聖堂」と言うようです。
この聖堂は、1612年〜1658年の間に島原半島一帯で殉教した数万人にもおよぶキリスト教信者を記念し、
祈りの家として建てられたものだということが書かれていました。
島原・天草一揆後、キリシタンが根絶したとされる島原半島では、1902年からようやく再宣教が始まりました。
1932年に島原二の丸教会を建立し、1997年に現在のドームの教会が建てられたんだそうです。
長崎を旅するといつも「江戸時代におけるキリスト教への弾圧」ということを、深く考えさせられます。
このステンドグラスには厳しい弾圧の様子が描かれていました。右側は信者達を海で溺死させている様子でしょうね。
左側は雲仙の「雲仙地獄」と呼ばれる熱湯が吹き出る場所に、信者達を突き落とす様子ですね。
ワタクシ達はこの後、「キリシタン弾圧」について深く学びたいと考えていました。
教会を出て車を停めていた駐車場に向かうと、造り酒屋を中心に古い街並みが広がっていました。
古い日本家屋が続く町並み。そして左端にはカトリック教会の屋根が見えています。島原らしい光景ですよね。
ワタクシ達はその後、ちょっと足を伸ばして南島原市にある「有馬キリシタン遺産記念館」へと向かいました。
この記念館は島原・天草一揆で一揆軍が立て籠もった原城の跡地にほど近い場所にあるんです。
有馬キリシタン遺産記念館では、250年間のキリスト教の潜伏を支えた背景とキリスト教弾圧に至った経過、
そして島原・天草一揆の状況をわかりやすく展示してありました。
禁教時代のキリスト教弾圧に関しては、ある程度の知識を持っているつもりでしたが、新たに多くのことを学ぶことが出来ました。
旅の楽しさの一つは、新たな学びを得られることですね。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T30
今回、あらためて考えたことは「信仰を守る」ことと、「命の重さ」との比較です。
殉教者達の信仰心の深さというのは、私のような人間には想像もつきません。
ただ、宗教への信仰を守るために自らの命を犠牲にするというのは、宗教本来の教えから逸脱しているのではないかと思うんです。
もちろん、信仰する宗教が違うからといって差別、排除、弾圧することが一番の過ちなのですがね。
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30年ほど昔、雲仙温泉・富貴屋旅館に
泊った時、裏庭の雲仙地獄を歩きました。
その地獄に島原藩主松平忠房はキリシタンを
投げ入れたのですね。
雲仙地獄には、清七地獄やお糸地獄などの
約30ほどの地獄が白煙を上げていました。
ぽち
立派な教会ですね
ステンドグラスの絵は恐いです
街並みも
去年行った崎津教会のある天草と似ていますね
いつもいい旅をされていますね~
それっくらいの知識しかないので、
こういう場所に訪れて、見識を深めるのも
いいですね。
厳しい弾圧で、多くの方が命を落とした
のですね。
宗教弾圧について、しばし考えさせられ
ました。
凸
少し前に行った教会もこんな感じでした
宗教心はそんなにないのでこの時代の弾圧には悲しいものがありますね
目の前に見える九州に憧れて土曜日昼学校が終わるとそのままナナハンで九州行ってました
コンビニは無い時代 カップヌードルが出始めてお湯の出る自販機があちこちのある時代
マイ箸だけ持って走ってました(笑)
この辺私が行った頃は全く有名でなかったしちしきもなかった
近く走ってるのですが全く立ち寄ってない
今なら必ず立ち寄る場所なんですが全く無知残念です
今度行く機会があったら必ず見てまわりたい場所です
教会の中の神聖な雰囲気が好きです。
私はミッション系の幼稚園に通っていたので、日曜の礼拝に毎週参加していました。
そういう幼児期の思い出がいまもなお影響があるようです。
弾圧の様子が描かれた
ステンドグラスを見るだけでも
身震いがします…!
長崎は行ってみたい場所!
もう少し地域のことを学んで
訪れたいです^^
☆
あたしゃ信仰心は希薄なので
わからない事ばかりです☆