監督の心④
(栗山監督はプロ野球選手になってなりたいという夢は、いつ頃からお持ちでしたか)
🔹物心ついた時からそう思っていました。
というのも僕らの世代は野球しかなくて、
しかも王さん長嶋さんの時代だったので、プロ野球選手になりたくてたまらないという感じでしたね。
ただ、大学在学中には教員免許を取って1度は教員になろうと考えたのですが、
どうしてもプロ野球選手になることが諦めきれなかった。
それでプロチームの入団テストを受けて、
ヤクルト・スワローズにドラフト外で入団が決まりました。
(夢に見たプロの世界はいかがでしたか)
🔹失敗したな、と思いました。
(失敗した?)
🔹こんなすごい人たちが集まるようなところに入っちゃいけなかったというのが、正直な思いでした。
そう思ってしまうこと自体、問題でしたけど、
それくらい、プロの世界というのは才能の世界なんだ
っていうことを、まざまざと感じさせられましたね。
さらに2年目にはメニエール病といって、平衡感覚が狂う三半規管の難病に罹ってしまい、
現役時代はずっと苦しめられました。
ただ、それも含めて僕の才能なんだというふうに受け止めようとはしていましたね。
(特に影響を受けた人物はいらっしゃいますか?)
🔹それは当時2軍監督だったな内藤博文さんですね。
内藤さんは巨人にテスト生として入団した選手の中で、初めてレギュラーになった方でした。
当時結果を出せずに苦しんでいた僕に対して、
内藤さんは、
「人と比べるな」
って言ってくれたのが、僕にはすべてでした。
(人と比べるな、ですか)
🔹いまでこそ内藤さんのおっしゃるような考え方は珍しくなくなりましたけど、
当時の野球界でそういう考え方をお持ちの方は、ほとんどいなかっただけに、
僕は本当に、そのひと言に救われました。
当然、プロの世界ですから人と競争して生き残っていかなければいけません。
でも、他の選手と比べるよりも、
まずは今日よりも明日、
明日よりも明後日と、
少しずつでも自分自身の野球がうまくなっていけばいいと、
内藤さんは言ってくれました。
いま思い返しても、僕くらい落ちこぼれるというのは、珍しいくらいの落ちこぼれでしたけど、
そんな僕の可能性を内藤さんは信じてくれた。
僕はそれが嬉しかったです。
それに昨日の自分よりも少しでもうまくなれというのなら、できるはずだと思って、
内藤さんに喜んでもらおうとひたすら努力しました。
(いまの話は栗山監督の選手に対する姿勢にも通ずるものがあるように感じました)
🔹選手を成長させ、輝かせるのが監督の1番の仕事だと僕は思っていますからね。
徳川家康が愛読したとされている『貞観政要』に、こんなことが書かれています。
唐王朝の二代皇帝・太宗が治めた貞観の時代、
城の門には石段が二段しかなかったといいます。
それで守りは大丈夫だったかというと、
本当に愛情を持って民に尽くしている王であれば、民が守ってくれるから大丈夫だという話です。
物事を成すには、上に立つ者が人々に尽くさなければならないことを、歴史は証明しているわけで、
だからこそ、僕も監督として、どうすれば選手にとって一番いいことなのか、
ということだけを考え続けてきました。
よくチームのために勝つことと、選手を育てることとは時に相反すると考えられていますが、
相反しません。
むしろ、絶対イコールだと信じてやってきました。
その結果、選手たちがキラキラと輝いてプレーしてくれたことで、
チームが確実に前に進んでいくことができたのだと思います。
(監督の思いに、選手たちが応えてくれたわけですね)
🔹でも、そんな簡単には選手は成長しないですよ。
やはり我慢して待っていてあげなきゃいけない部分がすごく多いので、
信じて待ってあげるというのが非常に重要ですね。
だって僕なんか50代半ばになっても、全然成長が足りてませんから(笑)。
もちろん、プロに入って、2、3年で何とかなる選手もいますけど、
そうじゃない選手もたくさんいる。
なるべく回り道をさせないようにとは思いますけど、
回り道をしないと、その選手が気づけないこともあると思うので、
回り道の時間を持ってあげなきゃいけないこともありますね。
(監督から見て選手が変わったなと思う瞬間はどんな時ですか?)
🔹自分がどこに行きたいのかっていうことが、気持ちとしてはっきりしてきた時ですね。
つまりこちらがイメージしていた方向に、選手の意識がしっかりと向かっていく。
そのことは、その選手の動きや練習の仕方を見ていたらすぐに分かります。
でもそこに至るまでには、いくら説明しても、その選手が納得しなければ前に進みません。
監督は、気づかせ屋さんだから、いろいろなヒントは出し続けますけど、
最後はやはり本人が本気になるまで待つしかない。
監督の仕事は、我慢することですからね。
(「致知」3月号 栗山監督インタビューより)
(栗山監督はプロ野球選手になってなりたいという夢は、いつ頃からお持ちでしたか)
🔹物心ついた時からそう思っていました。
というのも僕らの世代は野球しかなくて、
しかも王さん長嶋さんの時代だったので、プロ野球選手になりたくてたまらないという感じでしたね。
ただ、大学在学中には教員免許を取って1度は教員になろうと考えたのですが、
どうしてもプロ野球選手になることが諦めきれなかった。
それでプロチームの入団テストを受けて、
ヤクルト・スワローズにドラフト外で入団が決まりました。
(夢に見たプロの世界はいかがでしたか)
🔹失敗したな、と思いました。
(失敗した?)
🔹こんなすごい人たちが集まるようなところに入っちゃいけなかったというのが、正直な思いでした。
そう思ってしまうこと自体、問題でしたけど、
それくらい、プロの世界というのは才能の世界なんだ
っていうことを、まざまざと感じさせられましたね。
さらに2年目にはメニエール病といって、平衡感覚が狂う三半規管の難病に罹ってしまい、
現役時代はずっと苦しめられました。
ただ、それも含めて僕の才能なんだというふうに受け止めようとはしていましたね。
(特に影響を受けた人物はいらっしゃいますか?)
🔹それは当時2軍監督だったな内藤博文さんですね。
内藤さんは巨人にテスト生として入団した選手の中で、初めてレギュラーになった方でした。
当時結果を出せずに苦しんでいた僕に対して、
内藤さんは、
「人と比べるな」
って言ってくれたのが、僕にはすべてでした。
(人と比べるな、ですか)
🔹いまでこそ内藤さんのおっしゃるような考え方は珍しくなくなりましたけど、
当時の野球界でそういう考え方をお持ちの方は、ほとんどいなかっただけに、
僕は本当に、そのひと言に救われました。
当然、プロの世界ですから人と競争して生き残っていかなければいけません。
でも、他の選手と比べるよりも、
まずは今日よりも明日、
明日よりも明後日と、
少しずつでも自分自身の野球がうまくなっていけばいいと、
内藤さんは言ってくれました。
いま思い返しても、僕くらい落ちこぼれるというのは、珍しいくらいの落ちこぼれでしたけど、
そんな僕の可能性を内藤さんは信じてくれた。
僕はそれが嬉しかったです。
それに昨日の自分よりも少しでもうまくなれというのなら、できるはずだと思って、
内藤さんに喜んでもらおうとひたすら努力しました。
(いまの話は栗山監督の選手に対する姿勢にも通ずるものがあるように感じました)
🔹選手を成長させ、輝かせるのが監督の1番の仕事だと僕は思っていますからね。
徳川家康が愛読したとされている『貞観政要』に、こんなことが書かれています。
唐王朝の二代皇帝・太宗が治めた貞観の時代、
城の門には石段が二段しかなかったといいます。
それで守りは大丈夫だったかというと、
本当に愛情を持って民に尽くしている王であれば、民が守ってくれるから大丈夫だという話です。
物事を成すには、上に立つ者が人々に尽くさなければならないことを、歴史は証明しているわけで、
だからこそ、僕も監督として、どうすれば選手にとって一番いいことなのか、
ということだけを考え続けてきました。
よくチームのために勝つことと、選手を育てることとは時に相反すると考えられていますが、
相反しません。
むしろ、絶対イコールだと信じてやってきました。
その結果、選手たちがキラキラと輝いてプレーしてくれたことで、
チームが確実に前に進んでいくことができたのだと思います。
(監督の思いに、選手たちが応えてくれたわけですね)
🔹でも、そんな簡単には選手は成長しないですよ。
やはり我慢して待っていてあげなきゃいけない部分がすごく多いので、
信じて待ってあげるというのが非常に重要ですね。
だって僕なんか50代半ばになっても、全然成長が足りてませんから(笑)。
もちろん、プロに入って、2、3年で何とかなる選手もいますけど、
そうじゃない選手もたくさんいる。
なるべく回り道をさせないようにとは思いますけど、
回り道をしないと、その選手が気づけないこともあると思うので、
回り道の時間を持ってあげなきゃいけないこともありますね。
(監督から見て選手が変わったなと思う瞬間はどんな時ですか?)
🔹自分がどこに行きたいのかっていうことが、気持ちとしてはっきりしてきた時ですね。
つまりこちらがイメージしていた方向に、選手の意識がしっかりと向かっていく。
そのことは、その選手の動きや練習の仕方を見ていたらすぐに分かります。
でもそこに至るまでには、いくら説明しても、その選手が納得しなければ前に進みません。
監督は、気づかせ屋さんだから、いろいろなヒントは出し続けますけど、
最後はやはり本人が本気になるまで待つしかない。
監督の仕事は、我慢することですからね。
(「致知」3月号 栗山監督インタビューより)
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