確かに、少しオーバーワーク気味だとは自分で分かっていたのです。
当初、予定していた事だけであればちょうど良かったはずでした。
結果として、この前からの寒さと暑さの波状攻撃に対応しきれず、
ついにダウン。今日は終日床の中でした。しかしあまりの筋肉痛
に寝ていられず、ちょっと起きました。
塩務局庁舎の想像
スケッチです 。
文書庫もちょっと
描かれました。
よくできてるでしょ。
元に戻りますが、診断は気管支炎だそうです。のどが4日まえから苦しかった
のですが、軽い薬しか例の女医さんがくれなかったので、効き目がうすくて
悪化したようです。
しかしぎりぎりで、総会が無事に終わったのは幸いでした。正直なところ
本当に無事に終わったのかどうかは、はっきり覚えてないのです。
会議場でパワーポイントとプロジェクターの調子が悪い時はもう、雲の上を
踏んでいるような具合でした。じつは熱があったみたい(^^;
と、ここまできたらJyaJyaが入れてくれと騒ぎ出しました。
JyaJyaをいれて又寝ます。
羽化したての
きあげは
というのを
はじめて
見た。
夏の蝶よりもあざやかに見える。
夕方近くから雨になった。
どうしているのだろう。
また2,3日雨が降るらしい。こんなとき博多弁では
「しろしかー」というらしい。意味はわからない。
お魚まつりの
様子。泳いでるのを
さばいてくれる。
それはいいが、
(うみがめ祭)という
ネーミングは間違い
の典型みたいなものだろう。
うみがめはどこですか?と聞かれるが、いないし、食べさせても
くれない。アカウミガメの産卵の北限地です。などと答えにもならない。
考えている。
今日買ってきた合羽は
まったく小さかった。
ボタンがひとつしか
かからない。
背中にちょこんと乗せて
歩く姿は
とても笑えた。
明日も濡れて
散歩だ。
(遠くに日本海海戦紀念碑の立つ大峰山が見える)
この小さなレンガ作りは
「塩倉庫」と呼ばれてきた。
ここには大きな塩田が
あったらしいから、
倉庫があっても良い
のだが、これは倉庫というには誰がみても小さすぎる。塩の等級を決める
検査場だったのだろうとか言われてきた。
後ろの干潟でカブトガニ
の調査に来ていた九州
工業大学の院生と学生
が興味をひかれた。
日本に残る塩田の施設
を調べて歩き、ついに卒論にまとめあげたという。それを聞かせてもら
う機会を得た。旧大蔵省熊本塩務局津屋崎出張所は7等級の施設と
いうことがわかり、このレンガは文書庫であり、ほかに庁舎と倉庫が
あったはずである。広大な塩田のすぐ横に位置し、反対側には積み出
奥の文書庫から手前
左には漁業関係の
古い倉庫が並ぶ。
案外、当時も
このようであったの
文書庫の屋根は朽ち
て、蔦におおわれて
しまっている。
文化財指定の話が
出ているようだが、
所有者はこわしてしまおうかというところまできているらしい。
保存するには金も労力もかかり、維持費もかかっていくだろう。
レンガ作りだけでなく、「塩田とその歴史にみる付帯設備一式」
なあーんてことになると、それこそ大変なことになりそうだ。
さて、どうなっていくのだろうか。
(古い塩田の写真)
向こうに盛山と
丸山が見える。