札幌から721系に乗って岩見沢にやって来た、昨秋以来のことで私の地元である。
学生時代は日中の電車はすべて「いしかりライナー」だったが今は全列車が各駅停車の普通。車両性能の向上によるもので、かつて快速だったのは711系が各駅停車で走ると30分間隔の特急列車に追いつかれてしまうから。711系だと快速で39分、普通で48分かかった。客車50系の時代は55分だったかな。しかし今は各駅に停まっても41分、120キロ運転で加減速が全然違うからね。もっとも快速運転したら35分で走ることは可能で、岩見沢9時35分発札幌10時10分着というのがあった。前にも書いたが実家とは完全に疎遠だ、かりに今日これから帰ったとしてもこんな時期にのこのこ帰ってきたという人だ、しかも近所に有る事ないこと変な噂を立てる住人がいるしで田舎はとかく住みづらい。親というよりも親戚のおじさんくらいに思っているし、今後実家で同居することもないし援助を受けることもない。80に近い親に財産が残っていることもないから当てにしていないし、もし何かあって困窮したら躊躇なく生活保護を申請するだろう。
そうでなくてもこの大雪の街、雪のない所に住むようになったらもう住めませんよ住みたくない。ただし私だから自嘲的に言っているのであって、全然関係ない人に言われたら怒る。2012年1月に新潟から廃止間際の〈きたぐに〉に乗った時、駅前の居酒屋で飲んでいたらテレビニュースで北海道は大雪で岩見沢は24時間で1メートルと。そしたら話好きの板さんが「新潟も湯沢のほうは雪が多いけども、こんな雪の多い所は人の住むところじゃないね!」というから切り上げて席を立った。そしたら「もう帰るんですか?いいじゃないですか、なにか予定あるんですか」と引き留めにかかったが(客が少なかった)「俺はそこの出身なんだよ、全然関係ない他人にそんな言われ方して気分いいか!」と言ったら下向いて黙った。客の素性がわからないのに思ったことをぽんぽん話すからだ。
それにね、全く見たことのない景色が広がるんだよ。過去の名残が全く残っていない。道が狭めでアーケード商店街だったが道路幅を拡張したのはわかる。それに伴って立ち退きが発生して一から作り替えたのだろう。だけど「ここはどこの街」としか言いようがない。
天狗まんじゅうもだるま屋豆腐は健在なんだな、でもこの位置だったっけ?一緒?変わっている??
道銀に至っては商工会議所のビルの1階にテナントで入居してたのに銀行単独に。もう浦島太郎状態だ。
しかし4条通りはほぼほぼ変わってないかな。
対して西2丁目の中通りは無残になにも残ってない…。子供の頃はおもちゃ屋、ラーメン味軒、天ぷら屋、美容室に薬局などが並び、市場はまだあるのだろうか?
ナカノタナ市場だがなにをかくそうここが私の本籍地。かつてはラルズ(金市館)があった場所でさらに昔は森デパートといったらしい。親父が言うには札幌の不動産屋にうまい具合に爺さんが騙されて相場よりかなり安く土地屋敷を手放してしまったと。その後は通り1本離れたところに引っ越す、いまは空き地になっている。親父の次兄が相続しているが早くに亡くなって伯母さんもいないし、従兄弟は知らん。
ここは幼少時は地下が札幌フードセンターで地上部がたんざき屋という衣料品店。子供の頃に倒産してその後国井という店を経て旭川の三番館が購入。旭川四条駅から近い商店街のそばに本店が今もある、社長が熱狂的なトラキチで有名。しかし今はなんなんだ?生涯学習センターなんだって。
中央通りから先はあまり変わってないなと思う。このままどんどん進もう。実は今日の昼は当初案では学園都市線でも岩見沢でもなく三笠に行きたかった。幾春別にあるそば「更科」が閉店したとは聞いていたが、地元が新経営者を募集し別の経営者が引き継いで復活したと知っていきたいなーって、子供のころ連れられて行ったわ。手打ちそばなのに安くてねえ、冬に行くと石炭ストーブが煌々としてて暑いくらいだった記憶。しかし火曜日定休と知って残念。ならば岩見沢のソウルフード「かまだ屋」を目指す。駅から近い西10丁目店は閉店したそうなので東店はあるだろう、バスに乗るほどの距離じゃないしと思っているととっくの昔に閉店したんだって。最後に食べたのはかれこれ20年以上前?子供頃は3条西2丁目にあったり中央バスのターミナルの向かいにあったりしたものだけど、市街地の店舗はすべて無くなって残るのは郊外型の駐車場のある店だけなんだって。もうここまで来たら歩くよ、中学校に雪道を30分歩いて通ったんだ。その中学校のそばにあるはずで。
あったあった、でも知っている店構えではないな。たっぷり歩いた気がするが駅から2キロだって、かつてはどの店も緑のテント屋根に「かまだ屋」と書かれていた。13時半過ぎと遅い時間なのに先客は6人ほどで賑わっているじゃないか。切り盛りするのは基本婆さん、婆さんしか雇わないと聞いたことがある。一時期若い人(といっても40代)を雇ったら爺の客の間で人気になって、既存の婆さんが嫉妬するようになってパワハラがあったからと。でも私と同年代とおぼしきがひとりいるな、こっちをちらちら見るんだが知っている人だろうか?いまはマスクするから素顔わからないしね。話しかけてもこないし。
かまだ屋は本来は製麺屋である、これも聞いた話ではあるが、もともと栗沢の美流渡で営んで地元の飲食店や炭鉱にも卸していたが閉山で岩見沢に出てきて製麺ではなくそれを食べさせる飲食店として開業。立ち食い価格で座って食べられるので人気店として定着したんですね。小学生の頃はそばが140円、ラーメンは200円だったから。いまは高くなったと言えかけそば(うどん)が290円で天ぷらやきつねなどは330円、トッピング各種(天ぷら・きつね・卵・カレー)は40円、ラーメンは360円だったか。ライスは100円。昔よく頼んだものを。なんといっても富士そばよりもずっと安いし、名古屋駅のきしめんは高いなとつくづく感じる。
天ぷらそばにきつねをトッピングして370円、勿論きつねそばに天ぷらをのせても一緒。生卵ものせたオールスター的な3Sというのもあるが卵落とすとツユの味がぼやけるのでしない。そこはかつての種村直樹氏と一緒、そしてライスとカレー140円。もともとは裏メニュー的な存在で、ライスに40円追加でカレーそば(うどん)のルーをかけてくれた。それが今では表メニュー、内訳はライスが100円でカレーが40円。なんとなくごはん丼が小さくなっているなあ。
とにかく天ぷらは芸術的だ、各店舗で婆さんが揚げるんだけど北海道の天ぷらは衣を油に落としてさっと丸く固めたようなもので、溶けると実態はたぬきそば(揚げ玉そば)に近いかな。スーパーで売っているのは赤い小さなエビがあしらわれていたり。もしその製造風景を見られたらすごいなって思いますから。そしてツユです、甘しょっぱい味付けでこれが北海道のそばつゆなんだよ、みりんが多く入っているんだろうな。もしかザラメとか?麺はそば粉含有率低めで香りや風味など皆無に近いが値段が値段である。かけそば座って食べて290円の店なんだから。
ともかく20年ぶりくらいには食べたと思う。満足できました。再び駅に戻りますが6条通りも4条通りも都合よくバスが走っておらず。小学校の頃は6条通りは6分間隔、4条通りは三笠方面が10分間隔で走っていたものだったがどちらも1時間に1本程度。間引きすぎだが乗客は少ないだろうし運転手の確保もだろう。雪もかなり降ってきた。
とりあえずここに避難。かつての岩見沢のランドマーク的存在の西友の跡。学生の溜り場だったなあ、初めて携帯を買ったのは2階にあったYESそうご電器だったしCDや本を買うのもだいたいここだった。しかし今は若者はまず寄り付かないビル。中学校の頃は普通に不良高校生とかスケバンがいた時代だから、スケバンに絡まれたことはある。トイレ入るときに目が合って「お前なに見てんだよ!トイレ覗くんじゃねーよ」とか、階段で「お前パンツ覗いたろ」とか。前者はあれだが後者は見えたもん。見えたんだから見るに決まっているだろ。威勢いいこという割には白パンティーだったのを覚えている。そこゆくと、先日大阪環状線で向かいに女子高生が座って関西で珍しいくらい短いスカートだなと思っていると見えたんだけど黒履いているんだ、なんかもうがっかりで。
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学生時代は日中の電車はすべて「いしかりライナー」だったが今は全列車が各駅停車の普通。車両性能の向上によるもので、かつて快速だったのは711系が各駅停車で走ると30分間隔の特急列車に追いつかれてしまうから。711系だと快速で39分、普通で48分かかった。客車50系の時代は55分だったかな。しかし今は各駅に停まっても41分、120キロ運転で加減速が全然違うからね。もっとも快速運転したら35分で走ることは可能で、岩見沢9時35分発札幌10時10分着というのがあった。前にも書いたが実家とは完全に疎遠だ、かりに今日これから帰ったとしてもこんな時期にのこのこ帰ってきたという人だ、しかも近所に有る事ないこと変な噂を立てる住人がいるしで田舎はとかく住みづらい。親というよりも親戚のおじさんくらいに思っているし、今後実家で同居することもないし援助を受けることもない。80に近い親に財産が残っていることもないから当てにしていないし、もし何かあって困窮したら躊躇なく生活保護を申請するだろう。
そうでなくてもこの大雪の街、雪のない所に住むようになったらもう住めませんよ住みたくない。ただし私だから自嘲的に言っているのであって、全然関係ない人に言われたら怒る。2012年1月に新潟から廃止間際の〈きたぐに〉に乗った時、駅前の居酒屋で飲んでいたらテレビニュースで北海道は大雪で岩見沢は24時間で1メートルと。そしたら話好きの板さんが「新潟も湯沢のほうは雪が多いけども、こんな雪の多い所は人の住むところじゃないね!」というから切り上げて席を立った。そしたら「もう帰るんですか?いいじゃないですか、なにか予定あるんですか」と引き留めにかかったが(客が少なかった)「俺はそこの出身なんだよ、全然関係ない他人にそんな言われ方して気分いいか!」と言ったら下向いて黙った。客の素性がわからないのに思ったことをぽんぽん話すからだ。
それにね、全く見たことのない景色が広がるんだよ。過去の名残が全く残っていない。道が狭めでアーケード商店街だったが道路幅を拡張したのはわかる。それに伴って立ち退きが発生して一から作り替えたのだろう。だけど「ここはどこの街」としか言いようがない。
天狗まんじゅうもだるま屋豆腐は健在なんだな、でもこの位置だったっけ?一緒?変わっている??
道銀に至っては商工会議所のビルの1階にテナントで入居してたのに銀行単独に。もう浦島太郎状態だ。
しかし4条通りはほぼほぼ変わってないかな。
対して西2丁目の中通りは無残になにも残ってない…。子供の頃はおもちゃ屋、ラーメン味軒、天ぷら屋、美容室に薬局などが並び、市場はまだあるのだろうか?
ナカノタナ市場だがなにをかくそうここが私の本籍地。かつてはラルズ(金市館)があった場所でさらに昔は森デパートといったらしい。親父が言うには札幌の不動産屋にうまい具合に爺さんが騙されて相場よりかなり安く土地屋敷を手放してしまったと。その後は通り1本離れたところに引っ越す、いまは空き地になっている。親父の次兄が相続しているが早くに亡くなって伯母さんもいないし、従兄弟は知らん。
ここは幼少時は地下が札幌フードセンターで地上部がたんざき屋という衣料品店。子供の頃に倒産してその後国井という店を経て旭川の三番館が購入。旭川四条駅から近い商店街のそばに本店が今もある、社長が熱狂的なトラキチで有名。しかし今はなんなんだ?生涯学習センターなんだって。
中央通りから先はあまり変わってないなと思う。このままどんどん進もう。実は今日の昼は当初案では学園都市線でも岩見沢でもなく三笠に行きたかった。幾春別にあるそば「更科」が閉店したとは聞いていたが、地元が新経営者を募集し別の経営者が引き継いで復活したと知っていきたいなーって、子供のころ連れられて行ったわ。手打ちそばなのに安くてねえ、冬に行くと石炭ストーブが煌々としてて暑いくらいだった記憶。しかし火曜日定休と知って残念。ならば岩見沢のソウルフード「かまだ屋」を目指す。駅から近い西10丁目店は閉店したそうなので東店はあるだろう、バスに乗るほどの距離じゃないしと思っているととっくの昔に閉店したんだって。最後に食べたのはかれこれ20年以上前?子供頃は3条西2丁目にあったり中央バスのターミナルの向かいにあったりしたものだけど、市街地の店舗はすべて無くなって残るのは郊外型の駐車場のある店だけなんだって。もうここまで来たら歩くよ、中学校に雪道を30分歩いて通ったんだ。その中学校のそばにあるはずで。
あったあった、でも知っている店構えではないな。たっぷり歩いた気がするが駅から2キロだって、かつてはどの店も緑のテント屋根に「かまだ屋」と書かれていた。13時半過ぎと遅い時間なのに先客は6人ほどで賑わっているじゃないか。切り盛りするのは基本婆さん、婆さんしか雇わないと聞いたことがある。一時期若い人(といっても40代)を雇ったら爺の客の間で人気になって、既存の婆さんが嫉妬するようになってパワハラがあったからと。でも私と同年代とおぼしきがひとりいるな、こっちをちらちら見るんだが知っている人だろうか?いまはマスクするから素顔わからないしね。話しかけてもこないし。
かまだ屋は本来は製麺屋である、これも聞いた話ではあるが、もともと栗沢の美流渡で営んで地元の飲食店や炭鉱にも卸していたが閉山で岩見沢に出てきて製麺ではなくそれを食べさせる飲食店として開業。立ち食い価格で座って食べられるので人気店として定着したんですね。小学生の頃はそばが140円、ラーメンは200円だったから。いまは高くなったと言えかけそば(うどん)が290円で天ぷらやきつねなどは330円、トッピング各種(天ぷら・きつね・卵・カレー)は40円、ラーメンは360円だったか。ライスは100円。昔よく頼んだものを。なんといっても富士そばよりもずっと安いし、名古屋駅のきしめんは高いなとつくづく感じる。
天ぷらそばにきつねをトッピングして370円、勿論きつねそばに天ぷらをのせても一緒。生卵ものせたオールスター的な3Sというのもあるが卵落とすとツユの味がぼやけるのでしない。そこはかつての種村直樹氏と一緒、そしてライスとカレー140円。もともとは裏メニュー的な存在で、ライスに40円追加でカレーそば(うどん)のルーをかけてくれた。それが今では表メニュー、内訳はライスが100円でカレーが40円。なんとなくごはん丼が小さくなっているなあ。
とにかく天ぷらは芸術的だ、各店舗で婆さんが揚げるんだけど北海道の天ぷらは衣を油に落としてさっと丸く固めたようなもので、溶けると実態はたぬきそば(揚げ玉そば)に近いかな。スーパーで売っているのは赤い小さなエビがあしらわれていたり。もしその製造風景を見られたらすごいなって思いますから。そしてツユです、甘しょっぱい味付けでこれが北海道のそばつゆなんだよ、みりんが多く入っているんだろうな。もしかザラメとか?麺はそば粉含有率低めで香りや風味など皆無に近いが値段が値段である。かけそば座って食べて290円の店なんだから。
ともかく20年ぶりくらいには食べたと思う。満足できました。再び駅に戻りますが6条通りも4条通りも都合よくバスが走っておらず。小学校の頃は6条通りは6分間隔、4条通りは三笠方面が10分間隔で走っていたものだったがどちらも1時間に1本程度。間引きすぎだが乗客は少ないだろうし運転手の確保もだろう。雪もかなり降ってきた。
とりあえずここに避難。かつての岩見沢のランドマーク的存在の西友の跡。学生の溜り場だったなあ、初めて携帯を買ったのは2階にあったYESそうご電器だったしCDや本を買うのもだいたいここだった。しかし今は若者はまず寄り付かないビル。中学校の頃は普通に不良高校生とかスケバンがいた時代だから、スケバンに絡まれたことはある。トイレ入るときに目が合って「お前なに見てんだよ!トイレ覗くんじゃねーよ」とか、階段で「お前パンツ覗いたろ」とか。前者はあれだが後者は見えたもん。見えたんだから見るに決まっているだろ。威勢いいこという割には白パンティーだったのを覚えている。そこゆくと、先日大阪環状線で向かいに女子高生が座って関西で珍しいくらい短いスカートだなと思っていると見えたんだけど黒履いているんだ、なんかもうがっかりで。
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