また
やってきました。
ここいらあたりでは
宮地嶽神社の
江戸菖蒲ですかね。
ところで、宮地嶽神社の祭神は、神功皇后と勝村とか勝頼とかで三神
と、いうが、そもそも、新羅に向かう途中、宮地嶽山頂で宗像三神を
祀り、戦勝を祈ったという表記もある。戦勝の後には宗像三女神を
ここに奉祀したという。後世になって神功皇后自身が合祀された。
もとより、神功皇后の存在自体を疑う風潮もあいかわらずだが、
天平勝宝4年(752年)新羅の王子金泰廉(こんたいれん)が来日し、
孝謙天皇の謁見を受けている記録がある。『新羅の王が供奉するのは
気長足媛皇太后(神功皇后)がかの国を平定した時以来のこと』と述べている。
倭国の天皇と新羅の王子の会話の中に、神功皇后の存在がお互いに認識され
ているということなのだ。公式の場における天皇の発言の記録として、『続日本紀』
にある。
神功皇后の墓も応神天皇の墓もしっかり存在するというのに、神話の隅に追いやる
史観というものは、もういい加減にしてもらいたいものだよね。