この絵馬は、『日露戦争図、明治二十九年』と、『福岡の絵馬第三集』に記載されているが、日露戦争は明治三十七~八年だから、二十九年は絵馬作者の誤記入か、調査者の読み取りの誤りか記載時のミス、という
ことになる。
ここで、少し古い写真を見ると、額縁左に三十九年と読めるので、調査者の読み取り(又は記載時)のミスということになるだろう。この二枚の写真のうちどちらを使うかというのが問題。
一時は、二十九年、日清戦争後に奉納された絵馬なのかもしれないと思い、軍服を調べてみたところ、写真のように日露戦争時代のロシアの軍服にほぼ間違いないように思う。
新しく調査を行い、新しく写真も撮る場合、過去に鮮明だった部分が不鮮明(又は解読不能)になっても、その時点の調査実態としては、あるがまま表記するしかなくなる。それが正しい。学者ならば。
しかし、目的によっては、美術的価値と教育的価値を強調する配慮、が必要であると思う。美しく、鮮明なものの方がよりよいインパクトをもたらしてくれる。尾形光琳の絵であっても絵の具が剥落してしまえば、ただの杉板ではないか。
後輩の人達に、より美しい形を残してあげることはそれで意味があると思うが、どうなのかな?
少し前に長野へ行ってきた。
梅雨とは思えない好天気が二日続いて、
心の中まで洗われるように、すがすがしかった!
” 人は信念とともに若く、 自信とともに若く、 希望ある限り若い ”
しかし ” 苦悩、恐怖、失望により人は老いる ”
この旅行のあと 同窓が一人逝ったと聞いた。
今日 ” 君は血圧が高かったね? ”と、注意を喚起するメールが
きた。 (そういう君は血糖値がどうなの?)という無駄な論争はすまい(笑)
生きるものは
生き続けることが美しい。
ところで、これからumigamesanは学生になります。ですから、友達と遊んでいる暇はなくなりますので悪しからず、御了承下さい。『宛先、てんちゃん、ぎんちゃん、ミーコ、ぶーたろう、シロミさま』
『証拠の学生証です』
本格的な雨になった21日、絵馬の調査が始まった。熱心な郷土史会員十数名の訪問を待ち受けてくださった地元の皆さんの暖かい歓迎に感謝しつつ、13面の調査を行なった。少し時間をかけすぎたかもしれないがほぼ満足できる調査であったようだ。嬉しかったのは、氏子の皆さんが前もって本殿内のお掃除をして、ホコリ一つない状態で迎えて下さったこと、そして、絵馬の由来を熱心に聴かれまた、お話にもなり、最後には、いまは亡き先祖の方々も喜んでいると思います、ありがとう、と結ばれたことであった。
(話は少し飛ぶが、『まちづくり』というのは、このような地元古老から子供に自然に伝わるような、そして自然に頭が下がるような自然信仰を伴った雰囲気の中からこそ、生まれ、育って行くものではないのだろうか、と感じたことであった)
(額縁の文字を解読する会員)
(日露戦争のロシア側の様子を描いた絵馬は珍しい)
(この迫力がたまらん!)
しかし、二時間も上ばかり見上げていたら首も肩もガチガチに凝ってしまった(笑)