今から約1800年前に作られた弥生時代後期の環濠集落(周囲に溝を巡らしたムラ)です。国指定の遺跡です。通常、埋め戻しを行った遺跡は、保存状況を外から確認することが出来ないため、土の中で遺跡がどうなっているのかわかりません。同遺跡はモニタリング調査を行っている部分では、土でなく、不織布や保護材を敷き詰めた埋め戻しを行っています。これまで年1度、遺跡の保存状態や遺跡の劣化状況の確認、記録などを行って来ました。
最後の環濠公開になります。11月6日(土)、7日(日)9時30分~15時30分(雨天中止)を最後に、土で埋め戻しますので今後は環濠を見る事は出来ません。神崎遺跡は駐車場が狭いので公共交通を利用して下さい。神奈中バス停根恩馬バス停か綾瀬市コミバス神崎遺跡前バス停です。
神崎遺跡に設置されている電話機の子機での通話を確認したら、建物の外では電話が接続しないことが判明しました
外の環濠より近い場所でも、電話の呼び出しが出来ませんでした。
今の体制では職員が建物の外に出ると、通話が出来ない状況です。
外部からの電話に対応できるよう、市役所への転送機能にするのか、屋外でも電話機の子機が使用出来る機種に取り替えるなど対策が必要です。
職員1名では、留守になるので建物から外に出ることも出来ない状態です。
常時2名体制を確保するのか、1名でも対応できるシステムの構築が必要と感じました。
神崎遺跡資料館は毎週月曜日が休館で、週6日は開館しています。
職員配置は2名(1名は他の業務を兼任)となっていますが、昨年夏ごろから職員の常駐は1名が続いています。
配置の状況を確認するために、週に1~2度は出かけて職員配置を確認しました。
市の職員が、2名居たのは20回に1回程度だけでした。
建前の2名配置でなく、実態に即した2名配置にするための人員配置の見直しを行うか、1名配置の勤務に対応できる体制の整備を担当課に要求しました。
①非常勤1名を増やして2名体制にする。
②当面人員が増やせないないなら、1名で対応できる体制の整備を行う。例えば事務所カウンターに案内プレートを置く(表には説明を希望される方は職員に声を掛けて下さい。裏面に職員は施設内で説明中です)
来場者人数のカウンが無人で出来るよう見直しを行う。案内機器の操作が初めて来た人が簡単に操作できるようにように改善する。
③職員が案内で外に出る場合は、電話機の子機を持って出る。
④緊急時マニュアルの見直しなどを行うなどが必要と思いました。
施設見学者の方に、職員が丁寧に対応できる環境整備が必要と考えました。
綾瀬市教育委員会が業者に作成を依頼して作られた年表等の表示ミスが、施設のオープン時から見つかっています。
松本が発見して展示が修正された箇所は10件弱あります。
昨日、資料館近くの用事が終わって15分程度時間があるので、事務室前に展示されている年表を見て違和感があります。
時代は、1945年の終戦時の表記で、厚木航空隊の小園大佐が・・・、小園(ルビはコゾノ大佐)と書かれてました。
以前、綾瀬市が古代から近代までの歴史を説明した冊子を読んだとき、終戦時に厚木基地で終戦に反対した部隊があり部隊のトップがオゾノ大佐と書かれていたのを10年程前に読んだ記憶がありました。
どうして、このようなことが起きるのか考えると、市内に小園地域(コゾノ)があります。
終戦時に厚木航空隊で戦争継続を主張して徹底抗戦を行ったのは、小園大佐(オゾノですので、名前のルビが間違いました。
多くの皆さんが神崎遺跡資料館を訪問して、展示内容のミスを見つけて下さい。
この資料館では、私だけで10件弱の表記ミスを発見して資料の訂正を行って戴きました。
小学生の授業から大人の方の見学など、多くの方が学習に利用していますので、表記ミスが展示されていると、間違った内容を学習することになりますので、皆さんが誤った表記を早めに発見して戴くと職員が調査後に直ぐに訂正作業を行うので、皆さんのご協力をお願いします。
開館後の展示ミスを発見しているのは、件数では私が一番多いようです。
今日11日に神崎遺跡資料館に行ったら、年代表は訂正されていました