思いつくままに書くブログ

基本旅行記と日本ハムファイターズの事しか書きません。そして忖度なくものを言う。いいものはいい悪いのは悪いと。

オンネトー 山田温泉 然別湖 

2020-09-16 22:14:42 | 2020年の旅行記(国内)
ニュー阿寒ホテルを9時半過ぎに出発し、すぐそばのセコマでガラナを買い新千歳空港へ向けてドライブ開始。



といっても真っ直ぐ行くわけもなくオンネトーへ寄ってみることにした。途中、野中温泉のあたりは硫黄臭がけっこうした。





オンネトーに来るのは初めて、鉄道の旅ではこうはゆかない。鉄道にもレンタカーにも一長一短があり、個人的には鉄道旅行がいいけど路線と列車本数の少なさで行動が縛られてしまうから、やっぱりレンタカーが便利ですよね。それに道内を走るのは7年ぶりで道東方面は10年ぶりだから猶更楽しい。1970年代なら阿寒湖や足寄からバスがあって周遊券客がどっと来たかもしれないけども、今は路線バスそのものが存在しない。





オンネトーは雌阿寒岳の噴火によって堰き止められてできた沼で、いまも噴煙をあげる活火山で硫黄臭がするくらいなので水も酸性で魚は住めない。けれどもザリガニは住んでいるようで奴らはどこにでもいるし、放したら生態系を壊すギャングのようなもの。さらに以前はグッピーやナイルティラピアまで人為的に放流されたために生態系は本当に壊れてたという。飼えなくなった奴や熱帯魚業者の仕業でしょう。しかしそれは完全駆除に成功しているという。確かに水面を見ても小魚ひとつ泳いでいないけど、向こうの山が水面に映ってどこか神秘的なところだなと。20分くらいの滞在で先に進みます。なにしろ今日は移動距離が長い、11時15分ころに足寄駅跡の道の駅でトイレ休憩したけども暑い!台風10号は大きな被害もなく去っていったが、それによる南風の吹込みで北海道では9月としては過去最高の32度とのこと。キャリーケースに長袖とウィンドブレーカー入れてきたがすっかり無駄になりました。

さらに国道241号線で上士幌に出て273号線で北上して糠平へ。道中はかなり寂しい感じで、よくもまあこんなところに鉄道が通っていたものだと思ってしまう。士幌線廃止から33年も経過し離農や移住もさぞ多いだろう。例として岩見沢を挙げるが子供の頃は85,000人で横ばいで国鉄民営化の退職や広域配転で81,000人まで下がったがすぐに持ち直し栗沢と北村の合併で95,000人くらいになったのに流出がひどくってとうとう79,000人台になったそう。かなり前に岩見沢から転出するときもしやくしょで理由を聞かれたりアンケートに答えてくれとかあったものな、なぜ岩見沢から転出しますか?と直球ストレートな質問に仕事が無いと書いた。理由は全くその通りで若い人の雇用の受け皿がないんです。街も古臭くて魅力が無い。幸いなのは市の職員だったのが前回の参院選で自治労の支援で立憲民主党比例区でトップ当選したので、地元のためになにかやってください。そしてその議員なんですが2歳年上違いで同じ高校だと聞いた。ならば私が高1のときに高3で高校時代の写真がその議員のプロフィールにあったのだが、接点がないのでさすがに見覚えが無い。だけど生徒会役員だったような気もする。まあ投票依頼とかなかったので、あっても立憲民主党に入れるつもりは毛頭ない。



道道鹿追糠平線で然別湖へ向かってみよう。然別湖は21年ぶりになるのかな。糠平側から幌鹿峠の道は狭く急こう配でつづら折れ。11月から翌年4月までは通行止めになります。



峠のサミットを越えて鹿追側に入れば然別湖へ注ぐ川が見える。道路もあちこちで補修してあって近代化されたのかな?と思ったら2016年の台風で壊れて2019年4月まで通行止めだったそうだ。ということは修理に2シーズンもかかったということか。一帯は大雪山国立公園の特別区域なので建物ひとつ建てるのも壊すのも大変です。



山田温泉は廃業して久しい、雪で屋根がつぶれたり、そうでなくてもこの古さでは無理だ。そもそも経営者が事業から撤退している。窓が開きっぱなしだったので近づいて中を覗いたが荒らされてはいないもの凄いかび臭で長くいたくない、気持ち悪い、吐きたくなるほど。



そんなこんなで然別湖に着いた、最後の区間は道幅狭くて動物や対向車が危ないのでときどきクラクションを鳴らして。駐車場には拓殖バスが休憩中、かつてはこの位置にバス駅があり国鉄との連絡乗車券も発売していた。どこかで然別湖→西帯広の硬券を見たことがある。かつては硬券を多用していた、帯広のバス会社全体的に言えることなんですけど。



いまは「然別湖畔温泉ホテル」しか温泉宿は無い。



「ホテル福原」は老朽化もあって営業を取りやめている、Wikipediaによれば札幌の会社に売却されたとのこと。然別湖は景色はいいけども観光地としてはちょっと弱い、いやかなり弱い、ここも1970年代に周遊券客、カニ族が来たような観光地。証拠にユースホステルがあった。温泉ホテルがユースも経営してた。



然別湖はとにかく景色だけは一級品だと思う。



向かいの山が水面に映り、まるで唇のようだから「くちびる山」と呼ばれる。正式には天望山と言う、低いように見えるが標高1,174メートル。いまの場所自体が810メートルとかなり高地だ、長野の諏訪や岡谷と同じくらいかな。そう考えたら長野は高地に街があってすごいなと感じる。



遊覧船の出航の時間ですと放送が流れるも乗客はゼロ。



最近の流行りか、足湯があるんだな。然別湖の温泉は金属臭のする茶褐色でとにかく温泉に浸かったー!という気になれます。

さっき然別湖は21年ぶりと書いたのは訳があって、カミングアウトって大それた話ではないが若いころにこの温泉ホテルでいわゆるリゾートバイトを5か月したことがあるからだ。当時の賃金は寮と食費は無料で日給5,500円。当時の北海道の最低賃金ですがバブル後の就職氷河期で求人が少なくどこの内定も貰えず、面白そう半分やむなく半分で始めたんですけども典型的なブラックでした。

ここは拓殖バスの経営で社長はたまにやってくる程度でバイトに高圧的な態度を取る人ではなかった、しかし営業部長という男がダメだった。道内の別のホテルから転職してきたのを鼻にかけて支配人よりも威張っている。「俺が旅行会社に頭を下げてるから客がくるんだ」と豪語していたが札幌へ営業の同行したことのある若手社員はそんなの見たことない、調子いい事ばかり言っているとぼやいてた。社員やバイトも好き嫌いで接するタイプで女の子のいう事だけは聞く典型的なスケベオヤジ。そしてもっと大変なのは大女将、社長の母親だ。帯広の自宅に住まずここで寝食をしているがとくに接客するでもない、まともに客と挨拶もしないしどこかお高く留まっているタイプ。そして宗教に嵌ってしまい、21年前と言えばノストラダムスの大予言、ひとりだけ信じて会社のカネで備蓄食料を買い込んで仕舞っていたが客でも従業員のでもなく自分が食べる用。なにかあると「使用人のくせに生意気な」と言う人だった。こんな職場で長続きできるはずもなく、シーズンが終わったのと同時に退職。精神的・肉体的につらかった。8月は朝7時~夜21時半まで4時間の中抜けはあるも28日連続勤務で嫌になりそうだった。今はコンプライアンス云々煩いから改善しているかもしれないけども。

それでもこの宿は当時は全客室夕食部屋出しだったのは珍しかった。ゆえにバイトでも女の子に着物着せて仲居の仕事、原則は下の名前だけの名札付けるが源氏名もいたような記憶。

駐車場に戻ると社員寮から3人ほど風呂道具持って出てきた。当時も好きな時間に入浴できたのだけど見たら全員外国人。それも中国系ではなくてベトナムかタイといった風情。いまでは技能実習生でも使っているのかと思うと隔世の感がある。実は昨晩ネットの口コミで調べたら夕食はさすがにレストランに変わっているが、外国人さんがかいがいしく接してくれましたなんてのがあったからまさにそうだなと思う。

まあもうここへ来ることは無かろう、なんかスッキリした。


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