海亀

浜辺を散歩しながら、ひとりごと...

「塩倉庫」のはなし

2010年04月12日 | インポート

Dsc_0029

(遠くに日本海海戦紀念碑の立つ大峰山が見える)

この小さなレンガ作りは

「塩倉庫」と呼ばれてきた。

ここには大きな塩田が

あったらしいから、

倉庫があっても良い

のだが、これは倉庫というには誰がみても小さすぎる。塩の等級を決める

検査場だったのだろうとか言われてきた。

Dsc_0017 たまたま、このすぐ

後ろの干潟でカブトガニ

の調査に来ていた九州

工業大学の院生と学生

が興味をひかれた。

日本に残る塩田の施設

を調べて歩き、ついに卒論にまとめあげたという。それを聞かせてもら

う機会を得た。旧大蔵省熊本塩務局津屋崎出張所は7等級の施設と

いうことがわかり、このレンガは文書庫であり、ほかに庁舎と倉庫が

あったはずである。広大な塩田のすぐ横に位置し、反対側には積み出

港があり倉庫が並んでいたのだろう。Dsc_0016

奥の文書庫から手前

左には漁業関係の

古い倉庫が並ぶ。

案外、当時も

このようであったの

かもしれない。Dsc_0023

文書庫の屋根は朽ち

て、蔦におおわれて

しまっている。

文化財指定の話が

出ているようだが、

所有者はこわしてしまおうかというところまできているらしい。

保存するには金も労力もかかり、維持費もかかっていくだろう。

レンガ作りだけでなく、「塩田とその歴史にみる付帯設備一式」

なあーんてことになると、それこそ大変なことになりそうだ。

さて、どうなっていくのだろうか。

Img

(古い塩田の写真)

向こうに盛山と

丸山が見える。