海亀

浜辺を散歩しながら、ひとりごと...

坂の上一帯は雲だった!

2010年01月31日 | インポート

朝9時に「なごみ」をスタートした100名は厚い雲の下を

ひたすら歩いた。 雨の予報は見事に外れてくれた。

よかったねえ! 花田さんのガイドは今日も好調。

ウオークラリー実行委員会は完璧なエスコート。

脱落者もなく、予定通り11時半に帰着。(素晴らしい!)

Img_14421 Img_14491                             

「なごみ」では、「フォトコンテスト」の表彰式。(30分)

アマチュアギター日本一の山室さんの演奏に「ブラボー!」の声が上がりました。(30分)

Img_14531 そのあと、

藍の家の保存会の皆さん

手作りの「だぶ」(郷土料理150人前)

を頂いて、皆さん大満足!

でした。(と思います)

音響は例によって、竹中さん。

マイク無しで決行、と思っていたのですが、やってくれました。(ありがとう!)

関係者の皆様、お疲れ様でした。何のトラブルもなくてよかった!


坂の上の雲を歩こうin津屋崎

2010年01月22日 | インポート

こんなタイトルをつけてウオーキング企画をしたら、西日本新聞が取り上げてくれた朝9時から11時まで電話が鳴り続けて、100名の定員に達した。

さすがNHK,さすが司馬遼太郎、さすが西日本新聞。大勢が定員外になったので仕方なく2月28日(日)に第二回目を用意することになった。65名ほどの予定だったが、今日読売新聞がまた取り上げてくれたので、80名を超えた。

まだあと1カ月あるのにどうするんですか!と事務方に言われそうだ(ぶるぶる)。司馬遼太郎記念館にも連絡しなければならないのに、今日も出来なかった。ああ、まずい。Img_1435

明日送ります(許して!)

日本海海戦紀念碑

の砲塔左下にテーブル

のようなものがあるが、

海戦の海域を示す

地図だ。

坂の上の雲「ネボガトフ」で丸ごと降伏する第三戦艦戦隊の中のアプラクシン(4126トン)は、沖の島と名を変えて第一次大戦に参加した後、払い下げられて実はこの大峰山のすぐ下の津屋崎海岸に日本海海戦記念艦として繋留されていたのだ。

しかし、昭和14年鉄材不足のため解体された。八幡製鉄所から記念に戻ってきたのは1枚のレリーフだった。(それが写真の海戦記念海図というわけだ)Img_1426

西から伸びてきている

→がバルチック艦隊の

侵入を示している。

中央左下が沖の島で、

その北東5Kくらいで

ロシアの戦艦はぼこぼこ

にやられて沈んでいるのが今更ながらすごいと思う。1月31日(日)のウオーキングに参加のメンバーがこんなものがここにあったのか!とびっくりしてくれる様子を今から期待したい。

Img_1433

東郷平八郎元帥の

揮毫

日本海海戦紀念碑


寒中水泳大会 

2010年01月09日 | インポート

あれは・・

ほぼ半世紀にも近い昔のこと、何故か暇だったので

逗子の海岸で行われた寒中水泳大会に参加しました。

渚から寒い海に向かって走りこみ、冷たさから逃れたくて

必死に泳ぎ、沖に浮かんだ小舟の周りを回って、戻りました。

たき火にあたっても暖かくならず、歯の根があわない、ということ

の意味を実感しながら、体中がガクガクと鳴り続けました。

近くの海の家がお風呂を解放してくれて、飛び込んだところ、

寒い!から熱い!へ急速移動するために、体中が大激震

を起こして手がつけられなくなったことを覚えています。

Img_1377

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大きなたき火をして、熱い豚汁を食べさせてあげて、

お風呂に入れてあげる。これは昔してもらった、お返し

ですね。参加約100人、内成人27人。おめでとう!

立派な成人になってください!

(30分泳いだくらいで、そうはいくまい!)