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海亀

浜辺を散歩しながら、ひとりごと...

崇福寺の門

2007年06月08日 | インポート

1968_004 崇福寺(そうふくじ)の門は福岡城の表門が移築されているというので、行ってきました。1968_007 なるほど、切妻作りのなかなか古い、いい門だ。

福岡県庁のそばにあります。駅はJR鹿児島本線の吉塚駅下車徒歩10分です。

ここは黒田家の菩提寺の一つで黒田如水、長政の墓が奥まったところにあった。鍵がかけられていた。拝みたい人は鍵を借りて入ることが出来るらしい。しかし、草が相当生えているので、もし入ったらどうしても草をむしりたくなるだろうから・・・入るのをやめた。(むむむーこれでよかったのか?)1968_009

左が長政の墓。如水の墓は右手奥にある。黒田如水という人はかなりおもしろい人だったようですねえ。

1968_011

(名島城の唐門を移築したもの。)

ここは禅寺で、お地蔵さんも沢山で、お百度参りもあるらしい。なぜか、お地蔵さんには興味がある人無い人がわかれるようですねえ。みなさん!どちらでしょうか?今日の昼食はハンバーグ定食でした(^^)/


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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
へぇ!こんなところがあるんだね。 (naho)
2007-06-08 21:44:29
いい門だと、私も思います。

今日の昼食は仕出し弁当でした(うめしゃけごはん涙。。。)
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nahoちゃん (umigame)
2007-06-08 23:33:03
門の下にいる人達をよく見てよね。
今日お地蔵さん参りに行った人達ですよ。
お地蔵さん沢山いるから、お賽銭もたいへんなんですー(笑えない)
あしたは家庭ゴミの収集日です。6時にはおきなくっちゃあ!お休みなさい!
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ちゃんと見ていたよ~! (naho)
2007-06-11 22:47:15
お地蔵さん・・・私はどうだろう。いたらお参りします(苦笑)たくさんいるなら大変だ。
毎日お稲荷さんにお賽銭なしでお参りしていてはいけない?!?!
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nahoちゃん、 (umigame)
2007-06-12 06:14:31
私たちは多神教ですから、どんな神様に対しても祈りを捧げますね。お地蔵さんもお稲荷さんもそうです。お賽銭というのは『お供物』のかわりでしょうから、気持ちの問題です。だから1円でも5円でもいいわけです。特に自分が信心している神様ではない場合でもそっと頭をさげていく姿は、見ていて清清しいものです。私は神社によく行きますが、例え訪問が信心の為でなくても、一応お参りはするようにしています。ただ、お地蔵さんが数え切れないほど並んでいて、その前に賽銭箱や、時にはざるなどがずらーっと置いてある景色を見ると何故か悲しくもなり、あさましくも感じます。そこには信心はなく、金の亡者となった人間の影しか見えません(笑)
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ははぁm(_ _)mすばらしい説法をありがとうございま... (naho)
2007-06-13 23:17:10
たしかにずらりと置いてあると引きますね。
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nahoちゃん (umigame)
2007-06-14 06:09:24
”お掃除代”ですか、
うまいこと言いますね。
たしかにそんなものでいいのでしょう。
日本人の信仰心の原点は古代の「いわくら」「ひもろぎ」にあるのであって、神殿やお賽銭などはあとずけのものだと思います。
ただ、これはそれぞれの人の生き方にそって、作り上げられていく信仰心の問題ですから、結論はありませんね。
ひとそれぞれの信仰があってよいのですが、中には排他教も沢山ありますら、気をつけないといけません。人それぞれの信仰を許さずに、勧誘し転向を強制し続ける宗教が多いのです。(しかも、やさしく、ていねいに、根気強く行なわれます)。その結果、大きな戦争から家庭内戦争まで、悲劇の原因となっています。
特に女性は、姓が変わり、他家の宗教の中に入っていくという古い体制に今も晒されていますから、十分な認識が必要ですよね(ああ、男でよかった!)

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「いわくら」?「ひもろぎ」?? (naho)
2007-06-15 00:26:14
小さいころから自身の姓が変わることに非常に違和感を感じます。だからいまも・・・この先は言えません。苦笑
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いわくら、は磐座と書き、 (umigame)
2007-06-15 06:54:44
いわさか、ともいいます。磐境と書きます。
ひもろぎ、は神籬と書きます。
いずれも神が降り立つと思われるような大きな岩や古木などに注連縄を張ったようなものを言います。
東京はそこ自体が空想社会のような所ですから、味わうことはできないでしょうが、田舎では、誰もいない山や神社に2~3時間もいると、こうしたものに神が降り立つとか、宿るとかいうことが本気で感じられるような気分になります。古代から室町時代くらいまではこうした信仰が日本人の中に流れていたし、今でもお正月やお宮参りとして神社詣でが普通に行なわれるという形で残されているのでしょう。
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