(遠くに日本海海戦紀念碑の立つ大峰山が見える)
この小さなレンガ作りは
「塩倉庫」と呼ばれてきた。
ここには大きな塩田が
あったらしいから、
倉庫があっても良い
のだが、これは倉庫というには誰がみても小さすぎる。塩の等級を決める
検査場だったのだろうとか言われてきた。
後ろの干潟でカブトガニ
の調査に来ていた九州
工業大学の院生と学生
が興味をひかれた。
日本に残る塩田の施設
を調べて歩き、ついに卒論にまとめあげたという。それを聞かせてもら
う機会を得た。旧大蔵省熊本塩務局津屋崎出張所は7等級の施設と
いうことがわかり、このレンガは文書庫であり、ほかに庁舎と倉庫が
あったはずである。広大な塩田のすぐ横に位置し、反対側には積み出
奥の文書庫から手前
左には漁業関係の
古い倉庫が並ぶ。
案外、当時も
このようであったの
文書庫の屋根は朽ち
て、蔦におおわれて
しまっている。
文化財指定の話が
出ているようだが、
所有者はこわしてしまおうかというところまできているらしい。
保存するには金も労力もかかり、維持費もかかっていくだろう。
レンガ作りだけでなく、「塩田とその歴史にみる付帯設備一式」
なあーんてことになると、それこそ大変なことになりそうだ。
さて、どうなっていくのだろうか。
(古い塩田の写真)
向こうに盛山と
丸山が見える。