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✉️✉️マサコさんへの手紙✉️✉️

2018-07-27 21:09:46 | お話
✉️✉️マサコさんへの手紙✉️✉️


マサコさんと最初に出会った🌟のは10月でした。

マサコさんには、「少しでも家🏠で過ごしたい」という思い💓があり、

症状が落ち着くたびに家🏠に帰られました。

そして翌年5月に3度目の入院🏥をされました。

私は談話室🚪に入るとマサコさんのご主人🍀がやってこられて、

「妻🌸にブレスレットを作ってプレゼント🎁してあげようと思うんです」

とおっしゃいました。😊

「今までもいろんなプレゼント🎁されてきたんですか?」

と尋ねると、

「僕らはそんな年代じゃないですよ。

だからこれは、僕からの最初🌟で最後🌸の贈り物🎁になると思います。

外国人👱みたいにアイ・ラブ・ユー💕なんて言えないしね」

とおっしゃいました。

私が

「もうじき、母の日🌸だし、ラブレター💌を添えてはどうですか?」

と提案💚すると、ご主人はしばらく悩まれて🌀いましたが、

やがて書く決断⚡️をされました。

そして母の日🌸。

家族みんなが集まった場で、ご主人🍀は手紙を読まれ🎵、

それをマサコさんに手渡した✋そうです。

その10日後、マサコさんは亡くなって😇いかれました。


私は、仲のいい家族🌸なのだろうと思っていました。

でも実は、ご主人と、娘さんや息子さんとの間には少し距離⚡️があり、

そんな家族🌸を繋ぎとめていたのはマサコさんだったのだそうです。😊🎵

ご主人は、

「家族を養うのが男である自分🍀の甲斐性🌸」

と思っていて、

マサコさんをあまり労らず、子供たちはそれを不満😠に思っていたのでした。

母の日🌸に読まれた手紙✉️について長女さんは、

「父の手紙は、詫び状でした」

と言いました。

それは、こんなお手紙✉️でした。


「今思えば、あなたには本当に迷惑ばかりかけましたね。😢

それを迷惑🌀と思わずに受け入れてくれていたのですね。

最後になって気がつくとは本当に僕はバカでした。😵

許してください。🙏

あなたの側にいることが当然のこととして毎日を過ごして生きていたのが、

いつか一人になってしまうのかと思うと、

気が滅入る😢というより狂いそうになります。

あなたと過ごした年月は、もう50年を越していますが、

そのすべての日々☀️が、つい昨日のように思い出され🌈ます。


あなたと過ごした日々☀️は、僕のすべて💓でした。

あなたといつまでも、どこまでも一緒🌸にいたいです。😂

本当にありがとう。😭🙏

また会う日を楽しみ💕にしています。

さよならは、言いません🎵」


マサコさん🌸は生前、私にこう話してくれていました。

「自分が亡くなったら😊、家族は悲しむ😢と思います。

でも悲しみの向こうには希望🌈があるんです。

きっと、家族🌸の再生🍀が始まるわ」

と。

マサコさんのご家族🌸は、今過ごしている毎日は、

まさにマサコさんの希望🌈が実現🌸している一コマ🎬なんだと思います。😊🎵


(「みやざき中央新聞」H30.7.23 佐々木慈瞳さんより)