道元③
🔹大谷、その頃まで仏教界では『正法眼蔵』を夢中になって研究する人はいても、
『永平広録』を専門に研究する人はいませんでした。
私は伊藤俊光師の『永平広録註解(ちゅうかい)全書』を基に定本づくりから始めましたが、
それが終わった頃、あっ、と気づいたことがあるんです。
🔸境野、どういうことでしたか。
🔹大谷、道元禅師は宋の如浄禅師の下で修行をし、悟りという世界を日本に持ち帰られました。
言葉ではなかなか表現できない悟りの世界を漢語、仏語を交えて日本語で書かれたのが『正法眼蔵』です。
仏教には理会、無理会という言葉があります。
理会というのは理解できる世界、
無理会とは理解できない世界。
仏祖の言葉はどうかどうかいうと、ずっと無理会だと考えられてきたんです。
しかし、道元禅師は、それは「杜撰(ずさん)のやから」の言うことであって
「無理会話(むりえわ)、なんじにのみ無理会なり。
仏祖はしからず」
と言って理会のためにたくさんのことを書き残しておられる。
問題はそれがなぜ理解できないのか、ということですね。
公案をやってきた臨済宗の方ならお分かりいただけると思いますか、
『正法眼蔵』、これはいわば公案の解説書ともいえる部分が多くあるんです。
🔸境野、あぁ、『正法眼蔵』は公案集だと。
🔹大谷、道元禅師は公案がすべて頭に入った上で、『正法眼蔵』をまとめられている。
公案が分からないと『眼蔵』は読み解けない。
ところが、
「曹洞宗には公案がない。ただ坐ればいいんだ」
と誰も公案を学ぼうとしない。
もちろん、只管打坐の坐禅は
「焼香・礼拝・念仏・修懺・看経を用いず」
ですから曹洞宗の坐禅に公案はありません。
だからといって公案を学ばなくてもいいということにはならない。
🔸境野、『永平広録』も同じで、そのすべてが公案と言っていいくらいですからね。
🔹大谷、おっしゃる通りです。
特に『広録』の巻九は「頌古(しょうこ)九十則」で、公案の解釈とその賛頌(さんしょう)です。
私は27、8歳の頃、『広録』と『眼蔵』を読み比べ、
ようやくそのことに気がついたんです。
🔸境野、私の学生時代の先生は
「臨済のいいところは、公案によって悟りへの道筋がついていることだ」
とおっしゃっていました。
🔹大谷、その言葉は謙虚に受け止めなくてはいけませんね。
これは仏教界全体に言えることですが、
現代の僧侶の多くは悟りというものを避けて通ろうとしている。
だけど、仏教から悟りを取ったら何が残りますか?
単なる思想ですよ。
思想だけではダメです。
信心がなきゃいけません。
道元禅師のように悟りを求めて、求めて、求めて身心脱落という境地を目指して歩き続けなくてはいけないんです。
🔸境野、「この法は人人(にんにん)の分上に豊かにそなわれりといえども、
いまだ修せざるにはあらわれず、証せざるにはうることなし」
という『正法眼蔵』弁道話(べんどうわ)の言葉がありますが、
誰もが素晴らしい宝を持っていたとしても、
修行をしないことには現れないということなのでしょうね。
🔹大谷、道元禅師は明得(めいとく)、説得(せっとく)、信得(しんとく)、行得(ぎょうとく)という言葉を残されています。
自らは明らかな悟りを得たものであり、
それは言葉で説き得る、疑いなく信じ得る、行じ得るとおっしゃっています。
道元禅師の素晴らしいところは、悟りと修行が循環していることなんです。
これを道環(どうかん)と言いますが、
悟りを開いたらそれでいいなんていう考えは微塵もない。
どこまでいっても修行は続きます。
🔸境野、私の師匠は「道環とは螺旋(らせん)階段だ」とおっしゃっていました。
悩んで修行して心が安らかになり、また悩んで修行を続ける。
このようにして少しずつ高みを目指していくのが、本来の修行のあり方なのでしょうね。
(つづく)
(「致知」2月号 境野勝悟さん大谷哲夫さん対談より)
🔹大谷、その頃まで仏教界では『正法眼蔵』を夢中になって研究する人はいても、
『永平広録』を専門に研究する人はいませんでした。
私は伊藤俊光師の『永平広録註解(ちゅうかい)全書』を基に定本づくりから始めましたが、
それが終わった頃、あっ、と気づいたことがあるんです。
🔸境野、どういうことでしたか。
🔹大谷、道元禅師は宋の如浄禅師の下で修行をし、悟りという世界を日本に持ち帰られました。
言葉ではなかなか表現できない悟りの世界を漢語、仏語を交えて日本語で書かれたのが『正法眼蔵』です。
仏教には理会、無理会という言葉があります。
理会というのは理解できる世界、
無理会とは理解できない世界。
仏祖の言葉はどうかどうかいうと、ずっと無理会だと考えられてきたんです。
しかし、道元禅師は、それは「杜撰(ずさん)のやから」の言うことであって
「無理会話(むりえわ)、なんじにのみ無理会なり。
仏祖はしからず」
と言って理会のためにたくさんのことを書き残しておられる。
問題はそれがなぜ理解できないのか、ということですね。
公案をやってきた臨済宗の方ならお分かりいただけると思いますか、
『正法眼蔵』、これはいわば公案の解説書ともいえる部分が多くあるんです。
🔸境野、あぁ、『正法眼蔵』は公案集だと。
🔹大谷、道元禅師は公案がすべて頭に入った上で、『正法眼蔵』をまとめられている。
公案が分からないと『眼蔵』は読み解けない。
ところが、
「曹洞宗には公案がない。ただ坐ればいいんだ」
と誰も公案を学ぼうとしない。
もちろん、只管打坐の坐禅は
「焼香・礼拝・念仏・修懺・看経を用いず」
ですから曹洞宗の坐禅に公案はありません。
だからといって公案を学ばなくてもいいということにはならない。
🔸境野、『永平広録』も同じで、そのすべてが公案と言っていいくらいですからね。
🔹大谷、おっしゃる通りです。
特に『広録』の巻九は「頌古(しょうこ)九十則」で、公案の解釈とその賛頌(さんしょう)です。
私は27、8歳の頃、『広録』と『眼蔵』を読み比べ、
ようやくそのことに気がついたんです。
🔸境野、私の学生時代の先生は
「臨済のいいところは、公案によって悟りへの道筋がついていることだ」
とおっしゃっていました。
🔹大谷、その言葉は謙虚に受け止めなくてはいけませんね。
これは仏教界全体に言えることですが、
現代の僧侶の多くは悟りというものを避けて通ろうとしている。
だけど、仏教から悟りを取ったら何が残りますか?
単なる思想ですよ。
思想だけではダメです。
信心がなきゃいけません。
道元禅師のように悟りを求めて、求めて、求めて身心脱落という境地を目指して歩き続けなくてはいけないんです。
🔸境野、「この法は人人(にんにん)の分上に豊かにそなわれりといえども、
いまだ修せざるにはあらわれず、証せざるにはうることなし」
という『正法眼蔵』弁道話(べんどうわ)の言葉がありますが、
誰もが素晴らしい宝を持っていたとしても、
修行をしないことには現れないということなのでしょうね。
🔹大谷、道元禅師は明得(めいとく)、説得(せっとく)、信得(しんとく)、行得(ぎょうとく)という言葉を残されています。
自らは明らかな悟りを得たものであり、
それは言葉で説き得る、疑いなく信じ得る、行じ得るとおっしゃっています。
道元禅師の素晴らしいところは、悟りと修行が循環していることなんです。
これを道環(どうかん)と言いますが、
悟りを開いたらそれでいいなんていう考えは微塵もない。
どこまでいっても修行は続きます。
🔸境野、私の師匠は「道環とは螺旋(らせん)階段だ」とおっしゃっていました。
悩んで修行して心が安らかになり、また悩んで修行を続ける。
このようにして少しずつ高みを目指していくのが、本来の修行のあり方なのでしょうね。
(つづく)
(「致知」2月号 境野勝悟さん大谷哲夫さん対談より)