海亀

浜辺を散歩しながら、ひとりごと...

ののき、ののはな

2007年10月31日 | インポート

Photo いぬびわ

Photo_2 かしわ

Photo_3

かまつか

Photo_4 せんだん

Photo_5 だんちく

Photo_6 にせあかしあ

Photo_7 のぶどう

Photo_8 はまべのぎく

Photo_9 みそっちょ

ブルーベリーの原種

9時からお昼まで歩いて41種類教えてもらいましたが、教えてもらわなかった草木のほうが、まだまだ沢山ありました。

なんと沢山な草木に囲まれて生活していたことでしょう。ひとつひとつに物語や由来があるのにおしゃべりし足りないもどかしさを講師は感じ、こちらは聞き足りないもどかしさを感じて、とりあえずおにぎりを食べて散会となりました。


古墳のつづき

2007年10月30日 | インポート

古墳二基の、時代による違いを面白く話してもらった。

1026_002 前方後円墳①

1026_001_2

前方後円墳②

お墓は円墳の下に位置しているから、①は、小高い円墳を見上げるようにして、四角い台地(前方部)に子孫が(多分次の王が)祭壇を設けてお祭りしたという形なのだという。

では、②は、というと、奥が円墳なのだが、あまり小高くなっていない。というよりも、四角い台地も小高くなっているという感じだ。(さらに、円墳部は、盗掘をうけた為に、中央部が陥没してさらに低くなっているから、どちらも同じ高さに見える)

これは、先の王を敬うあまり、現在の王が小さくみられるのを好まず、祭壇を高くして、よそ者のあなどりを避けようとしたのだろう。ということだった。

玄海灘を航行する船からは、この石造りの古墳が、日の光にきらきらと映えて、この国の威力を誇示して見せていただろうというお話である。

PS,富士イさん、お尋ねの古墳番号はこうです。(写真地図)

1030_001 ②は12号古墳のすぐ前からの写真。

①は30号古墳を国道側から撮った写真です。

時代の後先が、この話とつじつまが合わないとしたら、ごめんなさい。

みんな私が、聞いた話をした人の責任です。(と、すぐに逃げ道を

さがす、賢い私。)


王様の墓

2007年10月26日 | インポート

1026_001 うちの近くには沢山の古墳がある。

前方後円墳も円墳も沢山あるので、好き好きで建てているのか、と思っていたらそうでもないらしい。

『おい!墓屋、この丸いのと四角と丸の組み合わせみたいのと、値段はどうなんでえ!』『へい!お客様はお金は沢山お持ちでやしょうが、前方後円墳は王様でないとたてられねえんでやんす!』という会話が交わされたかどうだか?

1026_003 前方後円墳の方の部分に登ると、手前に子分だか、家来だかの墓が、ちまちまっとあって、その向こうに、玄海灘が見える。

話によると、海から見ると、石組みの墓は権威を象徴するかのようにきらきらと輝いていただろう、それが墳墓造成の狙いでもあったとのことだ。

1026_004

東側を望むと、隣にも古墳が見える。将来の古墳公園の中心地かもしれない。


津屋崎千軒を歩く

2007年10月25日 | インポート

1025_001 津屋崎の善福寺は裏から見ると六角堂だった。昔、この地でもうけた醤油屋さんが建てたのだと案内の方に聞いた。小さいお堂だが、

黒田長政公の位牌が、なぜか安置してあるのだ。

1025_002 教安寺には三つ、見るべきものがあるという。

漁場争いで打ち首になった6人士の首塚。塩田開発の大社元七の墓。100年を越すぼたん。

写真は波折神社の神紋。(ここも三つ巴紋だが、左巻きと右巻きがごっちゃ)

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造り酒屋の天井を見上げると”すごい!”迫力ある梁はりにびっくり!お勉強中につき、お酒は買いませんでした(残念!)

1025_007 それにしても、いい天気が続きます。

今日も、ながそでじゃあ暑かったなあ。