思いつくままに書くブログ

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国立競技場の前 日本オリンピックミュージアムを見学する

2021-07-21 07:52:18 | 2021年の旅行記(国内)
それでは「日本オリンピックミュージアム」を見学します、入場料は500円と良心的価格。とくに紙の入場券はありません、あるのはレシートのみ。



館内は禁止表示がない限り撮影は可能。



まずは1964年東京五輪の旗がお出迎え、間違いなく日本にとって転機でありレガシーである、羽田空港が整備され首都高が空港と都心を結び東海道新幹線が開通した。とても戦後19年とは思えない急速な大復興ともいえよう。



歴代の聖火トーチも、1936ベルリン五輪に1948ロンドン五輪。ベルリンと言えば前畑が金メダル、そして孫基禎、マラソンで金メダルを取っているが当時は勿論朝鮮半島は日本領。なので紛れもない日本人なのである。しかし当時から独立意識が強く特高にマークされるような人物だったとのこと。確かソウル五輪の聖火最終ランナーだった。



1964年東京五輪のトーチはいかにも火付け棒というかんじ。





1972年札幌五輪に1998年長野五輪。長野五輪は閉幕後に施設が負の遺産になりつつあるが(維持費の問題で)札幌は今でも大半の施設が有効活用されている。来年には半世紀になるというのに、真駒内の競技場に月寒体育館に美香保体育館、どれも今も盛んに使われているし、宮の森や大倉山のジャンプ台に関しては皆の知るところ。当時の映像を見るとスタートが横から飛び出していたことに驚かされる。今みたいにバーを渡してはいない。札幌は高速道路に地下鉄ができ、長野は高速道路もだが勿論新幹線だ。本当なら軽井沢~長野はミニ新幹線でという話だったのにオリンピックで全区間フル規格に変更になった。なので五輪が無かったらしなの鉄道は存在しないかもしれないし、小諸の衰退も無かったかもしれない。小諸駅前はあまりに痛々しすぎる。



ちなみに44歳の私にとって五輪を初めて意識したのは1984年ロサンゼルス五輪。TBSでイーグルサムのアニメ毎週見てた。今回の五輪も子供受けするためにミライトワ・ソメイティのアニメをテレ東あたりで放送すべきだった。1988年ソウル五輪は時差が1時間しかないから学校の休み時間に教室のテレビで見てたなあ。韓国と時差などないだろ!という人が大半でしょう、でもあったんですよ。1987年と88年に限ってサマータイム制度があり1時間の時差。



「いだてん」でよく見た、1912年ストックホルム五輪の入場行進の写真。





中止の憂き目となった1940年東京五輪の展示はあったが、1940年札幌五輪については無かったような気がする。資料が殆ど残っていないのだろう。いだてんでも冬季ということもありスルーされていたしね。



アスリート体験は殆どがコロナ対策で休止中。ざっくり1時間程度での見学でした。



反対派はとにかく失敗に追い込みたいようで、いろいろ粗探し、魔女狩りのようなことをやっているが、どうやったところで中止などないし、世間でも中止を実際に騒ぐのは1%程度だろう。私の周囲でも興味がないという人はいても中止だ!という人など誰もいない。実はいつどこで五輪を開催しようがこの程度の反対はあるんですよね。しかし今回は政治家が日和ってしまった。感染爆発すると脅されて、事なかれ主義にしたい政治家や地方の首長が安易に無観客にしてしまった。そもそも地方首長に観客を入れるかどうかの権限があるのがおかしいのですよ。国家プロジェクトなのだから。反対派が表に出てこないのは来年の北京五輪のような一党独裁国だけだ。それに選手はここに人生を賭けてきている、成績次第では今後の生活にかかわる人だっている。それに対して辞めろという権利など私たちにはないし、感染が増えているのはこんな東京だもの…。みな普通に出歩き、昨夜も池袋のあちこちのコンビニ前で座り込んで飲んでいる輩がいる。それをさておいて諸悪の根源を外国人に押し付ける根性が嫌だな。そもそも反対派は密になって抗議活動しているけどね。




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