新十津川から乗った列車は浦臼まで貸切状態、ここでようやく3人乗ってきました。列車は雪景色の中をゆっくりと走り(制限速度65キロなので)石狩月形でそれなりに。ここで積んでいたスタフを駅員に渡します。
旅のお供は先ほど一緒に買ったワンカップ。普通酒ですがなかなかイケます。
架線が見えるようになり、北海道医療大学で下車。ここで降りる人は結構います。
というのも10分後に札幌行きが後追いで発車するんですね。石狩当別で乗り換えても一緒なので。ワンマン列車で乗り換える場合、一旦ここまでの運賃を精算して証明書を貰って、あとの列車か着駅で差額精算になるんですが(でないと運賃とりはぐれます)運転士はそのまま流しています。切符を持った人が多いのかな。
無人駅ですが食券タイプの券売機があり、Kitacaの改札機はあります。
それにしてもここまで電化されるとは、昔の”札沼線”を知っている者なら隔世の感があります。私が物心が付いた頃、札沼線は札幌駅の9番ホームから2・3時間に1本発着してて、途中駅も新琴似・篠路・東篠路・釜谷臼…って感じで、ローカル線そのものでした。それでも国鉄末期には駅が増え、JR発足時の道新に掲載された大森社長の談話は覚えています。10年以内には石狩当別まで電化してとありました。結局25年近くかかりましたけどね。
でも架線は今でもしっくりこないなあ。
旅のお供は先ほど一緒に買ったワンカップ。普通酒ですがなかなかイケます。
架線が見えるようになり、北海道医療大学で下車。ここで降りる人は結構います。
というのも10分後に札幌行きが後追いで発車するんですね。石狩当別で乗り換えても一緒なので。ワンマン列車で乗り換える場合、一旦ここまでの運賃を精算して証明書を貰って、あとの列車か着駅で差額精算になるんですが(でないと運賃とりはぐれます)運転士はそのまま流しています。切符を持った人が多いのかな。
無人駅ですが食券タイプの券売機があり、Kitacaの改札機はあります。
それにしてもここまで電化されるとは、昔の”札沼線”を知っている者なら隔世の感があります。私が物心が付いた頃、札沼線は札幌駅の9番ホームから2・3時間に1本発着してて、途中駅も新琴似・篠路・東篠路・釜谷臼…って感じで、ローカル線そのものでした。それでも国鉄末期には駅が増え、JR発足時の道新に掲載された大森社長の談話は覚えています。10年以内には石狩当別まで電化してとありました。結局25年近くかかりましたけどね。
でも架線は今でもしっくりこないなあ。