Sakitsu Church, Amakusa City, Kumamoto Pref.
さてさて、熊本県天草市を訪れ、大江天主堂がある大江の集落から車で15分ほど南へ向かうと崎津という集落に到着いたしました。
崎津は羊角湾というリアス式の入り江の奥にある天然の良港で、漁港らしい佇まいがワタクシの好みでありました。
ワタクシ、ここのところ漁港の風景に惹かれておりまして、この崎津の風景もワタクシ的にはストライクです。
狭い路地にひしめき合うように民家が立ち並んでいます。リアス式海岸である羊角湾ですから目の前は海、背後には山という地形です。
平地が少ないので、狭い平坦な土地に民家が集まるのは日本各地の漁港でよく見られる光景です。
漁港を歩くと独特の匂いがします。海から漂う潮の香り。軒先に干された干物の匂い。漁船のガソリンの匂い。
そんなものが入り混じった独特な匂いが漁港には漂ってるんですよねぇ。
この日は12月31日ですので、もう漁港の方は出航する船も無く、静かな佇まいなのかなぁと思って海の方に向かいました。
仕事納めなのでしょうか。まだ港を行き来する漁船がありました。
穏やかな羊角湾…この長閑な風景が、かつては血塗られた時代があったとは嘘のような気がします。
崎津には永禄12年(1569)ルイス・デ・アルメイダが訪ね、キリスト教の布教活動を行いました。
それ以後、天草においてはここ崎津がキリスト教布教の中心地でありました。
1637年の島原・天草一揆の後1638年に禁教令が実施されてから崎津では特に激しい迫害が行われました。
キリスト教徒は、隠れキリシタンとなり、ひそかに真夜中に一緒に集まって礼拝し、祈りをささげていました。
1872年(明治5年)に、禁教令は廃止され、二世紀半の間隠れて守り抜いた先祖代々の信仰を公に行うことのできる新しい時代が訪れたのですね。
禁教令が解かれ、キリスト教の信仰が認められると崎津の集落に崎津天主堂が立てられました。
この建物こそがキリスト教弾圧から逃れた隠れキリシタンの最高の喜びだったと思うと胸が熱くなる気がします。
しかもこの天主堂は、かつての庄屋があった場所に建てられたのです。
ということは、絵踏みが行われたり、拷問が行われた場所の上にこの天主堂があるわけですよね。
現在の天主堂は1935年(昭和10年)に建て替えられたもので、今も崎津集落の400名のキリスト教信者の祈りの場です。
ワタクシは天主堂の中に入りましたが、なんだか身の引き締まる気がしました。
(天主堂の中は一切撮影が禁止されていますので、写真はありません)
集落のはずれに神社がありました。翌日は元日ですから、正月の準備も万端です。
神社の前に「展望公園はこちら」という看板があったので、神社の前にあったお店のオッチャンに
「すみません、展望公園ってこの神社の奥を登って行くんですか?」と尋ねると
「そうですよ。階段を510段ほどチャッチャッチャっと登って行ったら着きますわ」と返事が返ってきました。
そうかぁ…510段ほどチャッチャッチャと登るとしましょうか。
使用したカメラ:FUJIFILM X-E1
前日のブログに載せた大江天主堂は、大江の集落を見下ろす高台に聳えておりました。
一方、崎津天主堂は崎津の集落の中に溶け込むように、民家に囲まれるように建っていました。
好みの問題なのですが、私はこの崎津天主堂の佇まいが、なんとも愛おしく、また凛々しく思えたのです。
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さてさて、熊本県天草市を訪れ、大江天主堂がある大江の集落から車で15分ほど南へ向かうと崎津という集落に到着いたしました。
崎津は羊角湾というリアス式の入り江の奥にある天然の良港で、漁港らしい佇まいがワタクシの好みでありました。
ワタクシ、ここのところ漁港の風景に惹かれておりまして、この崎津の風景もワタクシ的にはストライクです。
狭い路地にひしめき合うように民家が立ち並んでいます。リアス式海岸である羊角湾ですから目の前は海、背後には山という地形です。
平地が少ないので、狭い平坦な土地に民家が集まるのは日本各地の漁港でよく見られる光景です。
漁港を歩くと独特の匂いがします。海から漂う潮の香り。軒先に干された干物の匂い。漁船のガソリンの匂い。
そんなものが入り混じった独特な匂いが漁港には漂ってるんですよねぇ。
この日は12月31日ですので、もう漁港の方は出航する船も無く、静かな佇まいなのかなぁと思って海の方に向かいました。
仕事納めなのでしょうか。まだ港を行き来する漁船がありました。
穏やかな羊角湾…この長閑な風景が、かつては血塗られた時代があったとは嘘のような気がします。
崎津には永禄12年(1569)ルイス・デ・アルメイダが訪ね、キリスト教の布教活動を行いました。
それ以後、天草においてはここ崎津がキリスト教布教の中心地でありました。
1637年の島原・天草一揆の後1638年に禁教令が実施されてから崎津では特に激しい迫害が行われました。
キリスト教徒は、隠れキリシタンとなり、ひそかに真夜中に一緒に集まって礼拝し、祈りをささげていました。
1872年(明治5年)に、禁教令は廃止され、二世紀半の間隠れて守り抜いた先祖代々の信仰を公に行うことのできる新しい時代が訪れたのですね。
禁教令が解かれ、キリスト教の信仰が認められると崎津の集落に崎津天主堂が立てられました。
この建物こそがキリスト教弾圧から逃れた隠れキリシタンの最高の喜びだったと思うと胸が熱くなる気がします。
しかもこの天主堂は、かつての庄屋があった場所に建てられたのです。
ということは、絵踏みが行われたり、拷問が行われた場所の上にこの天主堂があるわけですよね。
現在の天主堂は1935年(昭和10年)に建て替えられたもので、今も崎津集落の400名のキリスト教信者の祈りの場です。
ワタクシは天主堂の中に入りましたが、なんだか身の引き締まる気がしました。
(天主堂の中は一切撮影が禁止されていますので、写真はありません)
集落のはずれに神社がありました。翌日は元日ですから、正月の準備も万端です。
神社の前に「展望公園はこちら」という看板があったので、神社の前にあったお店のオッチャンに
「すみません、展望公園ってこの神社の奥を登って行くんですか?」と尋ねると
「そうですよ。階段を510段ほどチャッチャッチャっと登って行ったら着きますわ」と返事が返ってきました。
そうかぁ…510段ほどチャッチャッチャと登るとしましょうか。
使用したカメラ:FUJIFILM X-E1
前日のブログに載せた大江天主堂は、大江の集落を見下ろす高台に聳えておりました。
一方、崎津天主堂は崎津の集落の中に溶け込むように、民家に囲まれるように建っていました。
好みの問題なのですが、私はこの崎津天主堂の佇まいが、なんとも愛おしく、また凛々しく思えたのです。
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510段は結構きついですよね。
よっちんさんは日頃から鍛えてますから楽勝かな?
天草はキリシタンが多くキリシタン迫害の中、信仰を最後まで捨てずに守り通した姿に感動させられます。
石畳の街並みもまたいいですね~~!
珍しいショットをいろいろ見せていただき、嬉しかったです。
見せていただき、siawase気分です。
ありがとうございました。
昨日も、とてもあたたかいコメント&応援ポチに、心より、恐縮、深謝、深謝です。
応援ポチ♪♪
ものすごいミスマッチに思えますが歴史を物語っているのですね。
今度行ってみたいです。
漁港の雰囲気がよく分かりました。
今回の九州旅行も素敵ですね
色々な写真 建物を見せて頂きました
相変らず美味しそうな料理に感激です
ポチ(*^^*)
崎津は山と海にあるんだね。
展望公園へは階段510段ですか!私は無理かな(*'‐'*) 笑^^
ステキなショットを拝見させて頂きました。
応援♪ポチッ☆彡
いつもご訪問頂きまして温かいお言葉を
°・:,。★\(^-^ )♪ありがとう♪( ^-^)/★,。・:・°ございました。
どっこらしょといいながら登るようだわ。
そうですね、私もこちらの天主堂の方は好きかな。
静かな漁港が、たいへんな歴史をかかえているのですね。
静かな漁港の町に立派な天主堂
ステキな光景ですね(*^_^*)
応援です☆~
おはようございます!
きっと色んな歴史があって今があるのでしょうね。
漁師町って結構好きだったりします(^^)
ポチッ!
何処からともなく潮の香り漂ってくるんですよね~(^^)
江の島も脇道にそれるとそこは漁村の佇まい…
私は漁村の風景が大好きです~(^_-)-☆
応援P☆