勝浦の波戸から 2014年06月07日 | インポート 博多には、元寇防塁の 石垣が遺されています。 ここ勝浦浜や在自(あらじ)潟 には、合戦の伝承があります。 弘安の役のことだと思われます。 最近でも博多湾から元か百済の 船らしきものが見つかっていますね。 恐らく、弘安の役の際、来襲した2船団のうちの早く着いた部隊と戦闘があったのでしょう。 ★ ★ 2枚目の写真の足元あたりが、昔の波戸(船着き場)のあとです。 ★ ★ 『津屋崎』の地名は、通夜のおこもりをしたところから通夜崎、後に津屋崎となったといいます。 また、別の解釈では、『津屋』は船で送る品物を保管する倉庫で、津屋の蔵がならぶ地域から『津屋崎』と呼ばれた、とも言われているそうです。 « 雨のち強風、やや涼しい | トップ | OCNブログ終了だって »
2 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 津屋崎、いまや、市ではなくなってしまいました。 (ron) 2014-06-11 20:54:42 こうやって歳月がたつにつれ、埋もれてしまう事実がたくさんあるんでしょうね。 返信する 平成の大合併とかで、なくなってしまった (umigame) 2014-06-11 22:03:21 地名もおおいことでしょうね。近鉄に、斎宮という駅名があるそうですが、斎宮とは、天皇が変わる時に、皇室の処女が伊勢神宮にお勤めに入ったという制度、だそうです。地名がなくなると歴史も消されることになるかもしれない、ということですね。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
近鉄に、斎宮という駅名があるそうですが、
斎宮とは、天皇が変わる時に、皇室の処女
が伊勢神宮にお勤めに入ったという制度、
だそうです。地名がなくなると歴史も消される
ことになるかもしれない、ということですね。