「ホトトギスとウグイス」
戦国武将のホトトギスの歌は、三者三様で面白いですね。
これは、本人が話したわけではありませで、
江戸時代の肥前国平戸藩の
第9代藩主の松浦清(号は静山)がつくりました。
信長、秀吉、家康の性格や手法をホトトギスの鳴かせ方に例えたものです。
「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」織田信長
「泣かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」豊臣秀吉
「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」徳川家康
そのホトトギスですが、
とてもおもしろい子育てをします。
と言うか、
子育てはしないのです。
ホトトギスは、自分で卵を抱かずに、卵を産んでから、他の鳥の巣に卵を入れます。
そして、その鳥にヒナを育ててもらうのです。
卵を入れられる巣は、
ウグイス、黄色いセキレイ、メンヒ、さらに、いわひばりの巣、駒鳥の巣、ミソサギの巣であることもわかってます。
その鳥たちは、食虫鳥で、ホトトギスも食虫鳥です。
何故、この鳥たちの巣を選べるのかはナゾですが、、。
ホトトギスの卵は、体の割に大きくなく、卵を入れられる鳥たちより、少し大きいくらいです。
巣の親にちゃっかり、温めてもらいます。
例えば、
ホトトギスのヒナが孵ると、
巣の持ち主であるウグイスが、せっせと世話をして、育てます。
そのうち、ウグイスのヒナがかえっても、ホトトギスのほうの成長が早く、どんどん大きくなるので、ほぼエサはホトトギスの独占状態になります。
それでも、ウグイスは、
ホトトギスに、せっせとエサを運んで巣立つまで世話をするのです。
これは、何を意味してるのでしょうか?
何か童話の「蟻とキリギリス」みたいに感じますね。
「蟻とキリギリス」はイソップ童話の一つですが、
「ホトトギスとウグイス」の関係は自然の中の営みです。
自然そのものです。
人の創った寓話とはチョット深さが違う。
ホトトギスは、スゴく美しい鳴き声です。
よく森に響く鳴き声を持ってます。
森の仲間なんですね。
森には必要な存在なんです。
ウグイスも、綺麗な鳴き声ですよね。
ヒナを育てるということは、ホトトギスには苦手なんですね。
それで、代わりに得意なウグイスや他の小鳥たちがやっている。
ホトトギスって、けっこう、でっぷりした鳥。
これが、ヒナのために忙しく飛び回るのは、チョット、、って感じです。
自分のエサも、取るのが苦手そうですから、子どものためには、さらに、チョット、、って感じですね。
でも、大自然は、バランスよくできています。
愛により、ウグイスは、ヒナを育てます。
自分の子どもだろうと、他のヒナであろうと、子どもと言う存在は育てる。
人間の里親みたいですね。
これが、自然です。
自然に親は育てたくなる。
愛の大きい方が、愛の段階の高い方が、育てたくなる。
ウグイスは立派ですね。
立派にに見えます。
で、
「ホトトギスは、楽でいいなぁ」じゃないんです。
ウグイスは、幸せなんです。
そして、
ホトトギスも、育てていただいて、子孫を残せるのです。
感謝してるんです。
ホトトギスは、子育てが出来ないのが本能で、
ウグイスは他のヒナであろうと育てるのが、本能。
子育てする本能は、ウグイスだけじゃないですが、
それで大自然は、バランスをとって成り立っている。
愛を基準に成り立っている。
得意を生かし助け合う。
本能を利用してる気もしますが、
生き残るには、それが方法なんですね。
いい、悪い、じゃないんですね。
それでホトトギスは生き残ってるんですから、立派!
そんなウグイスも、生き残ってるんですから立派!
なんです。
ゆるし、ゆるされ、生き残る。
何とかしてでも生き残り、
生き残ったものが、次の世代を作ってゆく。
それが、大きな自然なんでしょう。
厳しくも愛に満ちた自然なんでしょうね。
戦国武将のホトトギスの歌は、三者三様で面白いですね。
これは、本人が話したわけではありませで、
江戸時代の肥前国平戸藩の
第9代藩主の松浦清(号は静山)がつくりました。
信長、秀吉、家康の性格や手法をホトトギスの鳴かせ方に例えたものです。
「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」織田信長
「泣かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」豊臣秀吉
「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」徳川家康
そのホトトギスですが、
とてもおもしろい子育てをします。
と言うか、
子育てはしないのです。
ホトトギスは、自分で卵を抱かずに、卵を産んでから、他の鳥の巣に卵を入れます。
そして、その鳥にヒナを育ててもらうのです。
卵を入れられる巣は、
ウグイス、黄色いセキレイ、メンヒ、さらに、いわひばりの巣、駒鳥の巣、ミソサギの巣であることもわかってます。
その鳥たちは、食虫鳥で、ホトトギスも食虫鳥です。
何故、この鳥たちの巣を選べるのかはナゾですが、、。
ホトトギスの卵は、体の割に大きくなく、卵を入れられる鳥たちより、少し大きいくらいです。
巣の親にちゃっかり、温めてもらいます。
例えば、
ホトトギスのヒナが孵ると、
巣の持ち主であるウグイスが、せっせと世話をして、育てます。
そのうち、ウグイスのヒナがかえっても、ホトトギスのほうの成長が早く、どんどん大きくなるので、ほぼエサはホトトギスの独占状態になります。
それでも、ウグイスは、
ホトトギスに、せっせとエサを運んで巣立つまで世話をするのです。
これは、何を意味してるのでしょうか?
何か童話の「蟻とキリギリス」みたいに感じますね。
「蟻とキリギリス」はイソップ童話の一つですが、
「ホトトギスとウグイス」の関係は自然の中の営みです。
自然そのものです。
人の創った寓話とはチョット深さが違う。
ホトトギスは、スゴく美しい鳴き声です。
よく森に響く鳴き声を持ってます。
森の仲間なんですね。
森には必要な存在なんです。
ウグイスも、綺麗な鳴き声ですよね。
ヒナを育てるということは、ホトトギスには苦手なんですね。
それで、代わりに得意なウグイスや他の小鳥たちがやっている。
ホトトギスって、けっこう、でっぷりした鳥。
これが、ヒナのために忙しく飛び回るのは、チョット、、って感じです。
自分のエサも、取るのが苦手そうですから、子どものためには、さらに、チョット、、って感じですね。
でも、大自然は、バランスよくできています。
愛により、ウグイスは、ヒナを育てます。
自分の子どもだろうと、他のヒナであろうと、子どもと言う存在は育てる。
人間の里親みたいですね。
これが、自然です。
自然に親は育てたくなる。
愛の大きい方が、愛の段階の高い方が、育てたくなる。
ウグイスは立派ですね。
立派にに見えます。
で、
「ホトトギスは、楽でいいなぁ」じゃないんです。
ウグイスは、幸せなんです。
そして、
ホトトギスも、育てていただいて、子孫を残せるのです。
感謝してるんです。
ホトトギスは、子育てが出来ないのが本能で、
ウグイスは他のヒナであろうと育てるのが、本能。
子育てする本能は、ウグイスだけじゃないですが、
それで大自然は、バランスをとって成り立っている。
愛を基準に成り立っている。
得意を生かし助け合う。
本能を利用してる気もしますが、
生き残るには、それが方法なんですね。
いい、悪い、じゃないんですね。
それでホトトギスは生き残ってるんですから、立派!
そんなウグイスも、生き残ってるんですから立派!
なんです。
ゆるし、ゆるされ、生き残る。
何とかしてでも生き残り、
生き残ったものが、次の世代を作ってゆく。
それが、大きな自然なんでしょう。
厳しくも愛に満ちた自然なんでしょうね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます