海亀

浜辺を散歩しながら、ひとりごと...

赤穂から讃岐そして津屋崎へ

2012年12月14日 | インポート

というタイトルで、今日の“義士まつり”の展示は行われました。

つまり、①元禄赤穂事件の発端とされる塩田技術の出し惜しみが

あったのか?                          

Img_1516 ②讃岐から

津屋崎に

伝えられた

という塩田は、

どこに

どんな形で

あったのか?

③塩倉庫と言われるレンガ作りの建物は何だったのか?

Img_1547 ④今残されている

塩田跡地はどうなって

いるのか?

⑤北九州にもある

という四十七士の

墓とはなんだ?

などなど。

Img_1538 教育委員会からは

津屋崎の塩文化と

いうテーマで

メガソーラーとなる

塩田跡地発掘の

発表がありました。

皆様熱心に耳を

傾けておられました。

Img_1549 野外では、

500食のそば接待。

それに

剣舞、詩吟、琵琶

など奉納芸が

皆様を楽しませて

くれました。

ああ~やれやれ、朝から夕方まで、出演者、設営撤去の皆様、

ボランテイアガイドの皆様、

雨の直前で仕舞えてよかったですね!

お疲れ様でした(^^;