思いつくままに書くブログ

基本旅行記と日本ハムファイターズの事しか書きません。そして忖度なくものを言う。いいものはいい悪いのは悪いと。

旧国鉄相生線北見相生駅と令和の時代の道の駅(とにかく写真ばっかり)

2020-09-13 18:16:06 | 2020年の旅行記(国内)
美幌市街で給油をして、北海道で買いたかった食材を購入して明日にでも自宅宛てに箱詰めにして送っちゃいます。こんなもの持って帰るの大変だからさ。国道240号線を南下して阿寒湖へ向かうけど津別市街の五差路?がわかりにくい。道中は時折「田舎の香水」攻撃があってエアコンを何度か車内循環に切り替えます。この田舎の香水って北海道以外では味わったことないな、さすが酪農王国。



相生鉄道公園で小休止。





ここはかつての相生線の終点、北見相生駅で駅舎もそのままに古い鉄道車両を展示されていたりします。よってここからは写真がメインで説明も多くなります。付け焼刃な説明ですけども。それにしても大事に車両が管理されているというかきちんと塗り直しされているのが素晴らしいですね。ちょっと調べたらふるさと納税とかクラウドファンディングで資金調達したそうだ。ただしふるさとチョイスにクラファンのサイトが残っているが400万の目標に対し集まったのは130万…。



駅名標も書き直されている。



鉄道と言うよりも製造業の工場のスローガンみたいだな。昔は跨線橋に安全第一なんて書いていたものな。



まずはトラ70000、かつては木材を積んだ貨車で相生線らしい貨車と言えるのではないだろうか。



こちらもよく見かけたワム80000.国鉄末期には余剰品として販売されて倉庫や店舗として活用されたたこともありました。



これは車掌車、緩急車とも呼ばれましたがちょっと雰囲気違う。よく見かけるのは「ヨ太郎」ことヨ8000形とかですが、これは貨物室もいっしょになったワフ29500形。扱いとしては貨車に車掌室をつけた格好で、荷物量が少なかったり機関車が小型機関車で牽引力の問題で長い編成が組めない時にうってつけだったそう。確かにローカル線だと通常の貨物が1両分に満たないことは往々にしてあったことです。廃車後は地方ローカル線の無人駅に代用されたりと。



中までは直すカネが無かったか…。





これはキ700形雪かき車。駅構内などの除雪用として戦前に作られた貨車。なので自走はできません、後ろから押してもらいます。ゆえに除雪機関車や排雪モーターカーが普及すると次第に減ってゆきましたが民営化後も残って、最後のが廃車になったのは1995年の北海道という。その頃は高校生だけど全く記憶が無いんだよなあ。



引き続いて旅客車篇。このスハフ42はライダーハウスだった模様。今から25~30年くらい前なんて北海道はライダーハウス全盛期。夏になれば「ミツバチ族」がやって来て道内をバイクツーリングというのが流行っていましたから。あの頃の若者はバイクは格好いいというのもあったでしょう。今では若者がバイクどころか車の所有も減っていますから、維持費も馬鹿にならないし、私自身マイカー手放して10年になるけど特段不便でもない。車があるから遠くまで出かけたり買い物に行こうとするからで、無かったら近場で済ますようになりますから。バイク乗り自身そのまま年齢がスライドして50代あたりが一番多いような感じします。



キハ22は…特に言うことナシ!!



駅舎は資料室になっていますがその前に北見相生と言えば。



つい駅前が気になってしまいます。種村直樹の読者なら分かるでしょうけど、種村氏はどんな田舎にも駅前に駅前旅館があったり、駅で旅館を紹介してくれたりして泊まりはぐれることはまず無いと豪語していた。それを鵜呑みにした高校生読者が周遊券で乗り歩き中に相生線の最終列車で北見相生に着いたが駅前は真っ暗で旅館などなく、最終的には駅員の好意で駅寝だったか官舎に泊めてもらったが、どんな田舎にも駅前旅館は嘘だ!って話が汽車旅相談室に載っていたかと思う。まあ確かにこの駅前に過去でも駅前旅館は無かっただろうなあ、そもそもどん詰まりの集落に用務客などまずいないからね。それに種村氏は若い人にうまく伝えるのは難しいと言っていた記憶。

なんかそれも最近の話を聞くと隔世の感がします。私が初めて一人旅したのは1994年で高校1年の春休みでした。ホテルと夜行を交互に利用してホテルは昭文社が出してたビジネスホテルガイドを見て公衆電話で予約した。自宅の電話で東京に電話かけると長距離電話だって母親が文句言うから。しかし今はスマホでさくっと検索、いい宿悪い宿も楽天やじゃらんの口コミをみればだいたい想像できる。平均3.5以下はどこかに難がある、3.5~4.0は普通、4.2以上もあればまず申し分のない。3以下は絶対に利用しない。評価するとなると問題ないと3つけたがる日本人が1や2つけるんだから汚いか接客難とか問題がある。それでスマホで予約するから当日予約も増えた、却って電話で予約しないから私でも稀に電話予約すると緊張しそうになるほど。それよりなにより今の高校生がひとり旅というのも減っているでしょうけど、宿が親権者の同意書を要求するようになったのいうのがなあ。高校生が宿を予約しても法的には問題があるとか家出少年対策なんだろうけど、そんな話を聞いてがっかりするよ。











こういう運賃表を見ると国鉄だったんだなって感じます。最近のJR駅に運賃表は少ない。券売機の上にはあっても発売範囲しか記載が無いし、田舎で需要が無いと判断されたら100キロ以内でも記載がなく窓口でお確かめくださいとか販売しますと記載している。しかし国鉄は日本一元の輸送機関でどう考えても北見相生から鬼志別とか幾春別とか石勝高原なんて需要あったと思えない、実際一度も売れなかったと思う。それでも調べて記載するのは矜持だったのかもしれない。東京都区内までの運賃が記載されていることも多かった。1985年頃の岩見沢駅には東北新幹線と東海道・山陽新幹線の主要駅特急料金表もあった。さすがに上越は…。



そしてこちらが令和の駅、道の駅あいおいですけど壁に興味深いものが。



クマヤキってなんぞや?相生の猟師が仕留めたのを焼いた?



タイ焼きのクマバージョンでした。焼き立ての用意はなくレジ横保温機で。ほっとしているのがウチで留守番してますよ。



「クマヤキなんていうから…」
「身の毛もよだつ、ぞっとしたよね」


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3 コメント

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Unknown (元会員)
2020-09-14 01:53:19
北見相生駅近くの交番に泣き付いて美幌か北見の警察署にパトカーに送られてそこで仮眠させて貰った、ていうオチでした
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Unknown (adimin)
2020-09-14 05:40:43
そうでしたっけ?
しかし結構詳しいですね。どこかで会っているかもしれませんね。
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Unknown (元会員)
2020-09-14 23:38:23
返信ありがとうございます
ただ、この北見相生の話は汽車旅相談室シリーズ掲載のやり取りで無く別種のエッセイ集の中身だと思います
ブログ主さん、のような文章力があり感性の優れた読者に恵まれて僕(種村氏)は幸せだけど、あまりにも自分の記述を信頼してくれるので戸惑うこともある
そんな中の凡例として書かれた一例のような記憶があります
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