仙崎からの折り返し列車はそのまま美祢線へ直通し、厚狭まで運転されます。長門市での10分停車の間に後ろに1両増結されました。
美祢線は「偉大な幹線」です。どこをどう見てもローカル線にしか見えないのに「幹線」だからです。これは幹線と地方交通線とを分けるときの基準で「貨物輸送密度が4000t以上ある線」という項目を満たした結果で、旅客は当時から少なかったはずです。もっとも当時は山陰線から美祢線経由で九州へ直通する急行がありましたから、今よりはずっと多いはずです。
ちなみに貨物量が多くて幹線になったのは他にも夕張線がありました。夕張新鉱もでき、石炭輸送が非常に旺盛だったからです。しかしこちらは新得まで線路が延びて石勝線に改称されたので、現在では美祢線だけです。今はキハ120が行き交います。
厚狭で小野田へ1駅移動、9時54分発宇部新川行き1230Mに乗り換えますが、少し時間があるので駅前へ。
待合室には立ち食いそば屋もあります。
小野田線の車両はクモハ123という荷物電車を改造した車両。JR東日本にも辰野線用に1両ありますが、こちらは西の牙城と言った感じ。近年リニューアルをしたのか、東日本のと比べて綺麗です。
小野田線は高架区間あるかと思えば、民家にすれすれのへろへろな線路の区間があったりと、とてもJRの路線とは思えないような印象を受けました。戦前は私鉄だったのもあるでしょうが、あまり投資されていないので、良い言い方をすれば昔と変わらない印象を受けるのではと思います。
美祢線は「偉大な幹線」です。どこをどう見てもローカル線にしか見えないのに「幹線」だからです。これは幹線と地方交通線とを分けるときの基準で「貨物輸送密度が4000t以上ある線」という項目を満たした結果で、旅客は当時から少なかったはずです。もっとも当時は山陰線から美祢線経由で九州へ直通する急行がありましたから、今よりはずっと多いはずです。
ちなみに貨物量が多くて幹線になったのは他にも夕張線がありました。夕張新鉱もでき、石炭輸送が非常に旺盛だったからです。しかしこちらは新得まで線路が延びて石勝線に改称されたので、現在では美祢線だけです。今はキハ120が行き交います。
厚狭で小野田へ1駅移動、9時54分発宇部新川行き1230Mに乗り換えますが、少し時間があるので駅前へ。
待合室には立ち食いそば屋もあります。
小野田線の車両はクモハ123という荷物電車を改造した車両。JR東日本にも辰野線用に1両ありますが、こちらは西の牙城と言った感じ。近年リニューアルをしたのか、東日本のと比べて綺麗です。
小野田線は高架区間あるかと思えば、民家にすれすれのへろへろな線路の区間があったりと、とてもJRの路線とは思えないような印象を受けました。戦前は私鉄だったのもあるでしょうが、あまり投資されていないので、良い言い方をすれば昔と変わらない印象を受けるのではと思います。